アンチコンピュータ戦略(128)

公式戦の定義は難しそうだが、渡辺竜王-Bonanza、清水女流六段-あから2010、電王戦(1、2回)が公式戦のくくりになるのだろうか。
だとすると、コンピュータ側から見て、●○○●○○持○で5勝2敗1持かな。

1920年に定められた大日本体育協会の陸上競技規則では、郵便、新聞、牛乳の配達員、魚屋などは「準職業競技者」として、参加資格がなかったと。
1924年には廃止されたそうだが、制定の際、妥当な趣旨に基づくと思っていた運営者はいたのだろうか。

ところで、かけっこで人間が車に勝てないのと同じように、将棋で人間がコンピュータに負けても恥じることではないのですよ、という「車と人間の競走論」が主張され始めたのは、そう古いことではない気がする。
どう変遷してきたのか、まとめてみたい。


アンチコンピュータ戦略(127)

区域Ⅲ、すなわち複雑形式のシステムは、最も定義が困難であり、人工知能分野の誤解と困難のほとんどがここから出ている。この区域に属する振舞いには、原理的には形式化可能だが、事実上は手に負えないものがある。要素の数が増すにつれて、必要とされる変形の数は当該の要素の数を指数にとる形で増加する。「複雑形式」という表現を用いたように、この区域は、実際には完全枚挙アルゴリズムによって取り扱えないシステム(例えば、チェス、囲碁)を含んでおり、したがってヒューリスティック・プログラムを必要とするのである。

(中略)区域Ⅲにおけるヒューリスティック・プログラミングが、周縁意識、曖昧さに対する耐性、本質的なものと非本質的なものの識別などを必要としないで、どこまで成功を収めるか、これは経験的問題である。ところが、われわれはすでにそのような方法の困難を示す豊富な証拠を見てきた。チェスのチャンピオンを生み出すことも、いくつかの興味深い定理を証明することも、言語を翻訳することも失敗に終わり、GPSは破棄されたのである。

(1972年刊、ヒューバート L. ドレイファス『コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判』)

ここでの「GPS」とは東大のGame Programming Seminarではなくて、General Problem Solver


アンチコンピュータ戦略(126)

次回電王戦の予選は、私は別の予定があり他のメンバーの意向や予定は把握していませんが、GPS将棋開発チームからは誰も申し込まない可能性もありそうです。
――(元)駒得少年の冒険

GPS(1/677)が真価を発揮できない場面は正直あまり見たくなかったので、出場しないという選択もありなのでは、と思う。


ばか詰(3)

bk_02神無三郎さん作のばか5手詰。「答えを教えて」と人に問われて、恥ずかしい思いをした。ようやくにして今日、正解手順がひらめいた。(以下解答)

bk_02_3初手は絶対に続かないと思われた▲3四桂。以下△2三玉に▲2二桂成が好手。

bk_02_5考えられる王手をすべて考えたつもりが、この手が抜けていた。△1三玉と端に押しつけてから、▲2三角成まで。わかってしまえば何てことはないのだけれど・・・。いや、お恥ずかしい。自分の頭の固さにあきれるとともに、悩んだ分だけ感動しました。


アンチコンピュータ戦略(125)


「正直言って、第3回は、プロが与えられた期間で、事前提供された、ソフトへの対策が取れるか、という話になる」
「当日はその解法のお披露目会だ」

「羽生さんが負けたら、もう勝てないんだという印象が強くなる。実際はどうであれな。だからレギュレーションを制定したんだろう」
「それでも、情報技術の進歩からすれば、時間稼ぎという感じもしなくもないですが」

「コンピュータ将棋側は目的の為、進歩しただけなのに、目的外の基準を提示されて困るって感じですか」
「第2回電王戦が終わった後、GPS将棋の667台クラスタに対する文句もあったが、あれも似たようなもんだな」

(【人工知能】ゆっくりをねらえ!技術的特異点講座 補講2)

電王戦開始前には展望とともに、ルールに関する意見も問う本音の討論番組があれば面白いかな、と思ったり。

GPS100万円チャレンジの際には、2日目午前に100万円獲得者が2人出た後で、運営側があまりに正直に本気モードにスイッチし、ソフト、ハード両方の性能が上がった。
参加者の一人としては笑ってしまうとともに、「まあ、当然だろう」とむしろ清々しい思いがした。


アンチコンピュータ戦略(124)

海堂 でも、相手はガンダムなんですよ(笑)。だから、殺し合いをする必要はまったくないと思うんですよ。人間のよさとコンピュータのよさを出し合えば、将棋がより楽しく、豊かになるはずなんです。それでも殺し合いをするなら、「人がコンピュータに勝つ方法」を考える。今回、負けているんですから、逆襲ですよ。三浦先生が武蔵の格好をして果し状を持っていき、「一台で勝負を」「最低一ヶ月はソフトを貸し出せ」という条件を突きつけるんですよ。だって相手は、三浦先生の棋譜も含めて、十分な研究をしているんですから。棋士の先生方は盤外戦が弱すぎます(笑)。やはり「コンピュータを600台も繋げるのは、アンフェアだ」と言わなければいけなかったんです。電王戦を推進したのは米長先生ですよね。米長先生は盤外戦が大得意だったじゃないですか。

(徳間書店『ドキュメント電王戦』)

いろいろ反応したくなるのだが、とりあえずざっとスルーして。

海堂 (前略)今回の電王戦のルールは、一対一の格闘技で、後ろから殴りかかる三人目がいるようなものだと思いますよ。

そんな見方もあるのですね。

ところで「沼田家記」に残る記述では、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は、あまり気持ちのいいものではない。
両者ともに弟子を連れてこないはずが、武蔵の方だけ弟子がついてきて、隠れていた。
試合をして小次郎は打たれたが、生き返りそうになった。
そこで武蔵の弟子たちが小次郎を打ち殺してしまった、と。

今となってはもちろん、「沼田家記」が正しいのか、「武公伝」や「二天記」が正しいのかは、わからない。
虚実入り混じった記録や言い伝えの中から取捨選択して、それぞれの武蔵像を作るしかないのだけれど、自分の認識では、武蔵はもちろん剣の達人ではあったのだろうが、まず何より生き残ったこと、そしてセルフプロデュースの巧みさで後世に名を残したのだと思っている。

武蔵は試合に先立って常に細心の用意をしている。時間をおくらせて、じらしたり、逆をついて先廻りしたり、試合に当って心理的なイニシアチヴをとることを常に忘れることがなく、自分の木刀を自分でけずるというような堅実な心構えも失わないし、クサリ鎌に応じては二刀をふりかぶるという特殊な用意も怠らない。試合に当って常に綿密な計算を立てていながら、然し、愈々試合にのぞむと、更に計算をはみだしたところに最後の活をもとめているのだ。

(中略)然しながら、武蔵には、いわば悪党の凄味というものがないのである、松平出雲の面前で相手の油断を認めると挨拶前に打ち倒してしまったりして、卑怯といえば卑怯だが、然し悪党の凄味ではなく、むしろ、ボンクラな田舎者の一念凝らした馬鹿正直というようなものだ。

(坂口安吾『青春論』)

卑怯も何もない、やらなければやられる、何で勝っても勝ちは勝ち、というのが武蔵が生きた時代のリアルだったのだろう、という気はする。

  


アンチコンピュータ戦略(123)

当時はクラスタずるい論、合議ずるい論、ソフト貸し出しなしはずるい論などは、あまり聞かなかった気がしますね。
4手目△3三角決め打ちも、ずるいという声は聞かなかったような。

米長-ボンクラーズ戦の際は、「お互いに一番いい条件下で指す」と。
その上でハードに関する制限は、将棋会館の電力の上限が4000Wだったので、使用できる電力は70%の2800Wに設定されたと。
その理由ならばなるほど、そういうものかと納得できる気もする。
そして将棋会館の外で動くクラスタは、電力の制限などは当然関係ないと。

普通の人間は二郎は1日2杯までしか食べられないし、それで軽く成人男性の一日分の標準摂取カロリーをオーバーするから、そのあたりの値で制限する、当然大ダブルではなく小豚だ、野菜とにんにくぐらいはノンカロリーに近いからマシマシでもいい、となれば、なんだかしょぼいな、と感じるだろう。

全盛期の加藤一二三-米長邦雄のタイトル戦で、加藤がカルピスをジャーに2本頼めば、米長は盤側にみかん100個を積ませて全部食べた、というような故事があったと思う(記憶曖昧)。
互いにけん制しあって、カルピスはコップ1杯にしろ、みかんは2個までにしろ、とクレームをつけ合うような話だったら、やはりしょぼいと思うだろう。

soft_197GoldPona十段は現在1857勝48敗 (.974)。人間側にとっては実質、トライを目指すだけのゲームになっている。自分はGoldPonaが負けた将棋だけチェックしている。先ほど初めて、GoldPonaが詰まされて負けている最終図を見て、ちょっと驚いた。自分はいま弾丸(3分切れ負け)は指していないが、HashiPona九段(現在は八段)相手ならば、玉を詰まして勝ったことがある。金ポナ相手に立ち技で勝負してみたくもあるが、それでは何度やっても、奇跡は起きないだろう。

soft_198198図は▲ボンクラーズと△塚田九段の対局より。ここで後手が投了しているのは、相手の指し手を確かめたので中断、ということだろう。銀ばさみはソフトがはまる弱点のひとつだが、うちのGPSに検討してもらったところ、△3五歩▲3七桂で、なんとかなると。以下どこかで△4四歩を打ってきたら、▲3五角△4五歩▲5三角成△同金▲7一角△5二飛▲4五桂と、猛攻をかけると。

soft_199199図、▲9八歩は初めて見た筋。以下は△同歩不成▲同香△9七歩▲同香△同角不成▲同桂△7五歩と進んで、よくある進行に。


アンチコンピュータ戦略(122)

早速並べている。
塚田九段から見て5勝9中断33投了という成績のようだ。
投了の中には負けではないが中断で終了、という内容も含まれている。
第3回電王戦でも、練習で指した棋譜は保存して、終了後に公開という流れになれば、とても参考になると思う。

入玉の棋譜はないようです。塚田さんの発言等からして、入玉がないのは妙だなと思い、連盟に問い合わせたところ、「棋譜は渡したのが全て。ボンクラーズの前にツツカナを借りて指しており、ツツカナが全然入玉してこなかったので、『コンピュータ将棋は入玉しないもの』と思い込んでいた。ボンクラーズ相手に入玉を試したことはなかった」との回答でした。

えっ?


アンチコンピュータ戦略(121)

私は開発者の発言を読んだ時、「五十歳にもなって、教養がないんだなァ。相手にするだけ無駄だわ」と思った。
むろん、開発者としては、人間に圧勝するソフトを開発することは第一義だ。しかし、衆目が集まる中で戦う以上、少なくとも将棋界の精神文化を、ザッとではあっても学んでおこうと思うのが、その人の教養というものだ。この五十歳男性は、「将棋」という相手の舞台で開発の仕事をしながら、その文化や伝統、歴史などにはまったく無関心だったのだろう。とにかく強いソフトを開発することに心血を注いで来たのだろう。だが、たとえそうであっても、相手への敬意として文化や精神を学ぶ姿勢が教養というものだ。

(中略)こういう抑制の精神は、将棋、囲碁のみならず、柔道や相撲などの武道にも、日本独特の文化として共通する。「中高年」と呼ばれる年齢になってもなお、それさえ知らぬ人に腹を立てたり、泣いたりするのは無駄以外の何ものでもない。
(内舘牧子『将棋世界』2013年7月号)

将棋世界、電王戦に関するエッセイへの反応まとめ(togetter)

自分が思ったことをメモしておくと。

・他者を「教養がない」と断じる書き手から、「教養」なるものを感じるのは難しい場合が多い。
・他者に「文化」「伝統」「歴史」を学べと主張する書き手から、それらが反映された深み、格調の高さなどを感じるのは難しい場合が多い。
・他者に「敬意」が感じられないと非難する際には、たとえ自身の無知から非難する人物の価値が理解できなくとも、一片でも敬意を示しておいた方が、説得力が増す。
・もしかしたら筆者は、われら凡愚には理解できないクラスの、素晴らしい人格の持ち主なのかもしれない。
・異なる価値観に対して「相手にするだけ無駄」と思わせることを重視してこの論調なのであれば、その試みには成功していると思う。


アンチコンピュータ戦略(120)

海堂 最初に第5局の感想を言わせていただくと、「コンピュータを677台も繋げるのはずるい」というものでした。ずっと、公平を期すなら「人間は一人なんだからコンピュータも一台。それで処理に時間がかかれば時間切れで人間が勝つかも」と思っているのですが、そのような発想はなかったですか。

三浦 「GPS将棋」は2012年のコンピュータ将棋選手権で約800台を繋げて優勝しています。それが認められている以上、われわれ棋士に「ずるい」という感覚はありません。

海堂 分かりました。僕は真っ先にそういう方向に頭がいってしまうので(笑)。

三浦 将棋の伝統に、棋士は言い訳をしてはいけないというのがあります。最初から、GPSが実力を発揮するのは何百台も繋げた状態だということは分かっていましたから、抵抗はなかったです。

(徳間書店『ドキュメント電王戦』)

何度も同じようなことを書いている気がするが、「クラスタずるい論」は自分にとってはあまりなじみのなかった感覚で、非常に興味深い。
将棋における「ずるい」「卑怯」「卑劣」という感覚は、時代とともに変遷していて、そのあたりもまとめると面白そうだ。

「棋士は言い訳をしてはいけない」というのは、時代を経ても変わらぬ美学か。