私のこの動きに、匿名掲示板自体が揺れている・動揺してるのがよーくわかぞ。
見える。私にも見えるぞ。
もう、君たちの書き込みすらもすけて見えるようになってきた。
冷静にまじめに「常人」論を展開していた者。
私はこの者の「常人」を否定するつもりはない。それでいいではないか?君がそう思えば・・・。
だが、君は私の論を君に対する「否定」と感じているから反論している。
己が正当性を勝手に「否定」されていると思って、反論している。
結局自分の主張が正しいと思う「欲望」からくる投稿。匿名掲示板の投稿とは所詮そのレベルなのだ。
もう一度いう。私は君の言を否定しない。今までの私なら「否定」に必死になっていたのだろう。
しかし、今は本当に自然な気持ちでこの文章を書いている。君がそう思う事は否定しない。
だから、無理して・むきになって「反論」しなくてもいい。君は君なのだから。
猛虎というもの
君は君の考えで好きなことを書けばいい。なにも「猛虎」などという大げさなHNで書き込まなくてもいい。
猛虎というHNで、私への反論・反発を無意識にしているのだろう。すけてよーく見える。
関西のものだろうか?同じ関西人が私の活動、人権侵害をした者の標本を作ろうとしていることにが許せないのだろう?
昨日の私なら、君と同じように相手を「論破」してやりたい。そう思っていたであろう。
だが、不思議と今は敵意すらも感じないのよ。匿名掲示板を利用したければいい。語りたければいい。
それでいいではないか?何もむきになって「反論」しなくてもいい。ただ、人権侵害的な発言にエスカレートしなければそれでいい。何も「猛虎」などという「いかめしい」HNをわざわざ、その大掲示板に打ち込まなくてもいい。言いたいことを人権侵害などを犯さない範囲であれば、自由に書けばいいだ。
匿名掲示板とはそういう場なのだ。リアルな会話やディベートを行おうとしても、絶対にそれはできない場なのだ。そのように今の掲示板が私に訴えかけている・すけて見える・動揺していると感じるようになった時、不思議と、一つ一つの書き込みに対する「反論」とうものが永遠と続く場でしかないことに気付いた。
だから不思議と「論破」してやりたいという俗っぽいものも感じなくなった。掲示板というの機能の限界がすけーて、よーく見える。だから不思議と腹の立たない。
私は単に人権侵害をしている者・する者を徹底的に叩くというより、ここで私なりの主張を実践する為に、
そういう者たちを、私の思うままに・活動したいままにすればいいのだと感じている。
なんというか、解脱したような感じだろうか?非常に自然体で、今文章を書きこんでいる。。
素直な気持ちで書きこめている。
人権侵害をおこなった者を可能な限り、標本として公表することによってネットの健全化に資する。
ネット上の人権侵害事案を数十件経験することで、ナレッジをため、それを後に伝え、現状の法的に合わない部分は合わない部分で、時代の流れに合わせてもらうように働きかけ、後々の同様な被害があった時に、被害者が越えなければならないハードルが少しでも下がるように、ナレッジをためればいい。
今、怒りの部分と社会に資する部分が、自分の中で完全に分化して、今投稿している自分は後者だけの存在になっているという自分をごく自然に感じている。
ただそれだけである。
そういう自分だと、不思議と匿名掲示板の投稿一つ一つに目が奪われることなく、匿名掲示板自体があたかもブラウン運動しているかのように透けてみえる。不思議な感覚である。
とにかく、自分の思ったままに進んでいけばいい。犯罪にならなければ。相手がどう思うが関係ない。
素直な自分に素直になる。そういう感覚である。