サンフランシスコ平和条約後

1.条約後の竹島

1.1 条約後のアメリカの地位

サンフランシスコ条約後の議論においても、連合国の主要国でありサンフランシスコ条約(以下、SF条約という)の起草者であったアメリカの動静がキーとなる。しかしながら、SF条約後にアメリカが竹島の権原を決定しうる立場にないことに留意しなければならない。SF条約でアメリカを始めとした連合国が日本に領土放棄を要求できたのは、ポツダム宣言受諾により日本がその権限を連合国に付与することに同意していたからである。しかし、SF条約において当該権限が履行された以上、それ以降のアメリカは竹島に関して第三国でしかなく、ましてや権原保有国の意向を無視してアメリカが竹島の帰属を決定する管轄権を有するものではない。ともすれば、条約後のアメリカの意思が竹島の帰属を決定しうるような主張がなされることがあるが国際法上ありえない。サンフランシスコ条約後に有するアメリカの権限は、共にSF条約に関する以下の2つに限定される。

1.1.1 サンフランシスコ条約の解釈の補足

当事国間でなされた合意をサンフランシスコ条約の解釈の補足として使用することができる。

ウィーン条約法条約
第31条 解釈に関する一般的な規則
3 文脈とともに、次のものを考慮する。
(a) 条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意

1.1.2 サンフランシスコ条約の錯誤無効の主張若しくは改正

サンフランシスコ条約が錯誤に基づくものであったとして、錯誤による無効を主張することができる。また、改正を主張することもできる。しかしながら、錯誤による無効も改正も関係国への通告をする必要があり、そのような通告をアメリカはしていないことからサンフランシスコ条約が現時点での最終決定である。

ウィーン条約法条約
第65条 条約の無効若しくは終了、条約からの脱退又は条約の運用停止に関してとられる手続
1 条約の当事国は、この条約に基づき、条約に拘束されることについての自国の同意の瑕(か)疵(し)を援用する場合又は条約の有効性の否認、条約の終了、条約からの脱退若しくは条約の運用停止の根拠を援用する場合には、自国の主張を他の当事国に通告しなければならない。通告においては、条約についてとろうとする措置及びその理由を示す。

1.2 条約後の竹島の扱いに関する事実経過

1.2.1 日米間の条約による竹島の爆撃地指定

武装解除された日本の安全保障が問題となり、サンフランシスコ平和条約の発効と共に日米安保条約も発効した。安保条約では日本国内に米軍を配備することを許可し、その配備地域については日米合同委員会で決定することとし、1952年7月26日に実際に決定された。

日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 1951年9月8日署名、1952年4月28日発効

日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よって、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

第一条〔駐留米軍の使用目的〕平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許宇し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

第三条〔行政協定〕アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。

日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定 1952年2月28日署名、1952年4 月28日発効

第2条

日本国は、合衆国に対し、安全保障条約第1条に掲げる目的の遂行に必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する。ここの施設及び区域に関する協定は、この協定の効力発生の日までになお両政府が合意に達していないときは、この協定第26条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。

行政協定に基づく日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定、1952年7月26日署名・発効

合同委員会における日本国政府の代表者及びアメリカ合衆国政府の代表者は、各自の政府に代わって次のとおり協定した。
(中略)
三 この協定の附表は、合同委員会を通じて変更することができる。
(中略)

日本国政府の代表者 伊関佑二郎
合衆国政府の代表者 ローリン・エル・ウィリアムズ

附表2
空軍訓練区域
9 竹島爆撃訓練区域
(一)北緯37度15分 東経131度52分の点を中心とする直径10マイルの円内
(二)演習時間毎日24時間

注意すべきは竹島を演習地として指定した7月26日の協定も国家代表による合意に基づいており、国際法上の「条約」の形式を有していることである。また、この協定はサンフランシスコ条約の適用(1条(b)の完全な主権回復)に基づき行われた合意であることからウィーン条約法条約31条第3項(a)において許容される条約の解釈の補足手段としての効力も有すると考えられる。ラスク書簡を知らされていなかった駐日米大使や駐韓米大使に対する以下の国務省の回答からも、本協定が竹島が日本領であるというアメリカ政府の認識を前提として締結されたものであることがわかる。

1952年11月5日 米国務省から駐韓米大使宛書簡

(ラスク書簡の紹介)それゆえ日米合 同委員会によるこの島の日本政府の施設としての指定は正当化されます。(The action of the United States-Japan Joint Committee in designating these rocks as a facility of the Japanese Government is therefore justified.)

1.2.2 爆撃訓練区域指定と韓国の竹島調査

SF条約において日本の放棄領土に竹島が含まれないことを明確に示したラスク書簡であるが、日本はおろか駐韓米大使館や駐日米大使館にも伝達されなかった。また、アメリカ政府としては竹島は日本の島との認識であり必要性を感じなかったのであろう、爆撃訓練区域指定についても韓国の米軍や米大使館には伝達されていなかった。このため、両大使館や韓国の駐留軍に混乱をきたすこととなった。1952年9月7日に韓国海軍司令官の竹島の学術調査要請に対し釜山にある米海軍司令官が調査の許可を行った。そして学術調査チームは9月12日に釜山を出発し15日に竹島で米軍の爆撃演習に巻き込まれた(避難し被害はなし)。駐日米大使館は許可の報に接し、極東司令部や海軍に対して、更なる許可を差し控えるように要請した。この顛末を記したのが、1952年10月3日に駐日米国大使館のスチーブス一等書記官から国務省に送付されたkorean on Liancourt Rocksである。なお、この中でスチーブスは「SF条約の日本の放棄地域に竹島を含めなかった」との認識を示している。

1.2.3 韓国政府の抗議と竹島を日本領とするアメリカの立場の再通告

ラスク書簡を知らされていなかった釜山にあった駐韓米大使館では竹島の主権が「未確定」という認識であった。また、韓国がSCAPIN677により日本が竹島の主権を有していないと主張していることや日米合同委員会での竹島訓練区域指定が日本の竹島の主権を認めることになるのではないかという懸念も本国に伝えている。

1952年10月16日 駐韓米大使館の駐日大使館宛覚書(国務省への同報)

当大使館は独島の領有権については国務省の見解に関する完全な情報を持ってないが、その地位が未決定であるように思える。(Although this Embassy is not in possession of complete information regarding the Department’s views on the ownership of Tokto Island (also called Dokdo, Takeshima, or the Liancourt Rocks), it appears that its status is unsettled.)

駐日米大使館の「korean on Liancourt Rocks」と駐韓米大使館の覚書に接した国務省は、ラスク書簡の内容と共に、SCAPIN677は日本の主権の永久な排除を意味しないこと、それ故日米合同委員会での竹島の爆撃訓練区域は正当化されることを伝える書簡を両大使館に送付した。

1952年11月5日 米国務省から駐韓米大使館宛書簡(駐日大使館にも同報)

国務省は、この島が日本に属するとの立場をとり、その旨をワシントンの韓国大使に伝えた。(中略)それ故、日米合同委員会によるこの島の日本政府の施設としての指定は正当化されます。(中略)SCAPIN677に基づく領土主張を韓国はしていますが、これによって日本がこの地域に主権を行使するこを永続的に排除したわけではない。(It appears that the Department has taken the position that these rocks belong to Japan and has so informed the Korean Ambassador in Washington.[…]The action of the United States-Japan Joint Committee in designating these rocks as a facility of the Japanese Government is therefore justified. The Korean claim, based on SCAPIN 677 of January 29, 1946, which suspended Japanese administration of various island areas, including Takeshima (Liancourt Rocks), did not preclude Japan from exercising sovereignty over this area permanently.)

1952年11月10日に韓国政府は駐韓米大使館に「韓国領の一部である独島。。。。」という文言を含んだ抗議文を提出した。この抗議に対して既に国務省からラスク書簡等について知らされていた在韓米大使は韓国外交部に以下の回答を行った。

1953年12月4日 駐韓米大使館から韓国外交部宛書簡

大使館は、外務部の通牒にある「独島(リアンクール岩)は・・・大韓民国の領土の一 部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月 10日付け通牒において述べられています。(The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry’s Note that ’Dokdo Island (Liancourt Rocks) …..is a part of the territory of the Republic of Korea.’ The United States Government’s understanding of the territorial status of this island was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk’s note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10,1951.)
※1953年7月22日 国務省北東アジア課の資料より

韓国国防部は、1952年12月27日に米空軍司令のウェイランドが竹島を演習の停止を通告してきたと発表し、韓国政府はこの通告をもって「アメリカが竹島の韓国による武今の領有を認めた」と主張している。この韓国国防部の発表は日本の国会でも取り上げられ米国に問い合わせを行った。駐韓米大使は韓国国防部の発表を「歪曲」と断じた電報を国務省に送付した。また、その電報には以下のような文書も付随していた。

1952年3月3日 駐韓米大使館から国務省宛電報

これから先の独島に関する如何なる情報伝達についても、大使館を通じて実施するつもりである。これにより、この島が韓国の管轄に従属していないするアメリカの立場に関する如何なる歪曲も不可能となる。(any future communications to ROK Govt relating to Dokdo…would be transmitted through the Embassy so that there can be no possible misconception as to the US position, which as we understand it is that this Island is not…subject to Korean jurisdiction.)

※原文未見。Mark S. Lovmoのサイトより

これら電報を受けて駐日米大使館は、日本に回答を行った。

1953年3月5日 参議院外務委員会・法務委員会連合審査会

下田条約局長:「この間の国防部の発表のありました直後に私アメリカ大使館員と会いましたのですが、念のため聞きますと、米大使館は一笑に付しておりました。これは余りにも明白な問題であつて取るに足らんという態度であつたのであります。<中略> 単に調査を求めて、そうしてその回答を待つておりましたが昨日回答がございました。内容はこれはただ軍で爆撃の演習を停止したというだけの事実の回答でありますので、追つて米国政府の見解はアメリカ大使館から正式にあることと存じます。」

また、駐日米大使は「American Embassy told the Japanese in a similar fashion that there was no evidence of General Weyland´s letter, and that there was no official American statement recognizing the Korean claim to Dokdo」と日本に口頭で回答を行った旨を3月17日に国務省に電報している。東グリーンランドの判例におけるイーレン宣言と同様に口頭であっても国家を代表する権限を有するものは法的な拘束力を有することとなる。

2. 既往研究や発表の検証

2.1 内藤正中氏

内藤正中氏は、サンフランシスコ条約後に米軍が竹島を韓国領として認めたとしている。

竹島=独島問題入門 内藤正中 pp.54

(韓国山岳会が竹島での米軍爆撃演習に遭遇する話) このため韓国政府は11月10日付けで米国の駐韓大使に再発防止を要請する文書を送り、12月24日には米極東軍司令から、今後独島周辺では爆撃演習をしないとする通報を受け、1953年3月19日の韓米合同委員会で演習地域の解除を決定した。以上の経緯からすれば、これら一連の措置は、在韓米軍が独島を韓国領として認めた上での対処ということになる。

まず最初に指摘しなければならないのは、内藤氏のいう「韓米合同委員会」は存在せず虚偽であるということである。竹島の演習地解除に際して米国が韓国との会議において決定したことはなく、米空軍のウェイランドが爆撃地指定解除に言及したとする韓国の一方的な主張が確認されるだけである。内藤氏の作為・不作為は別にして、結果的にこのような「でっち上げ」を流布させることは日韓双方にとって不幸なのではなかろうか。なお、内藤氏は共著の金柄烈氏の著作を引用したと弁明しているが、韓国政府や他の韓国人学者も言及しておらず内容も違和感があるものであり内藤氏の事実確認の杜撰さを指摘せざるを得ない。

また、内藤氏の事実認識にはもう1点、不信な点がある。先ほどの内藤氏の文をもう一度見てもらいたい。「韓国政府」「米大使」に宛てた要請について「米軍」から回答があり存在しない韓米合同委員会を経て「米軍」が韓国領として認めたとなっている。内藤氏は軍と政府/国家の区別ができていないのではなかろうか。大使(特命全権大使)は国家の代表者であり、国家を代表できない軍が大使の代理で返事をすることは国際法の観点から外交の慣習からもまずあり得ないし、実際に韓国政府の要請に対して米国務省内で日米合同委員会が法に基づくものとの結論を得た後、大使が1953年12月4日に韓国外交部へと公式回答を行っているのである。

1952年11月5日 米国務省から駐韓米大使宛書簡

(ラスク書簡の紹介)それゆえ日米合同委員会によるこの島の日本政府の施設としての指定は正当化されます。(The action of the United States-Japan Joint Committee in designating these rocks as a facility of the Japanese Government is therefore justified.)

1952年12月4日 駐韓米大使から米国務省宛書簡

我々が韓国外交部に今送った通牒の写しを送ります。最後の段落に11月27日付け国務省電報365号において示唆された、1951年8月10日付けディーン・ラスクの梁大使宛て通牒に言及する文言があります。(I am sending with a transmitting despatch, a copy of the note that we have just sent to the Ministry of Foreign Affairs which includes as a final paragraph the wording suggested in the Department’s telegram no.365 of November 27 and which refers to Dean Rusk’s note to Ambassador Yang of August 10, 1951.)

1953年7月22日 国務省北東アジア課

1951年8月10日の通牒を韓国へ出して以来、合衆国政府はこの問題に関し一度だけ追加的な伝達を行っている。これは、合衆国軍用機が独島を爆撃したとして韓国が抗議したことに対する応答として行われた。合衆国の1952年12月4日付け通牒は、次のように述べた。

「大使館は、外務部の通牒にある「独島(リアンクール岩)は・・・大韓民国の領土の一部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月10日付け通牒において述べられています。(”The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry’s Note that ’Dokdo Island (Liancourt Rocks) …..is a part of the territory of the Republic of Korea.’ The United States Government’s understanding of the territorial status of this island was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk’s note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10,1951.”)」

アメリカ政府は、「韓国領の独島」という韓国側書簡にある文言に対して、「アメリカの竹島に関する地位はラスク書簡のとおり(=竹島は日本領)」と反論しており、内藤氏の解釈とは全く正反対の立場であることがわかる。特に大使の書簡は国家の代表者としての公式回答であり無視しえるものではない。内藤氏はサンフランシスコ条約後の「米国との演習地指定の解除の決定」をもって「米国が領土と認めた証拠」としている。米韓ではなく、日米で竹島の演習地解除の決定を行った事実を、この内藤氏の論理に代入すれば、日米合同委員会の決定をもって「米国政府が竹島を日本領と認めた上での対処」ということになるであろう。(あくまで、内藤氏の独自の論理にあてはめただけで、国際法ではサンフランシスコ条約後にアメリカは竹島に関する権利を有しておらずその法的地位に影響を与えない)

なお、これら米国国務省の文書は、2007年の「竹島問題に関する調査研究 最終報告書」において塚本孝氏によって紹介されたものであり、内藤氏が塚本氏の論文を知らなかったとすれば情報収集の甘さ指摘しなければならない。しかしながら、私は内藤氏が作為的にこれら重要な文書を省略したのではないかという疑念を抱かざるを得ない。というのも同じ「竹島=独島問題入門」のpp.62において内藤氏はこの塚本氏の論文を引用しており、この北東アジア課の書簡だけを見逃したとは思えないからである。内藤氏は、『事実経過を詳細に見ていくだけでも、外務省の上記委主張が時系列的にみて整合性を持たないことは自明といわざるをえない』と指摘している。重要な事実(大使の公式回答)を見落とし、虚偽の事実(韓米合同委員会)を創作しては、事実経過も糞もない。この外務省への指摘はそのまま内藤氏本人への戒めとなろう。何れにしても、内藤氏の主張は基本的な事実確認さえできてない上に、国家と軍を混同させる等、プロパガンダレベルの品質と言わざるをえない。