共に生きる・トブロサルダ:大阪コリアンの目/123 /大阪
毎日新聞 2013年09月13日 地方版
◆十五代沈壽官先生との感銘の対面
◇日朝の深きところで育まれた薩摩焼 透き通る白肌に、繊細緻密な施し
伊勢国藤堂家の支藩に生まれ、後に京都で開業した橘南谿という医者がいた。天明(1780年代)の頃に生きた人物だ。南谿は旅行家としても知られ、信越から奥州を「東遊記」、九州、四国を「西遊記」に記した。彼は「余、久敷その地に遊ばんことを心がけ居たりしが」と書き、薩摩を訪れ、「文禄慶長の役」で朝鮮から連れてこられた陶工たちのいる苗代川へ満を持して訪ねている。
「文禄慶長の役」は太閤秀吉による罪深き侵略戦争。朝鮮に多大なる被害をもたらした。殺戮された民は18万をゆうに越え、さらに日本に連行された人は3万とも4万とも言われる。ここに陶工たちが多数含まれている。土をこね、焼き上げることしかできなかった日本とはちがい、すでに釉薬を施し、着色し、高温で焼き上げた硬い陶磁器が朝鮮や中国でつくられていた。茶の湯の風流を知る武将たちは、隣国の陶磁器に憧れ、こぞって戦地から陶工を連れて帰った。
南谿は、苗代川の集落で人々が朝鮮の風習、そして言葉にいたるまでを継承していることに驚いている。「伸〓屯」という初老の荘官と出会い、朝鮮からの渡来、何代目であるかを問うた。荘官は「五代」だという。南谿は「しからば故国は忘れてしまっておられるであろう」とさらに質した。これに「いまも帰国のこと許し給うほどならば、厚恩を忘れたるにはあらず候(そうら)えども、帰国いたしたき心地に候」「故郷忘じかたしとは誰人の言い置きけることにや」と語ったという。南谿は「余も哀れとも思いて」と共感を字に残している。
この逸話は司馬遼太郎氏の『故郷忘じがたく候』に紹介されている。この短編小説は、苗代川の物語であるが、とりわけ薩摩焼に生涯を捧げた十四代沈壽官先生と司馬氏の交遊の記録でもある。私はこの小説を契機とし、陶磁器鑑賞の趣味を得た。一度、私も橘南谿のように薩摩を訪れ、朝鮮から渡りし人々の遺(のこ)した痕跡を訪ねたいと思っている。
去る日曜日、「薩摩焼十五代沈壽官展」(近鉄百貨店阿倍野店)が開催されていた。もしやと思いつつも、当代沈壽官先生(十五代)と対面する貴重な機会をいただいた。展示品の数々の輝きにすでに吸い込まれそうになり、さらに沈先生の人柄と日韓文化比較の深さに感服した。