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事件
【産経抄】9月19日
2013.9.19 03:22
[産経抄]
「暑い。失礼」。医療法人徳洲会理事長を務める徳田虎雄さんは、記者の目の前で、ワイシャツだけでなくズボンまで脱いだ。昭和54年7月の夕刊フジの「ひと・ぴいぷる」欄は、こんな光景から始まっている。創刊以来続くインタビュー欄に、半袖下着とパンツ一枚で登場したのは、この人ぐらいだろう。豪放磊落(らいらく)の人柄がにじみ出ていた。
▼鹿児島・徳之島の貧農に生まれ、3歳の弟が医者に来てもらえず死んだ経験から、医師を志す。「医療の荒廃」を目の当たりにして、やがて「年中無休、24時間オープン」を掲げる病院作りに乗り出した。当時は、関東第1号となる病院を神奈川県茅ケ崎市に建設中だった。
▼「医療革命の旗手」の「立志伝」は、この後も続く。活躍の舞台を政界に移し、「10年以内に総理大臣を」と豪語するまでになった。その徳田さんが、生涯最大の危機に直面している。
▼11年前に発症した、全身の筋肉が動かなくなる難病(ALS)によって、意思伝達の手段は目の動きで文字盤を追うだけに限られる状態だ。自分の代わりに首相に、と願う衆院議員の次男は今年2月、女性スキャンダルにより政務官辞任に追い込まれた。
▼さらに今回、昨年12月の衆院選で、徳洲会グループが次男のために組織的に選挙違反をしていた疑いがあるとして、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出している。関係者の証言によると、徳田さんが入院中の病院から指示を飛ばしていた。
▼かつて徳田さんは、茅ケ崎在住だった作家の故城山三郎さんとの対談でこう語っている。「どんなにえらい人でも、個人として死んでいく。自分の名誉を残したいと考え始めると間違うんですね」。今も間違っていないと、心の中で言い切れるだろうか。
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