本音の、忌憚なき対話の渦を創価学会内において、一切の形式を排して起こしていくべき時が来ている
創価学会は政治にかかわり続けるべきなのか。
創価学会は公明党を支援し続けるべきなのか。
難しい問いかけだ。
むしろ、創価学会の中においてはほとんど問題提起されることのないテーマだといえよう。
しかし、そのことに私たち一人ひとりが考えていかなければならない時が来ている。
創価学会は公明党を支援することにより政治へのかかわりを持っていくという方針を長きにわたって続けてきた。
創価学会が政治に関与したことが、広宣流布という大きな流れにおいて、必然のものであったのか、または挫折とつまずきの経験となるかは、遠い将来において判断されるべきものなのであろう。
しかし現状において、私たちは公明党を支援する立場にある以上、そのあるべき姿、理想的な形を求めていかなければならないことは言うまでもない。
私たちは何としても、政治の理想というものを私たちの切実なる思いをもって(あくまで現時点において)公明党に託し、そこに見い出すための努力をしていくべきなのだ。
そのために必要なことは何か。
それは私たちは何のために勝たなければならないのかという根本的な問いかけだ。
その問いかけなしに、公明党を支援することは決して懸命な政治へのかかわりとは言えない。
自らにまず、問いかけてみるべきだろう。
「私たちはなぜ、公明党を勝たせなければならないのか」ということを。
この根本的な問いかけを内的に充実させればさせるほどに、支援の戦いの勝利を力強く引き寄せることができるはずであろうということを。
いぶかしがる人がいるかもしれない。
「座して瞑想にふけっていてもことは何も進まない。ただ行動だけが物事を前進させることができるのではないか」と。
こうした指導性は一面その通りだが、半面において、重大な欠点を抱えている。
本来、仏法が最も重視する内的充実、つまりソフト・パワーが育ちにくいという問題だ。
ソフト・パワー、つまり内発の力が十分に蓄えられない、つまり何も考えることがないままに、「勝つため」の戦いに臨んでも、途中で息切れをしたり、思うような戦果を得られないことに気持ちに焦りが生じたりするものだ。
「勝つ」ことは目的ではない。
「勝つ」ことは手段に過ぎない。
本当の目的は全く別次元のところにあるということに気づかせてくれ、さらに常に励ましを送ってくれる存在――それこそ、ソフト・パワーなのだ。
ソフト・パワーといえば、改めていうまでもなく、かつてSGI会長がハーバード大学で行った講演「ソフト・パワーの時代と哲学」のテーマだ。
創価ルネサンスの理念のもと、創価学会はソフト・パワー充実の道を目指す――との世界に向けた決意の披瀝であったことを、この講演に多くの人が見い出した。
ところが、この約20年の間、この師の魂の呼びかけに対して、私たち弟子は何もなすすべがなかった。
師が世界に示し、私たちに求めたソフト・パワーの創出、そしてこのソフト・パワーを生かした価値創造への挑戦を可能とする唯一の方法が同志間における対話である。
今、私たちにソフト・パワーを育てる対話が不足している。
政治学習の必要は一切ない。
政治について意見を交換する対話が必要だ。
本音の、忌憚なき対話の渦を創価学会内において、一切の形式を排して起こしていくべき時が来ている。