2013年09月19日

物書きやってるとこういうことってちょくちょくあるのよ

 評論家の宇野常寛氏が新聞記者にインタビュー原稿を捏造されたという。

http://twilog.org/wakusei2nd/date-130828

>先日、インタビューしてもらったのだが、あがって来た原稿を見てビックリ。当日僕がまったく話していないことが「創作」されて載っている部分があった。

> 曰く「まとめるにあたってどうしても必要な部分をご著書を参考にこちらのほうでつくらせていただきました」……ってオイ、それ、僕のインタビューじゃなくてお前が考えた「宇野に言わせたいこと」じゃん!!!!!!!

>最初は発言校正で直そうと思ったけれど、記者がねつ造した部分がそれなりの分量あるのと、全体の構成にかかわる部分だったので断念した。記者の質問も当日のものとは変わっていて、全体的に直さないと無理だ、と判断した。これは部分修正では対応出来ない。

 あるあるある。
 僕もこういうこと、経験してる。それも何度も。
 もちろん、掲載するスペースの関係があるから、インタビューの内容はすべて活字にはできない。大幅に要約しなくてはいけないわけで、べつにそれはかまわない。
 ところが、記者やライターの中には、単なる要約を逸脱して、勝手にインタビュー相手の発言を捏造しちゃう奴がいるのだ。

 たとえば、『神は沈黙せず』の発売直後、某誌のインタビューを受けた時。
 確か1時間半は喋ったと思うけど、その女性ライターはとてもよく『神は沈黙せず』を読みこんでいて、高く評価してくれていた。
 ところが、上がってきたゲラを見てびっくり。僕が言うはずのないことを、言ったことになってる!
 そりゃあ、長いインタビューの中で何を言ったかなんて正確に覚えてはいないけど、何を言うはずがないかってことは分かる。僕がまったく意図してないことを、作品の意図として語っちゃってるのだ。
 たぶんこのライター、『神は沈黙せず』を読んで、「作者はきっとこういうことが言いたかったんだろうな」と想像して、それを書いちゃったんだろう。
 何のためのインタビューなんだか。
 しょうがないから、行数に合わせて僕の発言になっている部分を全面的に書き直した。

 某ゲーム雑誌で、アマチュアの考えたゲーム企画の審査をやった時のこと。審査員の間で意見が分かれて喧々諤々の議論になったんだけど、まあそれはいい。
 上がってきた講評のゲラを見て驚いた。僕がまったく評価しなかった作品を、僕が褒めちぎったことになってる!
 この時は、ライターの書いた原稿を一字残らず書き直して突っ返した。だって、僕が言ってないことばかり書いてあるんだもの。
 ギャラとは別に原稿料を要求したかったぐらいだ。

 別の雑誌で座談会に出た時もひどかった。僕がある人物について言及したことになってるんだけど、僕はその人の名前すら知らなかったのだ。だから言及するはずがないのだ、絶対に。
 この時もゲラを書き直したんだけど、厄介なのは、座談会の発言というのは前後の他の人の発言にはさまっているわけで、書き直すと話の流れがつながらなくなることがあるのだ。さすがに他の人の発言まで手を加えるわけにはいかないから、話の流れがおかしくならないようにするにはどうすればいいか、かなり悩んだっけ。

 他にも、インタビューのゲラを書き直したことは何度かある。ちょっとした間違いなら修正指示を出せばいいだけだけど、まったく間違っていて全面的に書き直さなくちゃいけないのは、脱力するし、気が滅入る。
 何のために1時間以上インタビュー受けたんだ。これだったら自分で原稿書いた方が早いよ。
 だから、インタビューの依頼はなるべくメールでお願いしている。メールで質問文を送ってもらい、僕がそれに文章で答える形だ。これならさすがに捏造されることは少ない。

 もっとも、文章で書けば必ずしも安心ってわけでもなく、それでも捏造されちゃうこともある。
 数年前、ジュセリーノの地震予言の嘘を暴く記事を書いてくれと依頼され、喜んで引き受けた。
 ところがゲラを見て仰天。僕の文章がほぼ全面的に書き換えられている! 表現が書き直されているだけでなく、編集者が勝手に追加した文章が何行にもわたって僕の文章の間に挿入され、あたかもそれを僕が書いたかのようになっているのである。
 元の原稿と読み比べてみても何も問題はなく、なぜ書き換えなきゃいけなかったのか、さっぱり分からない。
 それで元より良くなってるならまだしも、「彼は「夢で未来を予知する」との触れ込みで、日本では2007年頃から彼の予言が書籍やテレビ番組で取り上げられるようになっている」などと、日本語としておかしくなってしまっているのだからたまらない。 (「彼は」と「彼の予言が」と主語が二重に存在する)
 平井和正氏の「『狼男だよ』改竄事件」を思い出して、「こんなこと、現代でもまだあるんだ!?」とびっくりしたもんである。そう言えば僕は、あの事件で「改竄」を「かいざん」と読むことを覚えたのだった。
 当然、抗議して、問題のある箇所をすべて指摘して直させ、元の原稿に近い形に戻してもらった。完全に元に戻させなかったのは、それではどこがどう悪かったか理解できず、こっちを単なるクレーマーだと思いこんで、また同じことを繰り返しかねないと思ったからである。
(つーか、他の著者はこういうことをされて黙ってるのかね?)

 ちなみに、原稿を勝手にこんなに変えられたことは、これが2度目。
 1度目はもう20年以上前、今はなき社会思想社から出したゲーム本で、勝手に漢字のほとんどが開かれてしまって、チャーリー・ゴードンが書いたかのような、ひらがなだらけの文章に変えられてしまったことがある。ゲラで直そうとしたけど、あまりにも多すぎてきりがなく、「全部元に戻せー!」と叫んで戻してもらった。
 今となっては笑い話だけど、あれもひどい話だったなあ。

 なぜこういうことが起きるのか? 想像すると、3つの可能性が思い浮かぶ。

1.頭が悪くて、相手が言ったことを理解できない。
2.「プロの作家より俺の方が文章が上手い」と思い上がっている。
3.インタビュー記事や他人の原稿を自分の作品だと勘違いしていて、「俺のものだから自由にいじっていい」と思っている。

 もちろん、記者や編集者がみんなこうではなく、ほとんどの方はちゃんと仕事をしてくださっている。ありがたいことである。
 ただ、中にはこういう困った人もいる、ということは知っておいて欲しい。
 


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