自民から民主へ政権移行が行われている、これだけの長期政権が
政権を100%失うのは世界的に見て初めてかも知れない。当選した
自民党議員の年齢を考えると、次回は世襲候補に成るのか分から
ないが、政権政党でない自民党、四年間野党で居られるか疑問、
四年後は無いかも知れない。
「2009年08月21日にツカサネット新聞で配信」
政治家とはどんな危ない所でも行く事を、ペルーのフジモリ元大統領
が起した行動を見て感じた。
ニノイ・アキノも何かが起きる事を予想していたが、殺される事は
考えていなかった様だ。
国民の支持がある自分を再度投獄しても殺すはずが無いという、
ニノイ・アキノの思惑が外れてしまった。
フジモリ氏の日本での5年とアキノの米国での3年は似た油断がある
のではないかと推測する。
米国へ追放されたアキノは、ベトナム戦争処理に追われる米国の
焦りと、マルコス政権の独裁支配に対する米での非難を感じ、今が
帰国の時期と見たのかも知れない。
要因はマルコスの病気に対する情報で、当時のマルコスは、今の
金正日総書記より深刻で、病状を外部に知られる事を警戒していた。
米国政府もベトナムを失ったショックから、マルコスが病死すれば、
とフィリピンの親米派を捜していたようだった。
いくら病状を隠していても、浮き足立っていたのは側近で、オースト
ラリアや米国の永住権を取るのに焦っていた事、知人の入管幹部が
オーストラリアの永住権を取って喜んでいたのを思い出す。
ここでアキノが帰国すれば、どんな騒動になってしまうかは側近の
方が良く知っていた。
国民の前に顔を出してしまえば、その後に始末する事は難しい。
というわけで、顔を見せる前に連行して始末する事にした様だ。
この様な事が出来るのは、後に1985年アキノ暗殺事件の容疑者と
して起訴された、参謀総長ファビアン・ベール大将か、ベール大将の
一番信頼を寄せる部下で、当時マニラ空港警備責任者だったオニバス
少将以外は出来ない事だった。
本物のパスポートを持たず何便かも分からないニノイ・アキノの
乗っていた便を見つけたのは、もしかして私の言葉だったのか。
入管員がアキノと一緒に来る日本人ジャーナリストを探していたのは
間違い無かった。
その日本人ジャーナリストは、後にアキノ・ジャーナリスト賞を受賞
した若宮 清氏だと言う事を、後日知った。
入管員が私に確認した時は、「アカミヤ」とか「ワカミヤ」と言っていた。
その手元には搭乗者予約リストがあった。
今はない事だが、当時は、当日の搭乗者リストと明日の搭乗者
予約者リストが張り出されていて、それを誰でも確認出来た。
私達も、いつも見るもので、名前だけをローマ字で書き出していて、
「AKAMIYA」と「WAKAMIYA」はWがあるか無いかの違いで、このリスト
は航空会社が作成するために、「K・WAKAMIYA」と書いてあったり、
「WAKAMIYA/K」と書いてある航空会社もあった。
多分、中華航空のは「WAKAMIYA/K」と書いてあって、入管員はWが
名前の頭文字かも知れないと思い、そう聞いてきた様だ。
現在の様にコンピーターが発展しておらず、当時のブラックリストは
分厚いファイルになっていて、入管員一人一人が個別に持っており、
その中から前もって捜し出していた様だ。
人によっては書き漏れがあったり、間違いの字を書き込んでしまっ
たりで、前もって調べておかなければミスをする事もあった。
私も見せて貰った事があるが、苗字の頭文字をABCの順に書き込ん
でいて、電話帳の記載方法のようだった。
入管員は自分の番号が入った入国印と出国印を持っていて、後で
問題になった時その番号で分かってしまうので慎重だった。
21日、中華航空で入国する事が分かり、中華航空機を何時もの
ゲートでない所へ誘導して、犯行が行われてしまった。
この時期になると何時も思い出す、私にとっては忘れられない
大事件の思い出だ。