安倍政権が、秋の臨時国会に提出する特定秘密保護法案に、「知る権利」と「報道の自由」の明記を検討している。知る権利や報道の自由は国民の重要な権利であり、憲法で保障されたも[記事全文]
災害の現場で、子どもたちの命を守ることができるのは、すぐ身近にいる大人しかいない。その教訓を忘れずにいたい。東日本大震災で、宮城県石巻市の幼稚園児5人が死亡した。地震直[記事全文]
安倍政権が、秋の臨時国会に提出する特定秘密保護法案に、「知る権利」と「報道の自由」の明記を検討している。
知る権利や報道の自由は国民の重要な権利であり、憲法で保障されたものと考えられている。だが、その理念を法案に加えるからといって、それが実際に担保されるわけではない。
秘匿する情報の際限ない拡大を防ぐ具体的な仕組みがなければ、いくら「知る権利」を強調したところで、かけ声だけに終わるのは明白だ。
そもそも法案は数々の問題を抱えている。
秘匿対象は防衛、外交、スパイ、テロの4分野。行政機関の長が、国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがある情報を「特定秘密」に指定する。これを漏らした公務員らに対して、罰則として最長10年の懲役が科せられる。
何が特定秘密になるのか。法案別表で示すとしているが、概要段階での別表の書きぶりは漠然としている。防衛は「自衛隊の運用」、外交は「安全保障に関する外国の政府との交渉」――といった具合だ。
なんの制限もないに等しい。行政機関の長の判断次第でいくらでも、特定秘密に指定することができてしまう。
指定が妥当かどうか、チェックする機能はあまりにも乏しい。仮に行政内部で、指定に疑問を持つ公務員がいても同僚らに相談することはできない。国会議員も法案の対象になるので、秘密を知り得た国会議員は党内で議論することもできないことになる。
米国には秘密指定に関する「省庁間上訴委員会」という制度があり、情報保有者からの秘密指定に関する訴えの裁定にあたる。また、情報公開制度は、大統領の携帯メールの内容でさえ将来的には公開対象となるほど徹底している。
こうした仕組みを検討することなく、政権は「秘密保護」にひた走っているようにみえる。
「知る権利」を明記した情報公開法改正案が昨年、廃案になった。秘密漏洩(ろうえい)を阻止したいというのなら、情報公開も一対のものとして充実させなければならない。それでこそ、「知る権利」は担保される。
法案の概要をめぐって一般から意見を求めるパブリックコメントは、わずか15日間で打ち切られた。これだけ問題のある法案なのに短すぎる。
国民の懸念を押し切ってまで新たな法制化が本当に必要なのか。安倍政権は根本から考え直すべきだ。
災害の現場で、子どもたちの命を守ることができるのは、すぐ身近にいる大人しかいない。その教訓を忘れずにいたい。
東日本大震災で、宮城県石巻市の幼稚園児5人が死亡した。地震直後は高台にある幼稚園にいて無事だったが、その後乗せられた園のバスは海側へと下り、津波に巻き込まれた。
仙台地裁は、津波の情報に注意を払わず、バスを出発させた園側の過失を認めた。
幼い子どもは危険を避ける力が発達しておらず、園長らを信頼して従うしか自分の身を守れない。判決はそう強調した。大人の行動が命綱なのだ。
学校や幼稚園などの施設は、非常時に子どもを守る第1当事者として、どう行動すべきか。再確認してもらいたい。
あれだけの津波は予想できなかった、と園側は反論した。
だが裁判所は、3分間も続いた大地震を体感したのだから、防災無線やラジオなどで津波情報を集めていれば、バスを出すことはなかったと判断した。
園側の抗弁で気づかされることもある。不安がる子どもたちの対応に追われ、警報に注意が向かなかった。停電でテレビやラジオは使えず、電池でラジオを聴こうともしなかった。
パニック時に起きてしまうことかもしれない。だが、防災無線や電池のラジオで、次に迫ってくる危険情報を集めるのは、基本動作である。多くの子どもを預かる立場で、情報から取り残されることは許されない、との線が引かれた。
なぜ、子どもたちをバスに乗せたのか。園側は「一刻も早く園児を保護者の元へ帰してあげたかった」と説明したが、標高23メートルにある園はよほど安全だ。
皮肉にも園が宮城県から促されて作った地震対応のマニュアルでは、「園児は保護者の迎えを待って引き渡す」ことをルールにしていた。
だが、ほとんどの職員がその存在さえ知らなかった。マニュアル作り自体が目的化していたとしたら本末転倒だ。
すべての学校や施設に通じる問題でもある。宮城、岩手、福島の各県の幼稚園から高校までで、津波からの避難方法をマニュアルで決めていたのは半分にとどまるという。
災害時の子どもの安全を確保するためには、平時の冷静な判断にもとづく行動計画が欠かせない。
施設の立地と環境など、さまざまな条件を考慮してマニュアルを作ることを出発点に、不断に更新し、広く共有し続けていく責務がある。