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ヒロシマ国の掟?!

28.がんす、なんでその名に

写真:魚のすり身にパン粉をまぶして揚げる「がんす」はヒロシマ国の名物だ=広島市西区の「坂井屋」 拡大魚のすり身にパン粉をまぶして揚げる「がんす」はヒロシマ国の名物だ=広島市西区の「坂井屋」

 ヒロシマ国に赴任して2回目の食欲の秋。かき醤油(しょう・ゆ)、レモン、広島菜漬――。スーパーに並ぶご当地の逸品にも驚かない……、はずだった。つまみを求めて魚の天ぷらなどのコーナーを歩いていたら、広島ことばの「がんす」という名の商品を見つけて目が点。これもこの地のソウルフードなのか。

 どんな風に作られているのか。まずは工場見学へ。

 広島市西区の草津地区で明治後期から続く蒲鉾(かま・ぼこ)店「坂井屋」では7年前からがんすを作っている。高崎明彦社長(45)の案内で製造現場へ。暑い! 地元の市場で選んだ新鮮な魚のすり身を手のひら大の長方形に整えてパン粉をつけ、油でジャンジャン揚げていた。

 きつね色に揚がったできたてを一枚ほおばった。地魚のうまみに、甘さと香ばしさが溶け合う。タマネギと一味、焼きニンニクを練り込んでいるという。

 草津地区は昔から漁業のまちとして栄えた、という。地元、大崎水産の大崎桂介社長らによると、魚を原料に使う蒲鉾店も多く、戦後間もなく、がんすをつくる店もあったという。

 ただ残念ながら、当時からがんすで知られた網節(あみ・せつ)商店はすでに閉店している。「昔は小学校近くの駄菓子屋で売っていた。お菓子感覚で食べていた」と、地元の出野(いず・の)水産の出野守常務(51)は懐かしむ。

 一方、呉にも元祖がある。三宅水産では1950年の創業時から作っていたという。三宅清登社長(60)によると、父親らが魚のすり身に、タマネギや唐辛子を練り込み、当時は珍しかったパン粉をまぶして揚げることを思いついたという。

 商品名について、三宅社長は、はっきりとは分からないと断りながら、こんな話をしてくれた。

 製造に携わる人たちが、なじみのある商品名にしたいと知恵を絞った。地域でよく使う「〜ございます」を意味する方言の「がんす」と名づけることにした……。

 尾道市立大の灰谷謙二教授(方言学)によると、「〜がんす」は安芸地域の方言。広島市や呉で商品名にするのも納得だ。

 私の地元、関西には「御座候(ござそうろう)」という名の回転焼き(ヒロシマ国では二重焼き)がある。「お買い上げたまわり、ありがたく御座候」が由来だ。ひょっとして「がんす」の命名もこのノリ?

 食に国境なし。がんすは、対岸の愛媛県伊予市の「からき天ぷら店」でもロングセラーだ。愛媛と言えば宇和島市の「じゃこ天」が有名だが、店の人は「戦後間もなく、広島から働きにきた職人が広めたそうです」。

 広島でがんすは戦後、県西部の瀬戸内海沿岸のまちで生まれ、愛されてきた。スーパーや居酒屋のほか、お好み焼き店、おむすび店まで具材として仕入れている。おでんに入れてもいけるらしい。秋の夜、がんすをつまみに、一杯やるか。で、恥ずかしいが、やっぱり言わせてもらおう。「うまいでがんすのぅ」(清水謙司)

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