1回、56号本塁打を放ち、ボードを掲げるヤクルト・バレンティン=神宮球場(撮影・古厩正樹)【拡大】
午後6時16分、49年ぶりに歴史の扉が開いた。一回一死二塁。3万319観衆を証人に、飛球が左中間スタンドに飛び込んだ。バレンティンが両手を突き上げ、ほえた。
「チョーキモチイイ! 今までの人生で最高の感触だった。サダハル・オーは偉大な日本記録、世界記録を作った強打者。尊敬しているし、抜くことができてうれしく思っている」
マウンド上は榎田。カウント2-1から、外寄り137キロの直球を振り抜いた。ベースを周りながら探したのは、バックネット裏で観戦した母・アストリッドさん(64)。「何をやるにも1番を目指しなさい」。幼少期から教えてくれた母がネット際まで降りてきた姿を見つけると、両目が潤んだ。
日本を「第2の故郷」と決めた。7月の球宴期間中にはオランダ領キュラソー島の先輩、同島出身の楽天・ジョーンズを誘い、鎌倉・由比ケ浜海岸を訪れた。憧れの先輩に、日本の海を見せたかった。