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イチロー獲得にも尽力…任天堂前社長の山内溥氏が死去

99年、佐々木氏(左)のマリナーズ入団会見で写真に納まる山内氏
99年、佐々木氏(左)のマリナーズ入団会見で写真に納まる山内氏
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 任天堂を世界的なゲーム機メーカーに育てた前社長の山内溥(やまうち・ひろし)相談役が19日午前、肺炎のため京都市内の病院で死去した。85歳。家庭用ゲーム機という新市場を創造し、92年には米大リーグのマリナーズを買収、「メジャーリーガー・イチロー」誕生に尽力した。通夜は21日午後6時、葬儀・告別式は22日午後1時から、ともに京都市南区の任天堂本社で。喪主は長男克仁(かつひと)氏。岩田聡社長が葬儀委員長を務める。

 50年以上にわたり社長を務め、任天堂をけん引した「カリスマ」が亡くなった。

 山内氏は、早大在学中の49年、家業であるトランプメーカーを継いで社長に就任。53年には日本初のプラスチック製トランプ、59年にディズニーキャラクターを使用したトランプを発売した。

 83年に発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を爆発的なヒットに導き、最先端ゲーム機メーカーへ脱皮させ、家庭用ゲーム機という新市場を創造。「面白いゲームが出れば、ハードも売れる」と、ゲームソフトの開発にこだわり「スーパーマリオブラザーズ」などの人気ソフトを生み出した。02年に現社長の岩田氏を後継に抜てきし相談役に退いたが、その後も筆頭株主として影響力を持ち続けていた。

 本業以外では92年の米大リーグ、マリナーズ買収が大きな話題に。大リーグに日本資本が参入するのは初めてで、日本選手の獲得にも尽力した。

 99年オフ、横浜(現在DeNA)から佐々木主浩と契約。翌00年オフのイチロー獲得に動いた。01年には2人の大活躍で、チームは4年ぶりに地区優勝に輝いた。球団運営に口を出すことはなかったが、特にイチローとのパイプは太く、マ軍が03年と07年に巨額契約で延長した際には資金面で後ろ盾となった。

 イチローが大リーグ新記録のシーズン262安打を達成した04年オフには、お祝いとして任天堂の株式5000株(当時約5800万円相当)をプレゼント。09年に日米通算3086安打を放ち、プロ野球記録を上回った時も「イチロー選手の才能が今後も発揮され続け、次々に新しい記録が打ち立てられるでしょう」とコメントしていた。イチローもオフには毎年のように、山内氏のもとを訪れてシーズン終了を報告していた。

 ▼佐々木主浩氏(00年から03年までマリナーズに在籍)マリナーズ入団を決めたのは、山内オーナーに直接誘われたことが大きかった。代理人を介さず、2人だけで契約交渉に臨んだこともある。温かく迎えてもらい、気兼ねなくマリナーズで4年間プレーできたのも、山内オーナー抜きには語れません。

 ◆山内 溥氏(やまうち・ひろし)1927年(昭2)11月7日生まれ。京都市出身。早大在学中の49年に2代目社長の祖父が病に倒れ、22歳の若さで社長に就任。トランプ以外にも多角経営に乗り出すが失敗。80年代に発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」などのヒットでゲーム機市場トップのシェアを独走。05年に社長退任の際、巨額の退職金を「会社のために使って」と辞退し話題となった。

[ 2013年9月20日 06:00 ]

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