「大学生を狙った「悪徳投資ビジネス」に学ぶ「搾取の技法」」にも書きましたが、悪徳商法にだまされる若者が多いそうです。
被害に遭う人たちって「ヤバい人」を直感的に見分けることができない人たちなんでしょうね。ぼくは人間に対する嗅覚はそれなりに強い方なので、ヤバい人の見分けるコツを文章化してみました。
小さな嘘を常習的に付く
ほとんど無意識的にウソを付く人はヤバいです。彼らは大きなウソも付きますが、むしろ問題なのは、「そんなことウソ付いてどうするの?」と思ってしまうような、本当に些細なウソです。
そういうウソ付きたちは、自分をその場その場に応じて演出しようとしているのでしょう。自分の現実の行動よりも、高い自己イメージが優先するので、小さなウソを付く、と。もはや本人は、ウソを付いていることに気づいていないのかもしれません。こういう人の近くにいると、大いに振り回されることになります。
悪いことを平気な顔でする
ヤバい人というのは、根本的に善悪感覚が欠如しているか、歪んでいます。普通の人は「ウソを付くのは悪いことだ」と知っているわけですが、小さなウソを平気で付く人たちは、そういう基本的な倫理観のレベルでズレがあるのでしょう。
たとえば、悪徳商法の手先になっている学生は、「人をだますのは悪いことだ」という当然の認識を歪め「人をだますのは『仕方がない』ことだ」と考えているとか。彼らは「弱肉強食」という論理を持って、同じ若者から搾取することを正当化しているのです。
・レジの店員を怒鳴る
・攻撃的な運転をする
・ポイ捨てをする
・ルール違反をする
・他人を罵る
・他人をだます
・他人を裏切る
などなど、普通の人がやらないような悪行を、「平気な顔」でやってのける人は要注意です。
責任をなすり付ける
彼らは徹底的に責任をなすり付けます。善悪感覚が歪んでいるため、彼らは「自分が悪い」と考えることがありません。それこそ、悪徳商法に手を掛けている人々は「だまされる奴が悪いんだ」と考えているわけですから。
彼らは採算度外視で誰かを助けることをしません。身近な誰かが苦境に陥っていたとしても、「そんなの自業自得だろ」という態度をどこまでも貫きます。こういう愛のない人の近くにいてもろくなことがないので、なるべく距離を置きましょう。
恩を売りたがる
とはいえ、彼らもまた社会に生きている存在ですから、たまには他人のことをケアする必要性(たとえば「部下を持つ」「身内を看病する」)に駆られます。彼らは意外と社会に対する順応性が高いので、そういうシーンにおいては適切なケアを提供することができます。
しかし、彼らはそのケアに掛かった「負担」を決して忘れません。「自業自得なのに、世話をしてやった」という気分で、彼らはケアの相手に接することになります。
ひとたび彼らの支配から逃れようとすると、本当は大したケアを与えていなかったとしても、「世話をしてやったのに、恩を忘れたのか」と憤慨されることになります。
感情によって相手を支配しようとする
もう少しメタレベルで語れば、ヤバい人というのは、誰かを支配したがります。その手法は、大抵の場合「感情」を巧みにもちいるやり方です。
オレオレ詐欺などに見るように、彼らは人をだます際に「人情」に訴えかけます。人を支配するために、ときには「嘘泣き(同情)」を取り入れることもあります。または、本当は愛なんて微塵もないのに、「仲間意識」や「愛」を強調することもあります。自分の立場が悪くなると、彼らは「怒り」で相手を支配しようとします。
ぼくらが自然に持っている感情を、彼らは他者支配のツールとして利用します。彼らの感情の使い方に注目しましょう。それが「常に」他者に向けられたものに見えるのなら、要注意です。
ただ、上記に書いたことは「程度」の問題でもあります。誰でも「ある程度」は、ウソは付きますし、悪いことはしますし、責任はなすりつけるし、恩は売りたがるし、感情によって相手を支配しようとします。
ただ、ヤバい人というのは、この「程度」が踏み越えてはいけないラインを逸脱しています。すなわち、普通の人だったら「罪悪感」を抱いて抑制してしまうような行為に、平気な顔で手を出すことができてしまうのです。
その意味で、もっとも根本的な見分け方としては、彼らの「罪悪感」に着目するのがよいのかもしれません。悪いことをしている自覚がそもそもあるのか。自覚がある場合は、どのような理屈で罪悪感を乗り越えているのか。違う切り口でいえば、「なぜ」彼らは悪いことをしているのか。難易度は高いですが、それらを読み取った上で、距離を取るか否かを判断するのがよいでしょう。