ソウル市城北区は区内にある弥阿里峠のユネスコ世界遺産登録を目指している。城北区は先日「停戦協定60周年記念・弥阿里峠の夜」と題されたイベントを開催。区長はあいさつで「悲劇と平和が共存する弥阿里峠は世界と共有する価値が十分にある」「世界文化遺産への登録に向けタスクフォース(TF=特別作業班)を立ち上げたい」などの構想を発表した。
ユネスコは1972年から「人類の普遍的かつ優れた価値を持つ各国の不動産文化財」を世界遺産として登録し、後世に残すようにしている。現在、全世界に981の世界文化遺産が登録されており、韓国では1995年に仏国寺の石窟庵、八万大蔵経、宗廟が一度に登録されたのを皮切りに、これまで10件が登録されている。
韓国戦争(朝鮮戦争)初期、弥阿里峠は韓国軍と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の間で激しい戦闘が繰り広げられたソウルの要所だった。また仁川上陸作戦で朝鮮人民軍が後退する際には、北朝鮮に連れていかれる知識人たちが家族に最後の別れを告げる涙の場所にもなった。「あなたは針金で両手をきつく縛られ」という歌詞で知られる『断腸の弥阿里峠』で歌われているように、この地は苦難に満ちた韓国の現代史を思い起こす象徴として韓国人の心に定着している。
ただこのように悲しい歴史を持つとはいっても、実際に世界遺産に登録できるかとなると、はなはだ疑問が残る。ある集団の記憶に残る出来事と、ユネスコが掲げる物理的な実体としての文化遺産は異なるからだ。現在の弥阿里峠で韓国戦争当時の痕跡や面影、例えば交戦時の銃弾の跡や実際に多くの韓国人が連行された砂利道、あるいは避難民が身を寄せた洞窟などはもうこの地にはない。だとすれば城北区は何を世界遺産に登録しようとするのだろうか。存在しないものを新たに作り上げるとか、復元した上で申請するのであれば、一体どれだけの予算や時間が必要になるだろうか。
今年5月にユネスコは日本が申請した鎌倉の世界遺産登録を認めなかった。鎌倉は奈良や京都と並び日本政府が古都保存法を制定して保存してきた歴史的都市だ。日本は1992年に世界遺産条約の締約国となったが、それ以来鎌倉は日本で初めて世界遺産の登録に至らなかったため、日本人は非常に失望した。鎌倉の世界遺産登録を認めなかった理由についてユネスコは「日本を超える顕著な普遍的価値を証明できていないため」と説明した。
韓国の文化財庁は南韓山城など15件を、ユネスコの世界遺産登録推進リストに相当する「暫定リスト」に登録している。しかしこの中から1年に1件を実際に世界遺産に登録しようとしても、15年はかかることになる。しかもその中には本当に世界遺産になれるか、どう考えても疑問に感じられるものもあり、また同じようなものが重複しているケースもある。さらに、地方自治体や関連団体も一種の流行のように世界遺産登録を目指しており、そうしたものまで合わせると、件数ははるかに多くなる。
どの国も自国の文化財を世界遺産に登録し、文化面で誇りを持とうと努力することは当然で理解もできる。しかしそれが度を超して無理が伴ったり、あるいは登録が重要か文化財が重要か分からなくなったりするようでは困る。蔚山の盤亀台岩刻画は今も1年の半分以上は水に浸かったままだ。文化財庁は2010年に盤亀台岩刻画を世界遺産の暫定リストに登録したが、これを保護するために堤防を築くことに関しては「周辺の自然環境を変質させ、世界遺産登録にむしろ障害になる」として反対している。
ユネスコ世界文化遺産への登録は一種の勲章というよりも、むしろその国に保護義務が課されるというのがその実態だ。世界遺産への登録により人類共通の価値が認められる文化とは何か。この点を今一度あらためて考え、さらにわれわれの身近にある文化遺産を普段からしっかりと保護し、継承する姿勢を持つようになれば、それだけでこの制度の意味が生きてくるはずだ。