高齢者の所在不明問題に関連して、江戸時代生まれの人たちが戸籍上で「生存」している事態が各地で次々と明るみに出ている。27日には、日本最高齢記録をはるかに超す「200歳」の男性まで判明した。なぜ、こんな珍事が続くのか。
27日午前、玄界灘に浮かぶ壱岐島。ここにある長崎県壱岐市役所の市民福祉課に、驚きが広がった。
各地で戸籍上「生存」する高齢者が相次いでいるのを受け、同市内の戸籍を調べたところ、100歳以上で現住所の記録がない人の生年月日の中に、見慣れない元号があった。
「文化7年」。月日の記載はない。西暦に換算してみると1810年だった。生存していれば、今年で200歳になる男性だった。
山口県防府市出身では「186歳」の男性が見つかった。文政7(1824)年7月10日生まれ。生きていれば186歳だ。江戸幕府13代将軍の徳川家定と同い年にあたる。
なぜ、こんなことが起きるのか。
戸籍法では、戸籍が抹消されるのは、自治体に死亡届が提出されてからと定められている。だが各地の自治体の担当者に聞くと、家族そろって移民に出たり、戦争や災害で一族全員が亡くなったりして、親族が死亡届を出せないケースもある。そうした場合に、「生存」のまま戸籍が残る場合が少なくないようだ。
■最初の戸籍は138年前
そもそも戸籍とは、人が生まれてから死ぬまで、誰と結婚し、子どもが誰かなどを、家族単位で記録するものだ。
日本で最初に統一的な戸籍ができたのは、1872年の明治5年式戸籍。壬申戸籍とも呼ばれる。法務省民事第1課によると、国内の人口を把握することが急務となり、世帯単位で調査を実施したという。明治19(86)年、明治31(98)年、大正4(1915)年と記載の様式が変わり、昭和22(47)年に現在の方式になった。
だが、戸籍と実態の間には明治期からすでにずれがあったとの指摘もある。
江戸から現代までの人口変化を数学的に解析した東海大学の新田時也専任講師(数理人口学)によると、明治期の戸籍をもとにした人口は、解析による推計人口より多い。明治40(1907)年ごろには、そのずれは約100万人にのぼっていたとみられる。「死んだ人間が戸籍上生きている、というケースは昔からあったはずだ」と話す。
死亡届が出された場合、まず戸籍が抹消され、その上で現住地の自治体が住民登録を削除する。
住民票は行方が分からないだけで削除できるが、その場合でも生きている可能性があるため、戸籍の削除手続きには慎重だ。法務省民事第1課は「戸籍は人の権利の元となる。生死の見届けを間違っては大変だ」。100歳以上の高齢者の戸籍を除籍できる制度もあるが、条件は厳しく、「死んでいると考えるのが妥当で、所在不明、生死の調査ができない」とされている。
一方、現在の行政サービスのもとになっているのは、市民の住所を示す住民登録制度だ。1952年に始まった。
住民登録による住民基本台帳は、児童手当などの給付や選挙人名簿の作成など、住民サービスの基礎データとなっている。
「高齢者所在不明問題」で不正受給が問題になっている年金の支払いも、住民登録をもとに生存を確認している。
■日本の最高齢者は113歳
「戸籍上の超高齢者」が続出しているなか、国内の最高齢者はどう決まってきたのだろう。
厚生労働省がこれまで発表してきた国内最高齢者は、戸籍ではなく、住民基本台帳をもとに調べている。各都道府県を通じて、住民基本台帳で生存しているとされる高齢者に対し、電話や訪問で調べ、生存を確認している。厚労省によると、現在の最高齢は、佐賀県在住の長谷川チヨノさんで、113歳だ。
日本最高齢記録は、120歳で亡くなった鹿児島県伊仙町の泉重千代さん(86年に死去)。その年齢を巡っても、議論が起きたことがあった。
1980年代に、医学的な見地から寿命が計算され、日本医学会の総会で疑問が呈されたのだ。「戸籍が十分整っていない時代の生まれで、必ずしも科学的確証がない」と主張された。
伊仙町役場の担当者は「戸籍が残り、本人が主張する以上、その生年月日は否定することは難しい」。ただ「戸籍が最初にできた時に、どういう経緯で登録されたのかは調べようがない」とも話す。
86年には、長寿日本一と発表された東京都の女性が戸籍の間違いで、実際は10歳若かったことが分かったことがあった。(福井悠介、河野正樹)