koumura.net Masahiko Koumura official web site「日本の未来」への安心 ー「改革」に魂をー衆議院議員 高村正彦 こうむらまさひこ
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平成25年9月11日  NEW!

 シリアの化学兵器に対するロシア提案だが、シリアが同意をし、アメリカも評価している。国際社会も一定の評価をしている。実際に化学兵器を破棄するまでは、かなり困難で、長い道のりを伴うが、それでも時宜を得た提案だった。ただ、この提案によって、シリアの暴力が停止されるわけではないし、人道状況が改善されるわけでもないわけだから、暴力の停止、人道状況の改善、あるいは新政府の樹立まで含めた国際的話し合いに入ることが必要だ。

 国際社会の大半は、アサド政権は退陣すべきだという意見だが、これを暴力で打ち倒したとしても、より良い政府が生まれるかどうかに確信があるわけではない。それと同時に、アサド政権を擁護する側も、アサド政権がいい政権だ、永続して欲しいとまで言っているわけではなさそうだ。
 話し合いの余地はある。困難ではあるが不可能ではないので、この化学兵器に対するロシア提案をきっかけに、全体的な話し合いに、国際社会あるいは国内はもちろんだが、そういう話し合いに入ってもらいたい。

 

 

平成25年9月4

 集団的自衛権の話だが、例えば、日本の平和と安全に重要な影響を与えるような事態が発生しているときに、アメリカの船が日米安全保障条約に従って就航している。その近くを日本のイージス艦が通っていた。第三国がアメリカの船を攻撃する。それを日本のイージス艦が察知して、防ごうと思えば防ぐことができたが、憲法上問題があるといって防がなかった。そしてアメリカの船は沈没した。
 そういう場合になると、日米安全保障条約は事実上そこでストップする。その後に第三国が日本を侵略してきたときに、アメリカの世論は、アメリカの青年が血を流して日本を守ることを許さないだろう。そういうことであると、アメリカの船をそこで守るというのは、日本の生存を守るための必要最小限度のことである。
 その日本の行為は集団的自衛権に当たるわけだが、日本の生存を守るための必要最小限度の行為は許されるのではないですかというのが今の議論だ。

 それに対して、集団的自衛権は認められないと今まで言ってきているのだから、解釈改憲は安易にすべきではない。やるのであれば憲法を改正してするのが本筋だという意見と、国連憲章で個別的自衛権とともに集団的自衛権が与えられているのだから、必要最小限度などと言わずに、まるまる認めてもいいのではないかという意見がある。
 憲法第9条2項には、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないと書いてあるわけだから、文言通り読めば、集団的自衛権といわず個別的自衛権だって許されないのではないか、自衛隊は憲法違反ではないかという議論は、当然出てくる。
 これに対して、主権国家は自分の生存を守るために必要最小限度のことをするのが許されないはずはない、そんなことを規定するはずがないという、ある種の自然権的な考え方で、必要最小限度は良いよというのは、日本政府の従来からの考え方だ。その時に、内閣法制局の人達は非常に優れた法律の専門家の人達がそろっているが、安全保障の専門家ではないわけで、「個別的自衛権なら常識的に良いでしょう。集団的自衛権だったら最小限度とはいえないのではないですか」という解釈をしてしまったが、これは論理の飛躍で、集団的自衛権の中にも必要最小限度のものがありますよということが分からなかった。だから憲法解釈からいえば、文言にもかかわらず必要最小限度のものは許されますよというのが、憲法解釈の根本だ。
 それをあてはめる場合に、十把一絡げに個別的自衛権はいいですよ、集団的自衛権はダメだよというのは、これは当てはめの問題なのだ。本当は一つ一つの事象について、これは必要最小限度かということを決めていかなければならないのに、個別的自衛権はいいよ、集団的自衛権はダメよと十把一絡げにしてしまった。だから、集団的自衛権の中にも必要最小限度のものがあるよというのは、憲法解釈の根本的変更ではなくて、この事象は必要最小限度になるかならないかという当てはめについて、今まで十把一絡げに集団的自衛権は必要最小限度に当てはまりませんねと言っていたことに対して、そうではないよという、当てはめの変更にすぎない。こういうことで、それは許されるのだろう。
 今4類型と言っているが、4類型にかかわらず、必要最小限度のものが他にもあればそれは許されるし、必要最小限度ではない、地球の裏側に行くようなことはとても必要最小限度と言えないわけであるから、政策上やらないのではなくて、憲法上許されない。
 これが私の解釈だ。

 自民党の中には色々意見があって、憲法改正してやるのが本当でしょうという人と、いや国連憲章にあるものをまるまるそのまま認めていいのではないか、必要最小限度ということは言わなくてもいいのではないかという人といる。これは理論的に言えば、国連憲章の個別的自衛権あるいは集団的自衛権を認めていることを、まるまる自然権と解するのか、そのうちの必要最小限度のものを自然権と解するかの差だ。理論的に言えばどっちも絶対無いとは言えないということだが、政治的に言えば、今までの解釈を根本から覆してしまうことは、今までの流れとあまりにも違う大転換だ。
 そういう大転換ではなくて、当てはめの、こういう場合もありますよというにすぎないというふうになるのがいいだろう。

 衆議院選挙の時に公約をまとめるときに、集団的自衛権を認めるのは憲法改正が必要だという有力な主張があったのに、私はある人から頼まれて、その人を説得するときに、「まるまるの根っこからの変更ではなくて、当てはめの変更だけです。根っこからの変更は憲法改正でやるのが筋だというのは、あなたの言う通りです」ということで説得して、その時点では、自民党内の妥協というか合意ができているが、時間が経っているから、また新たにそういう議論をしなければいけない。

 やはり自民党内でもそうだが、まとめるためには必要最小限の方が良いし、流れからいってもその方が良いし、公明党の人達も、例えば山口代表も集団的自衛権を認めるのは反対だと言いつつ、個別的事象には、我々がこういう時に必要だと言っていることについて、個別的自衛権としては認めては良いのではないかと、こういう言い方をしておられる。何が大切かというかといえば、具体的なことが許されるのか許されないのかという当てはめが大切なのであって、それが個別的自衛権か集団的自衛権かとあえて問われれば、集団的自衛権だと言わざるを得ないが、個別的自衛権だろうが集団的自衛権であろうが、憲法上必要最小限度として許されるのか許されないのかというのが最重要なことだろう。そういう意味からは、公明党の方とも話せば話ができる。

 テレビで見たが、みんなの党の江田さんが、個別的とか集団的とか神学論争をしないで、何が日本にとって必要なことかということを詰めていけばいいという趣旨のことを言っておられた。そういう趣旨からいって、共産党や社民党は別として、今度の一定の集団的自衛権といわれるものを憲法上行使が許されるとすることについて、自民党だけではなく、かなり多くの方から合意が得られる。そして合意を得るためには、必要最小限度という今までの憲法解釈に沿ったということが必要なのではないか。

 もう一つ、記者の方からよく聞かれることだが、法律を作ることによって改正するのかということだ。
 だけど立憲主義の建前からいって、法律を作ることによって憲法解釈が変わるということはない。憲法解釈が変わっても、自衛隊が実際に行動するためには法律を作らないといけない。法律を作らないと憲法解釈を変えたからといってすぐ自衛隊が動けるわけではないから、法律を作ることが必要だ。
 国民に対して解釈を変えたことと、法律改正を同時に提示することはあり得ない選択ではないけれど、観念的には、憲法解釈の変更が先にあって、それに基づいて法律を作る。時間的には一致することは絶対ないとは言えないが、観念的には憲法解釈の変更は、当てはめの変更だとしても、集団的自衛権の行使は許されないという言葉をこれまで使ってきているので、広い意味での憲法解釈の変更をした上で、法律を作る。
 国民に対して訴えかけるのが、同時になるという選択肢はあり得ない話ではないけど、観念的には憲法解釈の変更が先にあって、それに基づいて法律の改正があって、それがあってはじめて自衛隊が動くことができるということだ。


 9月7日と8日でイランに行き、まだ7日の午後か8日の午前か決まっていないが、ローハニ大統領と会談する。
 ローハニ大統領と初めてお会いしたのは、ローハニ大統領が国会の副議長兼外務委員長、私が外務政務次官の時に初めてお会いして、当時ハタミ政権で改革派の大統領だったのだが、その時ローハニさんは保守派の方だと伺っていたが、実際に会ってみて非常に柔軟な方だなと思った。その後ローハニさんとは5回お会いして、今度お会いするのは6回目となる。
 国際政治の中では古い友人という分類になろうかと思うが、核の平和利用と言っているが、その権利を行使するためにはそれを核兵器開発につなげることがないということを国際社会にしっかり説明し納得してもらわなければ、権利は行使できないということは、ローハニ大統領は良く知っておられると思う。そのためにIAEAやP5との間の交渉についても、できるだけ柔軟に、透明性を高めるようにして解決されるように、友人としてのアドバイスをしていきたい。
 それからシリア情勢についても、できるだけシリアが安定するような役割を果たしてほしいということを言ってまいりたい。

 

 

平成25年8月7

 日本の閣僚ほど国会日程に縛られるという例は、世界にないのではないか。あったとしても、稀有の例だが、特に内閣総理大臣、外務大臣が縛られ過ぎるというのは外交に支障をきたし、国益を損ねる。そういうことがずっと続いているわけで、副大臣を作って、副大臣が国会審議にあたるということをやったわけだが、悪しき慣例にとらわれ、大臣でなければ審議できないということが続いてきていることは、改めなければならないことだ。
 国益にかなうことであるし、きちんと説明すれば間違いなく国民に理解されることであるので、そういう改革をすることを躊躇してはならない。

 

 

平成25年7月31

 来年4月の消費税率引き上げについては、秋に安倍総理が判断することになるわけだが、今のところアベノミクスが順調であるし、4−6月の指標はそれほど悪いものが出るわけではない。その他の経済状況にしても、海外からよほどのショックでも襲ってこない限り、法律ができた時に想定された経済状況よりは良い状況で判断できるのではないか。
 そうであっても消費税率を上げるということは、景気にマイナスの影響を与えることは間違いないことであって、そのマイナスの影響を最小限に抑える成長戦略をしっかりとやって、総理が安心して判断できる環境を整えなければいけない。

 成長戦略の一つの柱になるのは企業の投資減税だが、企業の投資減税にしても、それが生産設備の新陳代謝につながるようなものでなければならないわけであるし、それは税制そのものも色々工夫するわけであるけれども、その他の産業政策と一体となってはじめて、企業の設備の新陳代謝が促進されるので、関係するあらゆる部署が、そのための知恵を出してもらいたい。
 ただやみくもに設備投資があれば良いということだと、かえって供給能力が増強されてデフレ要因となるので、あくまで新陳代謝につながるような設備投資ということがキーポイントということになるし、これは税の方でもしっかり検討しなければならないが、産業政策の面でも、あらゆる面で税と一体となって、新陳代謝を促す設備投資、そういうことが肝要だ。

 

 

平成25年7月24

 先の参議院選挙であるが、私たちは与党で過半数ということを最低限の目標にした。「ねじれを解消して、決められる政治をやれる体制を作らせてください」、「安倍政権を安定政権にしてください」、そして「迅速に成長戦略を実行できるようにしてください」、「日本を取り戻させて下さい」ということをお願いして、その結果、最低限の目標をはるかに超える議席を与えて頂いた。
 有権者国民は、私たちの期待、希望に応えてくださったわけであるから、今度は私たちが有権者の期待、希望に応える番だ。有権者が、国民が期待しているのは、今までの熟議をしても決められない国会から、熟議をした上で決められる国会にして欲しいということだ。
 スピード感が大切なんだが、スピード感を求めるあまり、議論をしないでどんどん決めていく驕った与党の姿を、国民は見たいわけではない。熟議をして、決められる政治を実現するということが国民の期待に応える道だろう。

 

 

平成25年6月26

 参議院選挙の前哨戦と言われた都議選に完勝して、党内でみんなが異口同音に「勝って兜の緒を締めよ」と言っていることはとても良いことだ。戦国武将であれば、勝って兜の緒を締めよというのは、「油断しない。驕らない」。それで足りたが、今はそれだけでは足りない。油断していると誤解されない、驕っていると誤解されないところまで、細心の注意を払わないといけない。
 多くの人が自由民主党は都議選に完勝して「必ず油断するはずだ。必ず驕るはずだ」と予断を持って見て、鵜の目鷹の目であらを探しているということであるから、細心の注意で、驕っていると誤解されないことが必要だ。それは候補者各自もそうだが、党執行部一人ひとりが驕っていると受け止められないように振る舞う。それがねじれ解消への道だ。

 

 

平成25年6月19

 G8サミットだが、アベノミクスが注目を集めただけでなく、日本経済をデフレから脱却させて世界経済をけん引するという期待を持たれたのは、大変良いことだった。この期待に実行で応えていかなればいけない。
 中期財政計画を立てるように注文を付けられたが、これは極めて当然のことで、日本政府は夏までには立てると、もともと言ってたことであるから、これはある意味で日本政府に対する応援であると言ってもよい。そして、あくまで中期であって、今まだ需給ギャップが10兆円程度残っている、民間需要が足りない、という中で、直ちに財政再建に踏み出すということを国際社会が求めているわけではないということを、しっかり認識しておく必要がある。
 デフレからの脱却と財政再建とはある意味では衝突することだから、「足元直ちに」と国際社会が言っているわけではないということを認識しておく必要がある。

 

 

平成25年6月12

 区割り法案が審議入りすることは良いことだが、民主党の中では、0増5減法案に賛成して成立させておきながら区割り法案に反対するのは理不尽だという非難は承知の上で、それでも反対、否決して衆議院で3分の2で再可決させれば、それは与党の横暴だということで、都議選、参議院に優位に運べるという人もいるそうだ。
 私の勘からいえば、それはやはり、理不尽であるという批判を受けるとともに、参議院の多数で否決すること自体が横暴であるという批判を受けることになるのではないか。

 

 

平成25年6月5

 0増5減法に基づく区割り法案が今大詰めに来ている。これは民主党、自民党、公明党、そしてみんなの党も賛成して既に成立した0増5減法を、民主党政権の時に区割り審議会に諮問をし、政権交代後にその諮問に対する答申が返ってきた。それに政治的意思を加えないで事務的に区割りしたものを、そのまま国会に提出しているものだから、速やかに成立させるのは当然中の当然だ。今更、みんなの党の18増23減案と一緒でなければ審議しないというのは、単なる遅延工作、妨害工作に他ならない。
 選挙制度改革というのは、各党で協議して大方の意見がまとまって成立可能性ができたということで法案を提出するというのが議会の慣行であって、ずっとそれでやってきた。一党で、それも衆議院の改革案を参議院に提出するということは前代未聞のことで、前代未聞ということは、先人はそういう無茶苦茶なことはしなかったということだ。
 昨年の総選挙の後、違憲判決が高裁段階で続出したわけだが、これの原因を言えば、H23年の最高裁の違憲状態だという判決が出た後、民主党が解散に追い込まれることを恐れて、一票の格差の問題に無理やり定数削減、抜本改革を付けることによって、一票の格差の問題を解決しないように動いてきた。その結果がこのようになったわけであるから、その反省をしっかりして、大反省会をやるのもいいけれど、そういう反省に立って民主党はやらないと、他党のことながら明日はないのではないかと心配になってくる。
 細野さんが、自民党の定数削減案、いわゆる細田案について、柔道でいう「掛け逃げだ」ということを言ったが、柔道の掛け逃げというのは、技を決める意思も無いのに技を掛けるふりをして、攻勢であるがごとく審判を欺きながら相手から逃げることを掛け逃げと言い、それにぴったりなことが今衆議院に出している民主党の自称改革案である。
 通す意思も無いのに、通る可能性も全くないのに、そういうものを各党協議に諮りもしないで単独提出して、定数削減に熱心であるかのごとく国民を欺こうとしつつ、そして喫緊の課題である区割り法案を妨害、遅延させようとしてきた。まさに民主党の自称抜本改革案というのは、私の名付けた「掛け逃げ法案」であり、掛け逃げという言葉は、細野さんが自民党案を批判して使うまで使う気がなかったのだが、これこそ掛け逃げ法案だ。

 

 

平成25年5月29

 最近、自民党の支持率が高いにもかかわらず、地方の首長選挙でコロコロ負ける例が見られる。「これは地方選挙であって国政選挙は別だ」と言う人がいるが、国政選挙も自分の名前を書かせる選挙であるということには変わりはないわけであるので、もちろん公認した以上、党として全面的に応援するが、一人ひとりの候補者がしっかり自分の票を取るんだという気概でやってもらいたい。
 比例区においても、自分の名前を書かせた順で順位が決まるわけだから、自分の名前を書かせるんだ、それぞれの候補者が自分で票を取るんだという気概でやってもらいたい。

 6月1日から第5回アフリカ開発会議、TICAD Ⅴが始まるわけだが、これは1993年に、アジアの成功体験をアフリカでもやろうということで始まって、5年に一回開催され、今回が第5回になる。
 1960年代、アジアとアフリカどちらが貧しいのかと言ったら、大体同じくらいだった。むしろ将来はアジアペシミズムとか言って、アフリカの方が希望があるのではないかと言われたのが1960年代であった。アジアについては日本が中心になって経済協力をした。キリスト教的救貧ということとは違って、それぞれの国に自助努力を促して、それに対してお手伝いをする。そのためには、教育インフラを含めたインフラ整備に最重点を置いた援助を行った。そのことによって、アジア諸国のそれぞれの自助努力が一番大きかったのだが、大発展をして、今や「アジアとアフリカどちらが貧しいですか」などと言う人がいないほど差がついた。
 そして1993年に、アジアの成功体験をアフリカにも、ということで始めたわけである。日本の援助哲学は、それぞれの国が自助努力をするんだ、オーナーシップを発揮するんだ、そして援助国はそのお手伝いをするんだ、パートナーシップを発揮するんだということでやってきた。今まで4回のTICADの中で、日本の援助哲学が世界の援助コミュニティの主流になってきた。これは輝かしい日本外交の成功の証にもなった。アフリカは今大変元気で、「公的援助より投資をお願いします」と言うようにまでなってきた。非常に良いことだ。
 先般、安倍総理がミャンマーに行って来た。ミャンマーという国は、制裁の為に能力があるにもかかわらず発展が遅れている状況で、そのたがが外れたので、これから一気に他のアジア諸国に追いつくであろうが、今アフリカの元気さは、‘すべてがミャンマー’と言ってもおかしくない状況であるので、ここでしっかりTICAD Ⅴを成功させるとともに、日本の民間企業もアフリカにどんどん進出して頂きたい。

 

 

平成25年5月23

 アベノミクスの第三の矢、成長戦略について各大臣から相次いで発信されている。この成長戦略というのは、国のかたちにも関係するものなので、党と十分話し合ってやる必要があると思うが、一方で、党の対応が、間違ってもスピード感を阻害するようなことはあってはならない。
 このスピード感こそが、まさに安倍内閣の支持率を支えていることだ。

 次の参議院選挙の公約について、党本部と地方と色々議論があるところだが、自民党は地域を大切にする政党であるから、それぞれの地域の人達の民意というものは十分くみ取らなければいけない。一方で、「党本部と地方がバラバラだ」「これでは民主党と同じではないか」「これでは鳩山さんと同じではないか」など、間違ってもそうならないように、政調会長はじめ政調幹部はしっかりと調整して頂きたい。
 現実の政治において、政調の最も重要な仕事は調整である。

 

 

平成25年5月15

 自民党は既に憲法改正要綱を国民にお示しているわけだが、そのうち、国民から理解が得られた部分から改正に取り組めばいい。憲法96条改正先行論というのは、私は極めて意味のあることだと思うが、仮に96条に理解が得られなくて他の部分の理解が得られるということであれば、他の部分を先行させるということもあり得ることだ。
 先の衆議院選挙でも、自民党は憲法改正要綱を提示して選挙に臨んだが、必ずしも国民の関心は高くなかったわけで、大きな争点にはなり得なかった。今度の参議院選挙は、当時よりは国民の関心は高まっているわけだが、それでも大きな争点となりうるほど関心が高まることは、あまり考えにくいのではないか。
 やはり争点はアベノミクス。特に成長戦略といったこと。それから安定政権の必要性、ねじれ現象の解消を自民党としては訴え続けるという選挙になるのではないか。

 

 

平成25年5月8

 川口順子参議院環境委員長の解任決議の件だが、‘ガラパゴス島の政治’と揶揄される日本の政治を象徴するような事案だ。
 事の顛末を簡単に言うと、中国で国際会議があって、その発起人の一人である川口さんが、参議院の了解を得て23,24日に中国に行った。ところが、その一番大事な中国の外交を統括する国務委員である楊潔篪さんが25日の朝に会うという話になったので、川口さんの方から自民党国対に「25日まで延長してもらえないか」という申し出をした。国益上大切だからということで、自民党参議院国対としては、野党に了解を得るように話しかけるということだった。
 24日のうちに帰るということであれば、2時半ごろまでに北京を離れなければならないということで、まだ野党の方から了解を得られたという返事はなかったそうだが、当然国益上重要なことだから了解を得られると考えたんだろうと思うが、延長することにして、現実に楊潔篪さんと複数の方と会談することにした。今までの会議の流れから言って、日中関係というのが主題となっていたわけであるから、楊潔篪国務委員の方から中国側の一方的なメッセージだけが流されたら反論もしなければならないということで、川口さんが残ったということだ。
 私はこの件について野党側に3つの誤りがあると思う。まず第一に、明らかに国益上重要なことであるにもかかわらず、一日滞在を延ばす許可に反対した。こういうことが第一の誤り。第二に、川口さんが帰ってこなかったから委員会が流れたということになっているが、川口さんがいなくても理事を代理に委員長として立てて開会することは可能であったわけだ。それを開かせないようにしたのは野党であるから、川口さんが帰ってこなかった為委員会が開けなかったかの如く言うのは、第二の誤り。第三の誤りは、今、日中間が色々ある中で、中国側から一方的なメッセージを発せられることは外交上問題があるわけで、それに対応するために残ったという国益と委員会を開けなかった国益とどっちが重いのか。
 委員会を開こうと思えば、委員長の代理を立てて開くことができたのに開かなかったので、もし代理を立てて開いていれば、それで失われる国益はほとんど0に近い。わずか5分間の趣旨説明の間、たまたま川口さんが座っていないというだけで失う国益はほとんど0に近い。仮に開けなかったとしても、それで失う国益と、中国から一方的な日中間のことについてのメッセージが発せられて、各国から首相経験者や外相経験者、あるいは有力なオピニオンリーダーが来ているところにそれだけが発せられ伝わることで失う国益と、どちらが影響が大きいのか、これは火を見るように明らかだ。
 私たち法律を学ぶ中で最も先に学ぶ事のうち、‘義務の衝突’というのがある。‘義務の衝突’があった時はどっちの義務が重いのか、比較考量して決まるというのは当たり前のことだ。
 それを今度の野党の人達は、中国において一日滞在したことによって守られた国益は問題にせず、委員長が帰ってこなかったということだけを問題にする。‘義務の衝突’が起きた場合、どうやってそれがいいのか悪いのかを決めるイロハを御存じない。これはまた大変な話だ。
 3つの誤りを犯した野党の人達が、日本の国益を守った川口さんを裁くということはとんでもないが、現実に参議院では多数の野党の中で裁かれるということになりかねない状況だ。こういう状況は主権者たる国民が、近く行われるべき参議院選挙で、日本の国会がこれ以上ガラパゴス島化することないように、しっかりと正してもらいたい。

 

 

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