人生何年有るか分からないが、世界的に有名な事件に巻き込まれる
事はそんなに無いと思う。
その時の事を、今、思い出しながら文書にしてみた。26年前の出来事は、
大きな事件ながら私にとって懐かしい時代だった。
「2009年08月17日16時06分配信」
フィリピンの政治家ニノイ・アキノ、フルネームは「ベニグノ・セルビア
ーノ・"ニノイ"・アキノ・ジュニア(Benigno Servillano "Ninoy" Aquino Jr.)」
といい、これはウィキペディアにも書いてある。
私が彼の名前を知ったのは、彼が死ぬ前日だった。
当時、日本で旅行会社を経営していて、私はマニラに住んでいた。
今はすっかりツアーが無くなってしまったマニラでも、26年前はツアー
客で溢れ、空港には御馴染みのガイドや他の旅行会社のスタッフ等と
顔を合わせる毎日だった。
私は、マニラ空港(現在の第一ターミナル)へ、特別な顧客や大きな
ツアーの場合、出迎えに行った。
当時も今も、この国ではコネクションが大切で、入管員や税関員、空港
警察等と良好な関係を持つ事で、思いも寄らない便宜を受ける事が出来た。
例えば、到着機のタラップ前まで迎えに行けるとか、ツアー客全員
の入国審査を素早くやって貰えるとか、税関検査無しで入国も出来た。
これにより、通常一時間から二時間は掛かる手続きを、30分前後で
済ます事も出来た。
これが大きなツアーや特別な顧客に大変喜ばれるので、得意になっ
てやっていた時期だった。
暗殺された前日の20日はお盆休み明け帰国日で、出発カウンター
は帰国する日本人で溢れていた。
私も、親しい顧客が帰国するため空港に。こういう場合、空港の左端
にあるレストランで顧客と飲み物を飲んでいる間にスタッフが搭乗手続
きと入管審査を済ませ、パスポートと搭乗券を持ってくるまで待つ事に
していた。
いつもの様に済ませ、30分前の搭乗案内を聞いて、顧客と二人で出国
審査カウンターを通り越した時に、知り合いの入管員から帰りに事務所に
寄るようにと言われた。
何事かと思い言われた通り入管事務所へ立ち寄ると、一枚の顔写真
があった。
私がその写真を見ていると、入管員が写真を隠すように書類を置いて、
日本人らしい名前を言ってきて、日本人かと尋ねられ、多分日本人
だと答えた。
笑いながら明日は来るのかと尋ねられたので、予定は無いと答えたら、
明日は来ない方が良いと言われた。
空港から帰りの車で運転手に、明日は何があるのか尋ねたら、「ニノイ
が帰ってくる」と言う。
ニノイとは誰かと聞くと「ベニグノ・アキノだ」との答え、初めて聞く名前
に先程見た写真が浮かんだので、チャモロ系かと尋ねると、顔を横に
振りハンサムボーイと答えた。
しかし先ほど私が見た写真の顔は、ハンサムボーイとはとても言え
ない顔だった。
8月21日、アキノが何者かに空港で撃たれたとのニュースがあった。
その後、死亡したというニュースと共に、暗殺者として「ローランド・ガル
マン」の写真がTVに写しだされ、その顔は昨日見た写真の顔と同じだった。
後日知ったが、入管員が私に尋ねた日本人名は、アキノと同行して
マニラへ入国した日本人ジャーナリストの苗字だった。
私にとって、初めて聞いたベニグノ・アキノとローランド・ガルマンの
名前は一生忘れることが出来ない名前になってしまった。