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364 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 01:10:20.27 ID:TmuggiXv0 - >354
>ナルと雅子が一緒に入った写真をアップ そんな記憶はないのだが…。 >351 招待者が高円宮であるとは確定していない。 www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1227866131626.jpg >「私はキューピッドではありません」 高円宮本人は一応否定している。 高円宮説 www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1227866131626.jpg 中川融氏説 www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070327233134.jpg 安嶋彌東宮大夫説 www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1366614131871.jpg 父恒説 「外国報道に見るご成婚」より、ザ・ニューヨーカー >エレナ王女のお茶会への招待は、宮内庁に電話をかけて父親が取り付けたものである。 元週刊女性澤田記者の記事を元に想像すると、おそらく上記の誰でもないだろう。
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366 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 01:13:18.04 ID:TmuggiXv0 - 東宮の結婚のいきさつについては、流布された誤った物語が多いのである。
麻布真海氏の証言。 毎日グラフ臨時増刊'93年6月26日号 >誤った「物語」が流布されてもいましたが、これは殿下ご自身が記者会見で訂正なさっていますね。 賀陽正憲氏の証言。 www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1299273499399.jpg >この時の話が、後に虚実入り交じって報道されたものですから、私としては大いに迷惑しました。 流布された誤った物語が多い当時の報道をそのまま鵜呑みにするのは、大変危険である。 当時の報道をソースとする場合、まずは証言者が名乗っているか。 名乗っているならば、その証言者は信用に値する人物であるか。 立派な書籍として出版されていても、注意が必要である。 著者が皇室ジャーナリストなのか、ただのライターなのか。 本の後部に参考文献が羅列されている場合は、特に注意が必要である。 例えば「消えたお妃候補たち」などは、誤った物語を報じた週刊誌や新聞の記事を元に 纏められたものである。
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370 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 01:17:14.14 ID:TmuggiXv0 - 例え有名皇室ジャーナリストが書いた記事であったとしても、嘘を書く人物には注意しなければならない。
皇室ジャーナリスト、松崎敏弥氏。 女性自身緊急増刊 雅子妃誕生愛「決断」のすべて >本誌皇室記者 松崎敏弥 特別手記 >私は他誌に先がけて、雅子さま本人に確認を取りたいと思った。 >東京・東急目蒲線「洗足」駅の近くの小和田邸の前に初めて立ったのは、昭和62年暮れの寒い朝だった。 >外務省に通勤する雅子さまを自宅近くの路地で待って声をかけた。 澤田記者が雅子に声を掛けたのは12月15日午前8時35分。 当然、松崎氏よりも先であり、松崎氏は他誌に先がけてはいない。 週刊女性が雅子を取り上げたのは、昭和63年1月14日特別号(昭和62年12月21日発行)。 女性自身が初めて取り上げたのは、昭和63年1月20日号だ。
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373 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 01:23:17.82 ID:TmuggiXv0 - 皇室ジャーナリスト、河原敏明氏。
www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1244300292719.jpg >反省しきりの河原(敏明)氏だが、「雅子さん有力」の情報を入手したのも、実はいちばん >早かったという。 >「私の情報をもとに、あるスポーツ紙が初めて雅子さんの名前を公にしたのが、87年の12月。 元週刊女性澤田記者の存在が消されている。
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374 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 01:24:31.44 ID:TmuggiXv0 - 6月のプリンセス、読売新聞社社会部 。
>雅子さんを「浩宮妃の有力候補として初めて報道したのは、87年12月19日のスポーツ紙である。」 >(略)「各社とも大騒ぎなんですよ。どうも週刊誌などのいつものガセでもないような感じなんですが」 >(略)「東宮侍従の一人が『一年前の十月にスペインのエレナ王女歓迎レセプションで初めて会い、 >その後も四、五回は殿下とお会いしている』と言っています」 入稿と発行の関係で日刊スポーツが第一報となったが、日刊スポーツは21日発売の週刊女性に記事が 載ることを書いている。 「どうも週刊誌などのいつものガセでもない」とあるが、日刊スポーツは週刊女性が元だと書いているのだ。 また、昭和62年に東宮侍従がエレナ王女レセプションを明かしたことになっているが、 澤田記者が独占スクープとしてエレナ王女レセプションのことを書いたのは、昭和63年2月である。 とにかく、当時の報道は誤った物語や嘘が多いのだ。
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378 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 01:27:29.55 ID:TmuggiXv0 - >369
雅子は写っていないのでは? おやすみなさい。
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933 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:39:02.12 ID:TmuggiXv0 - デンマーク大使館広報官イェンス・イェンセン氏は、日本に憧れて来日した超親日家。
コロニヘーヴを広める活動など行っている。 >929 乙です。 皇室御一行様★part2654 ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1378985544/
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934 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:40:36.04 ID:TmuggiXv0 - >529
>1987年4月に高円宮邸で遅くまで浩宮と会っていた女性がいる=雅子=前年のエレナ王女レセプションで会っていた女性であることがばれた >確かに1987年12月19日の日刊スポーツでそのことが書かれています エレナ王女レセプションが1987年12月19日の日刊スポーツに書かれている、というソースを出してほしい。 1987年12月19日の日刊スポーツ、紙面より >その根拠は、雅子さんが浩宮さまに今春、あるパーティーでお目にかかり、その後、 >東宮御所で何回かお会いしたという情報だ。 実際の12月19日の日刊スポーツには、「今春、あるパーティー」と書かれている。 エレナ王女レセプションは1986年10月18日、秋であり春ではない、もちろん今春でもない。 この時澤田記者は切り札を温存し、まだエレナ王女の情報は流していなかったからだ。 澤田記者が「独占スクープ第 7 弾」としてエレナ王女レセプションを出したのは、 週刊女性'88年3月1日号(発売日は2月15日?)である。 澤田記者は雅子の存在を世間に公にした後も、毎週のように情報を小出しにし、 延々と「御所の関係者」を追い詰めていった。
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936 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:42:17.30 ID:TmuggiXv0 - 昔の報道はすべて真実だっただろうか。
嘘の例>370,373,374 報道された「雅子さまはご優秀」「雅子さまの釣書」は真実だったか。 それらと同じく、結婚の経緯にも嘘が隠されている。 まず断っておきたいのは、自分はドス子の事件簿を尊敬し、存在に感謝している。 ドス子の内容とは異なる事を書いてはいるが、決してドス子を貶めるために書いているのではなく、 追求の末に得た情報を書いているだけである。 時系列について-ドス子の事件簿 wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%BB%FE%B7%CF%CE%F3%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6 >昭和62年暮れ〜昭和63年早々 >富田宮内庁長官の説得により浩宮一旦諦める。 これは流布された嘘である。
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937 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:43:22.05 ID:TmuggiXv0 - www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1244300292719.jpg
>皇太子と富田氏のやりとりが行われたのは、87年の秋。十月には、皇太子と雅子さんが、 >皇太子の親友のひとりを交えた三人のデートも楽しまれた。 >女性ひとりをこうした席に呼ぶのは極めて異例で、二人の交際がまさに深まろうという時期だった。 富田宮内庁長官が皇太子(当時浩宮)を説得したのは、87年の秋。 しかし説得が行われた後の12月9日、雅子の誕生日に東宮職員が小和田邸を訪問している。 宮内庁長官が説得した後も浩宮は諦めず、計画は続いていた。 8月に「御所の関係者」から雅子を教わった澤田記者だったが、その時は動かなかった。 12月9日の出来事から計画が続いていることを察知し、はじめて計画阻止に動き出す。 「御所の関係者」に会い、説得。 しかし「御所の関係者」は納得せず、最後まで記事にすることに反対した。 計画を阻止するために仕方なく、澤田記者は雅子を記事にするのである。
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940 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:44:21.54 ID:TmuggiXv0 - 澤田記者は雅子の存在を公にするが、それはこの先の攻撃の準備に過ぎなかった。
雅子の誕生日に花束が届けられたこと、エレナ王女レセプションのことなど、 「御所の関係者」にとって知られては不味い事柄を連発し、諦めるよう追い詰めた。 澤田記者の執拗な攻撃に降参し、この時はじめて一旦諦めたのである。 昭和63年2月19日、23日の浩宮誕生日用の記者会見。 「女性外交官の誕生日に、浩宮さまがプレゼントされたという報道が一部にありましたが」 と質問された浩宮は、「びっくりしました。そのような事実はありません」と答えた。 この発言により計画が止まったと判断した澤田記者は、記事による攻撃を停止した。
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943 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:45:18.54 ID:TmuggiXv0 - 時系列について-ドス子の事件簿
wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%BB%FE%B7%CF%CE%F3%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6 >平成元年9月28日 >留学先の英国で日本のテレビ局の取材を受け「私には関係ないと思っております」発言。 確かにテレビで流れたのだが、雅子の発言を引き出す取材をしたのは、現場にいた 澤田記者である。 昭和63年に諦めたはずの計画が続いていることを察知した澤田記者が、計画を阻止するために 再び動き、ロンドンまで行ったのだ。 澤田記者は「御所の関係者」から、雅子は計画を知らないことを聞いている。 計画を知らされていない雅子に取材をすれば、否定的な発言を得られる確信があった。 澤田記者の作戦は成功し、再び結婚計画は止まった。
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946 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 20:48:53.30 ID:TmuggiXv0 - しかし平成5年、澤田記者の努力も虚しく、結婚計画は達成されてしまった。
が、澤田記者はまだ「御所の関係者」と戦っていた。 週刊女性'93年1月26日号 www.amazon.co.jp/週刊女性-No-1754-1993年-1月26日号-雑誌/dp/B00DS0FP18/ >秘話初公開 本誌スクープ小和田雅子さんお妃候補報道はこうして生まれた! 1月6日にお妃決定速報、その後の1月12日に発売された週刊女性。 入稿印刷を考えると、発表直後に執筆されただろう。 1月19日の正式発表および記者会見前の記事である。 この時にはじめて、この結婚に「御所の関係者」が関与していたことを明かす。 そして浩宮が会見で否定した「花束」も蒸し返す。 >そういえば、この出来事に関しての皇太子さまへの質問が2月、28歳をまえにした >宮内庁記者会との記者会見で飛び出したこともあったので少し再現してみよう。(略) >そして、誕生日の花束を届けたという本誌の記事で触れたことに皇太子さまはこう、お答えだった。 >「びっくりしました。それは違います」 >というものだったが……。
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968 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 22:01:10.94 ID:TmuggiXv0 - 週刊女性'93年2月2日号
www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234956094241.jpg >雅子さん 殿下の一途愛 愛の花束から5年 プロポーズを待っていた! 発売は1月19日、婚約記者会見にぶつけた記事が、会見で嘘をついた「花束」の蒸し返しだった。 週刊女性増刊'93年3月3日号「皇太子さま貫かれた初恋 佳麗雅子さんとご婚約」 >「昭和62年12月9日 目黒の小和田邸 小雨 ○○○○の○○氏が朝から黒塗り(ハイヤーのこと)で張り込み」 12月9日に張り込みをしていた人物がいたことを明かす。
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970 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 22:02:47.91 ID:TmuggiXv0 - その後、平成5年に澤田記者は皇室担当から外れた。
15年の歳月を経て、皇室には様々な出来事があり、東宮に対する評価も変わった。 そして平成20年、あの澤田記者がエレナ王女レセプションの秘密を引っさげ再び登場する。 その秘密とはおそらく、公開されると「二人はエレナ王女レセプションで初めて出会い、 皇太子さまが一目惚れ」という流布された物語を打ち壊す内容だ。 一旦目の前から消えたはずの澤田記者が再び登場したことにも、「御所の関係者」は驚いただろう。 水面下の戦いは、世間が気付かないだけで、昭和の時代から四半世紀以上続いている。 澤田記者の相手は、昭和62年に「御所の関係者」が名字を知らなかったような雑魚の小和田ではない。 この政略結婚を画策した、問題の根源である「御所の関係者」と戦い続けているのだ。 そしておそらく皇室も、昭和の時代から既に勢力と手を結んでしまっていた「御所の関係者」と、 長い時間を掛けて今も戦い続けている。
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972 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 22:04:16.79 ID:TmuggiXv0 - >949
澤田記者の記事を元にするとそうなるが、おそらく裏と駆け引きがある。
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978 :可愛い奥様[sage]:2013/09/12(木) 22:24:00.64 ID:TmuggiXv0 - >976
その通り、昭和62年の夏に「御所の関係者」は「小和田」という名字を知らなかった。 「御所の関係者」の「気になる子」とは、 「相当に美人で頭の切れる子とは思っていない、名字も名前も全く気にならない子」だった。 その辺りについてはpart2644参照。
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