当ブログでも、以下のことを書きました。
「批判と中傷は全く異なる」
私がアメリカの大学に通っていたとき、アメリカの学生と
よく討論を重ねました。
彼らは
決して感情論にはならない。(中には居るが、ごく稀)
誹謗中傷も、討論では行いません。
討論とは
こういうものである。
という確固たる自信と認識があるからです。
そして
彼らは日常でも、議論をし慣れている。
しかし
日本人は、議論をし慣れていない。
故に、討論や議論の場でも
すぐに感情論になる。
その感情論が度を過ぎたとき、誹謗中傷となる。
日本人の
悪しき習慣として、批判を誹謗中傷と誤認している というところがある。
これも
かつて当ブログで書いた。
以下の流れによく遭遇する。
1・・Aさんがパイナップルが嫌い
2・・Bさんはパイナップルが好き
3・・AさんがBさんにパイナップルが嫌いな理由を、論理的に述べる。
もしくは、パイナップルがなぜおいしくないと思うかを、述べる(批判)
4・・Bさんは、Aさんの人格を否定する発言を繰り出す。
こういう流れです。
1~3は話の流れで繋がりがあります。
しかし、4は全く繋がりがありません。
4で、Bさんがしなければいけないことは
「自分がなぜパイナップルがおいしいと思うかを、Aさんに説明せねばならない」
ということです。
日本人に特有な悪いところは
「自分が好きなものを『嫌い』と言われた瞬間
自分自身を否定された(攻撃された)」
と勘違いするところです。
批判と中傷の違いは、岩波の広辞苑初版によると
以下の通りです。
【批判】
物事のよしあしなどについて評価・判定すること。
【中傷】
根拠のないことを言い、他人の名誉を傷つけること。
両者は全く異なります。
因みに
私が書いているイチロー記事は
「批判」
に相当します。
まず、
1・・・なぜ大したことがないか
2・・・なぜイチローは過大評価であるか
3・・・ファンは彼を過大評価しすぎ
根拠を書いている。
根拠を書き、その根拠に沿って
論点も据え置きながら、データを交えながら考えていっています。
イチローはアホだ、バカだ
こんなことは一切書いていません。
私は
イチローを応援していますが
大した打者だとは一片も思っていません。
応援するのと、大した打者 と捉えることはまったく別です。
まあ
批判と中傷を同一視してしまうのは
議論しなれていない日本人からすると、不思議でもないのでしょうね。