──
上のテーマは、ひとまず置いておく。まず、次の記事があった。(要旨)
「震災の被災地では、復興が進んでいる。集団移転も進んでいる。しかし一部の地域では、集団移転が進んでいない。釜石や女川だ。これらの地域では、後背地に平地部が少ないので、山を切り崩して強引に平地部を作り出そうとしている。しかし、大がかりな工事になるので、なかなか工事が進まない。痺れを切らして、別の土地に移住する人々も増えている」
( → 読売新聞・夕刊 2013-09-10 )[紙の新聞]
読売はこう報道して、「だから国はもっと工事を急げ」と糾弾したいらしい。しかし、「山を切り崩して平地部にする」というのは、時間がかかるのは仕方がない。それ以前に、こんなことに莫大な税金を投入する価値があるのかどうか、考え直した方がいい。引っ越しすれば、その工事費はゼロで済むのだ。だったら、1000万円を駆けて工事するより、その 1000万円を引っ越し代として供与する方がマシだろう。(もちろん、1000万円よりはるかに少ない額で済む。その分、無駄が減る。)
とはいえ、現状を知らないとまずいので、まずは Google マップで調べてみる。
釜石
大きな地図で見る
この地図(釜石)を見ると、次のことがわかる。
「湾口部から、後背地まで、平地部には人家がとても密集している。田舎の住宅地ではなくて、東京近郊の住宅地のように、住宅が密集している。余っている土地はほとんどない」
つまり、土地(平地部)は、特に少ないわけではないのだが、住民の数が田舎とは思えないほど多いので、土地が足りなくなってしまうのだ。
では、どうしてこれほど人口が多いのか? よほど産業が発達しているのか? 調べると、そうではないとわかる。
・ 過去においては新日鐵釜石のおかげで繁栄した。
・ 現状では、新日鐵釜石の縮小のせいで、失業率が高い。
要するに、人の数はやたらと多いのに、産業は足りない。新日鐵釜石が繁栄していたころなら、人の数も必要だったが、新日鐵釜石が縮小した現在では、人は単に失業者となっているだけだ。これらの人々は、釜石で働くべきではなく、釜石の外のどこか(産業のあるところ)で働くべきなのだ。つまり、彼らは釜石の外に出て行くべきなのだ。そうすれば、釜石の人口は減り、平地部にも余った土地がたくさん生じるだろう。
「釜石は人口を縮小するべきである」
これが釜石のあるべき姿だ。なのに、政府はそれとは逆の方針を取っている。むやみやたらと山を切り崩して平地部を作り出そうとしている。しかし、そんなことをするのは、本末転倒だろう。
釜石はもともと、産業が不足している(失業率が高い)のである。土地を新しく造成しても、そこに住むべき人々は、仕事もなく、失業状態となる。だったら彼らは、釜石の外で働くべきだろう。ゆえに、土地を新しく造成するのは、まったくの無駄なのである。
これは、次の事情に似ている。
→ 北京五輪の会場、“鳥の巣”含めて大部分が廃墟化していた
→ 北京オリンピック会場の廃墟の様子(写真)
中国は北京オリンピック会場を、大金をかけて造成した。しかし、宴の後では、兵どもや夢のあと。立派な施設は、ただの廃墟になってしまったのだ。
それと同様のことが釜石でも起こりそうだ。どれほど大金をかけて平地部を造成しても、もともとそこにはまともな産業はないのだから、住むべき人もあまりいないのだ。いるのは年金で暮らす高齢者や失業者が主体だ。そして、こういう高齢者が消えたあとでは、ゴーストタウンばかりが残ることになる。ゴーストタウンの建設のために大金を投入するわけだ。(中国みたい。)
そんなことをするよりは、釜石という都市そのものを縮小するべきだろう。適正人口は今の半分ぐらいだ。それならば漁業を中心として生き残ることができる。そして、人口が半分になれば、平地部は自動的に余ってしまう。だから、今さら大金をかけて土地を造成する必要はないのだ。
釜石に必要なのは、かつての栄光を追う「復興」ではなくて、適正規模に都市を縮小すること、つまり、リストラだ。このようにリストラをすれば、小さくともずっと繁栄することはできる。一方、むやみやたらとかつての大規模な栄光を追うと、悲惨な破綻に至るだろう。ちょうど、デトロイトのように。
→ デトロイトの廃墟
女川
大きな地図で見る
この地図(女川)を見ると、次のことがわかる。
「右から左にかけての平地部があるが、ここは低地なので、津波で水没しやすい。特に、右側(東側)は、女川湾からの津波で水没した。そのせいで、ここには人家がろくに残っていない。コンクリ建築以外は、人家のあとらしいガレキの土地があるだけだ。一方、中央部から左側(西側)は、津波が到達しなかったらしく、人家は無事に残っている」
「新たに集団移転の土地として造成しているのは、女川湾の北部にある地域らしい。『清水仮設住宅』という表示のある地域だ。ただし、この平地部は、広さが不十分であり、水没した地域の人々が移転するには足りない」
上のような状況にある。ここから政府は、
「山地を削って平地部をつくる」
という案を立てたのだろう。しかし、平地部は膨大に不足しているのだから、山地を削るというような方針ではとうてい不足するだろう。
では、どうすればいいか? 私なりに案を示そう。
まず、現状認識をすると、こうだ。
「女川町というと原発が有名だが、原発は産業としては関係ない。原発があるのは女川町の中心部から遠く離れた僻地であり、町の住民とは関係ない。女川町の産業は、漁業である。それは東側で繁栄している。一方、西側は、漁業の地から離れているので、余っている平地部も多い」
大きな地図で見る
つまり、西側には平地部があるのだから、こっちの土地を使えばいいのだ。いちいち北部に新規造成する必要はないのだ。
問題は、津波が西部に押し寄せないか、という心配だろう。今回は大丈夫だった(家々は残っている)としても、いつかまた来る大津波には耐えきれないかもしれない。とすると、「高台のような土地である北部の方が安心できる」と政府は思ったのだろう。
しかし、この点については、次のように提案したい。
「内陸堤防を構築することで、東部から押し寄せた津波を、陸地の途中で遮断する」
これは、私が何度も提案した「内陸堤防」を使う案だ。
ただ、次の心配もあるだろう。
「内陸堤防を構築すると、街が東部と西部で分断される。かといって、内陸堤防にトンネルを作ると、トンネルを通って津波が反対側に浸水してしまう。かといって、開閉式の水門をつくるというのも、いざというときにきちんと動作する保証がない」
この問題については、次のように答える。
「内陸堤防を二重に構築する。トンネルの位置をずらす」
上の二つの縦線(茶色)は、内陸堤防である。それぞれ、トンネル部があり、トンネル部を道路(灰色)が走っている。
もし右から津波が押し寄せると、どうなるか?
通常ならば、津波は一挙に押し寄せて、左半分を水浸しにしてしまう。
二重の内陸堤防があれば、右側の内陸堤防で大部分は堰き止められる。一部はトンネルから漏れてしまうが、その量はかなり小さい。それが左半分に漏れるには、第2のトンネルを抜けなければならない。そのためには、右側のトンネルから左側のトンネルまで、漏れた水が到達しなくてはならない。そのためには、かなり長い時間がかかる。そして、その時間が過ぎたころには、津波はもはや引き潮になってしまっているので、左半分に到達することはない。(もしあったとしても、その量は限定されており、巨大な津波になることはない。せいぜい床下浸水ぐらいで済む。)
以上の方針の下で、次のようにすればいい。
(1) 女川湾に近い東側(黄金町付近)は、津波で破壊された地域である。ここは、居住禁止とする。水産工場などだけは設置可能にするが、容易に避難できる体制を構築する。
(2) 北部の平地部は、現在以上は造成しない。(無駄だ。)
(3) 西部の平地部は、住宅地として利用する。現状でも土地は足りるだろうが、足りなければ、少し高層化すればいい。(今は平屋と二階建てばかりだが、5階建てのマンションでもつくれば、住宅はいくらでも作れる。マンションならば、津波耐性も高い。)
(4) 東部と中央部の中間に、内陸堤防を二重に構築する。(上述。)
……これを私の案とする。(女川町の部分。)
[ 付記1 ]
すぐ上の (1) で、次のように書いた。
「水産工場などだけは設置可能にするが、容易に避難できる体制を構築する」
これはとても大切なことだ。特に、避難先への道路は、幅の広い直線的な道路を構築する必要がある。津波が寄せたときに渋滞が起こるようでは困る。
ひるがえって、現状では、そうなっていない。
・ 直線的ではなくて、曲がり角の多い道路。
・ 幅の狭い道路。
こういう道路が多い。そのせいで渋滞が起こりやすい。津波が来たときに「渋滞のせいで逃げ遅れてしまった」という例が発生しやすい。
この問題を解決するためには、津波で破壊された土地を区画整理する必要がある。なのに、それができていない地域が多い。「都市計画なんてやってられないよ」と思っているのだろうが、ひどすぎる。すべてが破壊された土地こそ、都市計画が必要かつ有効な状態なのだ。
こういう「都市計画」という発想を、何よりも重視するべきだ。(土木工事の金のことより、知恵が大切だ。)
このような都市計画の重要性については、下記でも述べた。
→ 復興会議と復興計画
ここにおいて、すでに次の記述がある。
次のような都市計画を提言する。
「巨大な津波を完全に阻止することはできない、とわきまえた上で、被害を最小化する。そのために、防潮堤は、内陸部につくる。それも、多重化して」
本項で述べたアイデアは、実は、すでに上記項目にも記してあったのである。
[ 付記2 ]
東部からの避難路は、内陸堤防のトンネルに向かうものだけではない。なぜなら、もしそうだとすると、多数の車両が小さなトンネルに殺到して、渋滞を起こすからだ。
ではどうすればいいかというと、(湾に近い)東部から、周囲の高台へと、放射状に逃げればいい。これならば渋滞は起こらない。
とにかく、そういう避難路をたくさん作っておけばいいのだ。多数の車両が簡単に逃げ出すことができる。
( ※ 高台といっても、平坦な台地である必要はない。ただの山道で十分だ。これらの避難路は、袋小路になっていても構わない。)
( ※ 内陸堤防の上にも、避難できるようにするといいだろう。)
[ 付記3 ]
本項のタイトルでは、次のように述べた。
「復興は必要か?」
これについて答えるなら、次のように言える。
「原状回復という意味での復興ならば、不要である。そんなことをしても、被害がまた繰り返されるだけだ。大切なのは、復興ではなくて、新しい未来を建設することだ。それは津波への耐性を備えたものだ。と同時に、将来の人口や産業に適したものだ」
「将来の人口や産業を無視して、単に大量の土地や建物を構築しても、そこは人のいない廃墟になるだけだ。廃墟を構築するために大金を投入するのは馬鹿げている。むやみやたらと建築に邁進するより、どういう未来を構築するか、頭でじっくり考えるべきだ。走る前に、考えるべきだ」
http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201309100507.html
女川のような地域(代替地のない地域)では、仮設住宅から脱せない人々が多い。一方、南部では、平野部があるので、仮設住宅を脱して、新たな土地で暮らす人が多い。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309060745.html
津波に襲われた地域の住民には、国や県から 300万円の支給がある。それに加えて、一部地域では 自治体レベルで 150万円や 250万円という多額の加算がある。人口流出地域で人口減を恐れているせい。たとえば、釜石は 200万円、女川は 300万円。自治体がホイホイと金を支給している。
──
なお、同じような自然災害でも、竜巻による被害だと、金はほとんどもらえない例が多い。
人間による被害だと、水俣病や原爆被災者は、相当悲惨な状況に置かれた。
以上の例では、被害者には何の落ち度もなかったのだが、まともに補償は与えられない。
一方、津波被害者は、自分からあえて危険な土地に住んだという自己責任があるのだが、莫大な補償金をもらえる。「同情するなら金をくれ」ということか。
私としては、金よりも知恵を与えるべきだと思うんだが。「わざわざ危険な土地に住むな」と。
だな。
石巻など東北の被災地は、リセットして、震災前より小ぶりなところから再興するというプランが現実的のようです。
しかし、故郷には、西條八十さんの歌詞のように深い郷愁があります。
花摘む野辺に日は落ちて
みんなで肩を組みながら
唄をうたった帰りみち
幼馴染(おさななじみ)のあの友この友
ああ誰(たれ)か故郷を想わざる
NHKで「震災ビッグデータ 復興の壁 未来への鍵」を放映していました。
携帯、カーナビ、ツイッター、企業情報は、集めると膨大なデータであり、日本人・日本企業の行動・関係性を浮き彫り
にする。ネットワーク分析から、東北のコネクター・ハブとなっている企業が分かってきた・・・
といった興味深いものですが、ハブの具体例として、「白謙かまぼこ(笹かま製造)」と「みなと(たらこ製造)」を
挙げていました。「みなと」が頑張ると、高品質の包装箱を製造している「サンパック」が忙しくなるという連鎖となる。
これは、現代的な経済分析手法であり、新しい日本型の経済学を構築できる可能性を感じさせます。同情期待ではなく、
必要と望まれているものを製造することが、駆動力となって、地域経済を動かし始めるのでしょう。頑張って欲しいです。
だから、故郷だった地域に近い地域に住むかどうか、という問題。まあ、それでも地元を離れがたい人もいるんだろうが。
──
あと、これは別件だが、どうしても遠くへ行きたくないという人向けには、5階建てぐらいの高層住宅でもつくればいい。これなら金はあまりかからない。(建設費はかかるが土地代がかからない。)
一方、わざわざ山を崩して平地をつくるというような大がかりな工事は、やめた方がいい。(建物代はあまりかからないが、土地造成費が巨額になる。)
膨大な支援で高台住宅が建設されましたが、最も被害が大きかったバンダ・アチェへ戻っていく流れが起きました。
> どうしても遠くへ行きたくないという人向けには、5階建てぐらいの高層住宅でもつくればいい。これなら金はあまり
かからない。(建設費はかかるが土地代がかからない。) 一方、わざわざ山を崩して平地をつくるというような大がか
りな工事は、やめた方がいい。(建物代はあまりかからないが、土地造成費が巨額になる。)
これは賛同です。無理やり造成した高台は、次の津波以前に豪雨などで被災するかも。以前にコメントしたが、津波は
長波で、伝播速度が水深の平方根に比例するため、東北沿岸を襲うときには、海岸線に平行な隊列をなして、海岸線に
垂直に突入してきます。高層住宅は、海岸線に垂直に波を切る船首のような形にすれば、津波を楽々切り裂いて、平然
と立ち続けるでしょう。
地盤と構造体の強度など詰めるべき点がありますが、建築研究所など公的な研究機関があるのだから、内閣府等は、
研究要請を出せばいい。研究者も社会に貢献したいのだから献身的に研究するでしょう。全て、民間に任せるやり方が
経済発展だといった阿呆な経済学者(フリードマンなど)がいましたが、要所だけは国家がきちんと支持しないと、採算の
合わない基礎研究を民間はやらない(大勢として)のだから、成り行き任せになりますね。
どうしても庭付き一戸建てに拘る人は、高台を探して移転することです。500年に1度の大津波のために、高台へ移る
人が幸せかどうかは分かりません。高台移転しなくても、便利で安全性が高い方策を考えることも重要だと思えます。