1984年6月4日/ふたご座/兵庫出身/O型/177cm
ジュノンスーパーボーイ・コンテストを経て、芸能界にデビュー。
2003年には、「仮面ライダー555」の主演を務める。
一方、昭和文化に興味を持ち、特に歌謡曲の造詣が深く、
その知識や解釈は、作詞家の阿久悠氏もテレビにて絶賛するほど。
イケメン俳優でありながら、マシンガントークとマニアックなウンチクも持ち合わせるという独自のポジションを確立されています。
Q.大好きなアーティストについて
どの魅力でアーティストを見るかということにもよるんですが、歌唱力という目線で見ると、
やはり尾崎紀世彦さんになりますね。尾崎さんの声って聞き惚れてしまうんです。「味がある」とかを超えてます。
聴き慣れた曲って、だんだんと飽きてくるんですけど、このレコードを聴いていると、本当に魅力的な声って曲を飽きさせない。圧倒されてしまう。尾崎さんはどんな曲も自分のものにしてしまうんですよね。
歌謡曲はもちろんですけど、尾崎さんのルーツのハワイアンとかカントリー&ウエスタンのアルバムなんかは歌い方が違うんですよ。普段は張り上げるようなバリトン的な歌い方ですが、このときはすごく軽く歌われていて、こっちが本当の尾崎さんなのかなって。いろんな表現力を持っているんですよね。
今はこうしたスタイルの人は減りましたよね。1970年代にはもみ上げを伸ばしていた若者もいたって聞きますけど。以前、尾崎さんと対談した時に出てきたまさかの言葉が「俺はタキシードは嫌いなんだよ。Gパンにネルシャツで歌いたいんだよ」と。僕が「尾崎さん、それはカントリーじゃないですか」って言ったら。「そうだよ、俺はカントリーなんだよって」って。ただ、演出上といいますか、当時は“和製トムジョーンズ”とか“和製エンゲルベルト・フンパーディンク”とか言われていましたから。でもね、タキシードがよく似合いますよね。当時の歌唱力のある歌謡界の人と言ったら演歌の人か、ポップスをならグループサウンズのようにキャラクターで売っていくか、どちらかしかなかったような気がしますね。布施明さんはちょっと尾崎さんに近かったかな。確かな歌唱力と声量のダイナミックなポップスですよね。
1971年に『また逢う日まで』をヒットさせて、そこから尾崎紀世彦という人が歌謡界に進出していくんですけど、もう少し前だったらもっと評価されていたと思いますね。当時はどんどんポップスがライトな方向に流れていった時代だったんですよ。1971年、72年には新御三家もデビューしたり、アイドルの要素が濃くなってきていたので。尾崎さんは年齢的にもアイドルという感じではなかったですからね。
例えば、もし尾崎紀世彦というーティストが1960年代の前半にいたら、もっとすごい評価を受けて、一時代を築くようなアーティストになっていたんじゃないかなと思いますね。
去年お亡くなりになられて非常に残念で、過去のVTRを何度も見ては偲んでいます。