産経新聞 9月11日(水)10時53分配信
都内の浜離宮朝日ホールでこのほど「天上の音楽 〜エンディングノートを彩る魂の安らぎ〜」と題するちょっと風変わりな音楽会が開催された。私はフルートを持ってステージに登場し、音楽会のオープニングで終末期医療における音楽療法の重要性を語った。
興味深いことに、私が当直勤務をしていた千葉県の老人病院では私が当直室でフルートの練習のために吹いていた練習曲が終末期を迎えた患者さんの魂を様々な痛みから解放することに役立っていたようだ。実際、私が当直室でフルートを一生懸命に練習すればするほど病棟の重症患者さんの数は減っていったのだ。
病棟で最後の力が尽きて亡くなったという知らせを受けて最期を看取るために病棟に行くと、患者さんには私の吹いていたフルートの音色が聴こえていたのか、とても安らかな表情をして亡くなっていることが多かった。
誰でも苦しんで死ぬよりも、これまでの苦しみや痛みから解放されて安らかに人生の最期を迎えたいと願っているだろう。この医師として貴重な体験を通じて、私は終末期医療に最も必要なことは点滴や薬や経管栄養ではなく、ふれあいや音楽や癒しであることを強く信じるようになった。
人は誰でも終末期には4つの痛みに遭遇する。
1) 癌などの病気そのものによる身体的な痛み
2) 闘病、治療に伴う社会的・経済的な痛み
3) 死に体する恐怖などの心理学的な痛み
4) 人生の価値観や死後の世界などいわば宗教的な価値観を伴う魂の痛み
それでは医学部でこれらの痛みに対する対処法を教育しているのであろうか? 私が学んだ医学部時代を振り返ると、4つの痛みのうち私が実際に教えてもらったのは身体的な痛みに対する対応だけで残りの3つの痛みに対しては何らの医学的教育を受けなかった。終末期医療の現場で死に対する恐怖や魂の痛みに現場の医師が何もできないのも無理のない話なのである。
今回の音楽会を企画した日比野音療研究所の日比野則彦さんはハープなどの音色に終末期の傷ついた魂を癒す効果があることに注目している音楽家の一人。演奏会のために来日したハープ奏者のリンダ・ヒルさんは米国サンディエゴのホスピスでハープセラピーを実践している。
「聞かせる」のではなく、目の前の一人に「祈り、寄り添い、魂が癒されるまで」即興演奏を続けている。会場からボランティアでステージに上った70歳代の男性はガンの闘病中の患者、リンダさんから提示されたカードの中から「希望」とかかれたカードを引くと、リンダさんは目の前の患者さん一人のために、魂に希望の光が灯るまで即興演奏を続けた。
音楽が実際に医学的治療効果があることを示した研究もある。オハイオ州立大学看護学科のリンダ・チュラン博士は呼吸不全のため集中治療室で人工呼吸器管理を受けている患者に好みの音楽を聞かせると、通常ケアの患者と比較して不安が軽減し鎮静薬の投与頻度・用量が減少すると報告している。
チュラン博士は2006年から2011年の5年間にミネソタ州ミネアポリスの5つの病院の集中治療室で人工呼吸器管理を受けた126例に対して音楽療法を試みた。音楽セラピストが患者の好みに合わせて選んだ曲をいつでも聴くことができた集中治療室の患者は通常ケアの患者に比べ不安スコアが減少し鎮静薬の投与量が平均で38パーセントも減っていたのだ。
つまり好きな音楽を聴くことには、リラックス効果、不安解消効果のみならず鎮痛・鎮静効果もあることが分かった。音楽療法が終末期医療だけでなく幅広く医療現場に導入されれば医療はより全人的(ホリスティック)に進化するだろう。
■白澤卓二(しらさわ・たくじ) 1958年神奈川県生まれ。1982年千葉大学医学部卒業後、呼吸器内科に入局。1990年同大大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。東京都老人総合研究所病理部門研究員、同神経生理部門室長、分子老化研究グループリーダー、老化ゲノムバイオマーカー研究チームリーダーを経て2007年より順天堂大学大学院医学研究科加齢制御医学講座教授。日本テレビ系「世界一受けたい授業」など多数の番組に出演中。著書は「100歳までボケない101の方法」など100冊を超える。グロービア(http://www.glovia.net/)でも連載中。
最終更新:9月11日(水)10時53分