高校無償化 教育の機会均等損なうな
自民、公明両党は、高校授業料無償制度に所得制限を設けることを決めた。秋の臨時国会に法改正案を提出し、2014年度から実施する方針だ。
高校授業料無償化は当時の民主党政権の目玉政策として10年4月に始まった。公立高校生の授業料(年間約12万円)は徴収せず、国が負担する。私立高校生は同額の「就学支援金」を学校に支給し、生徒が支払う授業料の一部と相殺する制度だ。世帯の所得による制限はない。
自民党はこの政策を「ばらまき」と批判していた。そこで無償化の対象を年収910万円未満の世帯とすることで公明党と合意した。所得制限により全体の22%の高校生が対象外となる。
これによって年間約490億円が捻出できるとし、低所得世帯を対象にした返済義務のない奨学金の創設や、私立高校生への就学支援金拡充などの財源に充てるという。
所得格差が広がる中で、低所得層への支援をより手厚くしようという考え方は理解できる。だが、年収910万円で線引きする根拠がはっきりしない。年収が基準をわずかに上回る世帯などには不満が残るだろう。
高校授業料の無償化はすでに定着している。制度を変えるならば、混乱を招いたり、不公平感が強まったりしないように、もっと丁寧な説明が必要だ。
そもそも、高校授業料の無償化は、家庭の経済状況にかかわらず、すべての子どもに等しく教育を受ける機会を提供することが目的だ。
先進国をみると、高校だけでなく大学の授業料まで、無償か少額にしている国が多い。奨学金制度も充実している。
国際条約として160カ国が結んでいる国際人権規約(A規約)でも、大学や高校は「無償教育の漸進的な導入」が求められ、多くの国が実現した。高校授業料の無償化は世界の趨勢(すうせい)ともいえる。
とりわけ、日本では98%の子どもが高校に進学する。義務教育の小、中学校と同様に社会全体で支えていくべきだ。
ところが、経済協力開発機構(OECD)の調査によると、日本の国内総生産(GDP)に占める教育予算の割合は、先進30カ国の中で、4年続けて最低の水準である。
今回の自公案も、予算の枠は現行のままで、配分を変えようというものだ。安倍晋三政権は「教育再生」を掲げるが、教育の機会均等という理想からは後退していると言わざるを得ない。
国の財政が厳しいのは承知しているが、言い訳にはなるまい。教育を国家の根幹と捉えるならば、知恵を絞って財源を確保し、将来を担う人材を育てるのが政治の役割ではないか。
気になるのは、保護者の所得に応じて、クラスの中に授業料を払う生徒と払わない生徒ができることだ。子どもたちに無用な負担を感じさせないよう、現場にも配慮を求めたい。
=2013/09/17付 西日本新聞朝刊=