2013.09.20 Friday
中央自動車道と中央新幹線。
先日、JR東海が計画を進めている中央新幹線の東京都内〜名古屋間におけるルートと途中駅を公表した。来年度にも着工するとのことである。
大まかには甲府盆地から中津川あたりまで南アルプス山脈を縦断するルートをとることが既に公表されていたが、トンネルや橋の位置を含む計画ルートが示されたのはこれが初めてである。
私はこの手の「南ア・ルート」には、土木ファンとしての技術的可能性への興味以外に、道路ファンとしても大変な思い入れを感じる。それは、身近な所にある中央自動車道がかつて、やはり山梨県内から岐阜県内まで南アを貫通するルートで計画され、かなり具体化したが最終的には中止されたという経緯があるからである。
そもそも、中央新幹線と中央自動車道というネーミングが深淵ではないか。
わが国のほとんどの道路や鉄道は地名に関係する由来を持っているのに、どちらも山梨県中央市とはもちろん関係なくて、本邦の2大都市たる東京と大阪を結ぶ“国土中央自動車道”であり“国土中央新幹線”としてのネーミングである。
例えば中央自動車道というものは、今日でこそ新旧2本もある東名・名神高速道路に大幹線のお株を奪われた感が無きにしも非ずだが、計画自体は東名よりも古くからあり、名神高速の如きは実は中央道の一部でしかないのである。
さて、私はこの中央自動車道と中央新幹線を並べ立てるのが好きである。
次に簡単な年表を並べてみよう。
中央自動車道の方が遙かに「先輩」だが、南ア貫通を初めて果たすのは「後輩」の中央新幹線になりそうである。そしてそれは、中央自動車道が南ア貫通を断念した63年後となる予定である。南ア貫通は、わが国の交通史上における関門海峡トンネル、本四連絡橋、青函トンネルに次ぐ、大きなエポックとなるのではないだろうか。
年表を並べ立てた次は、計画ルートを並べてみたい。
次の図は、JR東海が公表した計画ルート図に、昭和34年に建設省が示していた「国土開発縦貫自動車道中央自動車道計画図」から引き写したラインを重ねたものだ。なお、中央道のトンネルは全長3km以上のものだけを示しており、IC名は当時の仮称だ。

→【東京〜名古屋 全線の画像はこちら】
中央新幹線と中央自動車道は、同じ場所で南アを貫通するわけではない。
それぞれ、念入りな地質調査等を行った設計したルートだろうが、どのような考えでここを選んだのかには興味がある。
ただ、中央自動車道は技術・工費・工期などの条件が、中央新幹線よりも遙かに逼迫していたことや、排気ガスや車両火災の問題からトンネルを10km以上には長くとりにくい「自動車道」という制約に相当しばられた、いわば限界ギリギリの南ア・ルートであったのに対して、中央新幹線はある意味恵まれた、理想的なルートであるのかもしれない。
(中央新幹線のトンネルに車道を併設して欲しいなぁ…。)
いかがだったろう。
皆様も「中央」という名前の深遠さに酔いしれてくれただろうか。
明治期東京都心に計画された幻の「中央駅」に始まり、わが国の「中央」計画には何かと挫折が付きものであるように思うが、いずれにしてもこの「中央自動車道」と「中央新幹線」の比較は、わが国が何をもって「中央」と名付けたか、その奥深さを知る良い機会だと思う。「中央」は偉大でなければならないし、そうあって欲しいと思う。
なお、中央道の南ア・ルートについては、既刊『廃道をゆく4 (イカロス・ムック)
』にその全容を、『日本の廃道 第45号』に詳細を解説していますので、宜しければご覧下さい。
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大まかには甲府盆地から中津川あたりまで南アルプス山脈を縦断するルートをとることが既に公表されていたが、トンネルや橋の位置を含む計画ルートが示されたのはこれが初めてである。
私はこの手の「南ア・ルート」には、土木ファンとしての技術的可能性への興味以外に、道路ファンとしても大変な思い入れを感じる。それは、身近な所にある中央自動車道がかつて、やはり山梨県内から岐阜県内まで南アを貫通するルートで計画され、かなり具体化したが最終的には中止されたという経緯があるからである。
そもそも、中央新幹線と中央自動車道というネーミングが深淵ではないか。
わが国のほとんどの道路や鉄道は地名に関係する由来を持っているのに、どちらも山梨県中央市とはもちろん関係なくて、本邦の2大都市たる東京と大阪を結ぶ“国土中央自動車道”であり“国土中央新幹線”としてのネーミングである。
例えば中央自動車道というものは、今日でこそ新旧2本もある東名・名神高速道路に大幹線のお株を奪われた感が無きにしも非ずだが、計画自体は東名よりも古くからあり、名神高速の如きは実は中央道の一部でしかないのである。
さて、私はこの中央自動車道と中央新幹線を並べ立てるのが好きである。
次に簡単な年表を並べてみよう。
中央自動車道の方が遙かに「先輩」だが、南ア貫通を初めて果たすのは「後輩」の中央新幹線になりそうである。そしてそれは、中央自動車道が南ア貫通を断念した63年後となる予定である。南ア貫通は、わが国の交通史上における関門海峡トンネル、本四連絡橋、青函トンネルに次ぐ、大きなエポックとなるのではないだろうか。
年表を並べ立てた次は、計画ルートを並べてみたい。
次の図は、JR東海が公表した計画ルート図に、昭和34年に建設省が示していた「国土開発縦貫自動車道中央自動車道計画図」から引き写したラインを重ねたものだ。なお、中央道のトンネルは全長3km以上のものだけを示しており、IC名は当時の仮称だ。
→【東京〜名古屋 全線の画像はこちら】
中央新幹線と中央自動車道は、同じ場所で南アを貫通するわけではない。
それぞれ、念入りな地質調査等を行った設計したルートだろうが、どのような考えでここを選んだのかには興味がある。
ただ、中央自動車道は技術・工費・工期などの条件が、中央新幹線よりも遙かに逼迫していたことや、排気ガスや車両火災の問題からトンネルを10km以上には長くとりにくい「自動車道」という制約に相当しばられた、いわば限界ギリギリの南ア・ルートであったのに対して、中央新幹線はある意味恵まれた、理想的なルートであるのかもしれない。
(中央新幹線のトンネルに車道を併設して欲しいなぁ…。)
いかがだったろう。
皆様も「中央」という名前の深遠さに酔いしれてくれただろうか。
明治期東京都心に計画された幻の「中央駅」に始まり、わが国の
なお、中央道の南ア・ルートについては、既刊『廃道をゆく4 (イカロス・ムック)
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