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【芸能・社会】

T−BOLAN、南三陸でライブ 来年3月には19年ぶり単独ライブ

2013年9月16日 紙面から

 昨年、13年ぶりに再結成した4人組ロックバンド「T−BOLAN」が15日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の袖浜地区で、復興支援ライブ「南三陸MUSIC FESTIVAL」に出演した。南三陸町は、ボーカル森友嵐士(47)が震災後に定期的にボランティアで訪れ、被災者と触れ合う中で、バンドの再結成を後押しされた大切な場所。恩返しのためメンバーを引き連れてやってきた森友は、来年3月に19年ぶりの単独ライブ開催を発表した。

 震災から2年。職員が最後まで津波からの避難を呼び掛けた南三陸町防災対策庁舎の骨組みの周囲には雑草が生い茂っていた。森友はその光景を厳しい表情で見つめた。

 最初にこの地を訪れたのは、震災から約1カ月後。大学時代の仲間と物資の支援をした。毎日を必死で生きる被災者の姿や、「もう一度T−BOLANが見たい」という声援を聞き、森友は自問自答した。「自分は何がしたいのか。人生を振り返ったとき、99年にT−BOLANは本当に解散できたのか? ピリオドは打てたのか」と。

 森友が原因不明の心因性発声障害を患ったため、95年3月の大阪厚生年金会館でのツアーファイナルを最後に解散。昨年、再結成を果たしたものの、やり残したことがまだあった。まずは南三陸への恩返しだ。

 森友以外の3人もその熱い思いに賛同。バンドの復活後、4人で初めて南三陸を訪れ、地元の実行委員会が主催した無料ライブに参加した。

 森友は「雨が降らないところに虹は出ないといいます。僕も十数年間声が出ない時期がありましたが、今ステージに立つ喜びがあります。今日一日を生きることが大事。そんな思いから僕らもT−BOLANを復活させました」とあいさつし、「離したくはない」「じれったい愛」など8曲を披露した。

 そしてこの日、4人は19年ぶりに単独ライブを発表。最後にマイクを置いた旧大阪厚生年金会館(現オリックス劇場)で来年3月8日に。またバンド結成当時、最初に目指した東京・渋谷公会堂で同21日に開催する。

 「あの置き去りにするしかなかったステージに4人でもう一度立とうと。解散ライブすらできなかった僕らが、4人でもう一度あのステージに立ち返ることで、T−BOLANに対する意味を考えたい」。森友は熱く語った。

 昨年、FIELD OF VIEWらとともに開催した全国ツアーで復活の狼煙(のろし)を上げたが、“サヨナラからはじめよう”とばかりに、志半ばで終わった過去と決別し、T−BOLANが第2章の本格始動を宣言した。

◆90年代の映像公開

 来年1月からは、T−BOLANのドキュメンタリー映画の公開も決まった。90年代のライブやドキュメンタリー素材を中心に、ファンから募集した新たなエピソードを盛り込む。ミリオンセラーを連発した90年代の軌跡や、95年に解散を迎えざるを得なかったバンドの運命にせまる。

 

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