2008年4月にポールソン財務長官(当時)が北京を訪れた。中国の王岐山副首相(当時)とは15年来の友人だった。王副首相はウォール街の混乱したムードを懸念した。大爆発直前の陰鬱(いんうつ)としたニュースが時折伝えられ始めたころだった。ポールソン財務長官は中国が1兆ドル近くを米国に投資した最大の債権者だという事実を直感した。そして、米国政府が金融危機を防ぐために苦心していることを熱心に説明した。
5カ月後にリーマン・ブラザーズが破綻し、モルガン・スタンレーまでもが破綻の危機に追い込まれた。金融恐慌状態だった。ポールソン財務長官は金曜日の午後、ブッシュ大統領(当時)に慌てて電話をかけ「モルガン・スタンレーを救うには、週末に大統領が自ら胡錦濤国家主席(当時)に電話をかけなければならないかもしれません」と告げた。すると、ブッシュ大統領は理解できないというように「それはハドリー(当時の国家安全保障問題担当大統領補佐官)に相談してほしい」と答えた。ポールソン財政長官は翌日、王副首相と深夜の電話会談を行い、救済融資を行う用意があるかどうか探った。王副首相からは結局、ポールソン財務長官が期待したような答えを聞くことができなかった。
これはポールソン財務長官の回顧録に登場するエピソードだ。新興国に助けを求める経済大国の裏の姿が哀れだ。ブッシュ大統領が胡主席に助け舟を求める電話をかけたとすれば、歴史的な瞬間として記録されたことだろう。
世界的な金融危機が繰り返されるうちに、いくつかの法則が整理された。金融危機は感染性が強い。一国に端を発した危機は、すぐに他国にも伝染する。感染経路も不規則だ。1997年のアジア通貨危機は、数カ月後に中南米に飛び火し、さらに海を越えてロシアに拡大した。次にどこで危機が起きるかは予測ができない。
危機が起きれば、大半の国で政権が交代し、騒ぎは国家経済を30%前後破壊しないと収束しないという法則もある。5年の間に米国に続き、17カ国が連携して持ちこたえていたユーロまでもがやられた。そして、どの国も金融危機を避ける手段はないという最も重要な教訓が残った。米国が泥沼からはい出そうとしている最近、中国が渦中に巻き込まれていることを見れば分かる。5年前の段階で、中国も不動産バブルがこうして弾けるとは想像もできなかったはずだ。