北へ向う渡り鳥料理人

ここ数年、関西は「大型商業施設(百貨店等)」の開業ラッシュです。

2年前、JR大阪駅構内に「ルクア」「JR大阪三越伊勢丹」が開業。
今年は、JR大阪駅に隣接して「グランフロント大阪」、“辻調”がある阿倍野には「あべのハルカス」が開業。

「大型商業施設」が出来ますと、その“売り”となるのが、テナントとして入る有名レストランです。

「グランフロント大阪」には、青柳小山裕久ミクニの三国清三レストラン大宮の大宮勝雄 等々の名前が並んでいます。ただ、その多くは“プロデュース”であり、身銭を切ってまで、大阪に出店される気はないでしょう。

JR大阪駅周辺には、他に、阪神百貨店・阪急百貨店・大丸百貨店があります。
阪神百貨店・阪急百貨店は同じグループであり、グランフロント大阪の、ショップ&レストランは、阪急電鉄が開発を担当しています。

また、ルクアの社長は伊勢丹出身で施設管理はJR西日本SC開発が行っており、JR大阪三越伊勢丹にはJR西日本が出資しています。

各百貨店は、書いていてもややこしくなるほど関係が強く、「囲い込み」と言えば聞こえはいいのですが、結局、同じグループで客を奪い合う事にはならないのでしょうか?。
事実、JR大阪三越伊勢丹は絶不調であり、リニューアルも決定しているようです。



本題です。大阪に来るレストランもあれば、大阪を捨てる料理人もいます。

20世紀から21世紀に変る頃、私が利用していました店から、3名の料理人が消えました


イデミ・スギノ 杉野英実  
Sugino日本を代表するパティシエの一人であり、現在は東京で活躍されています。
2001年までは、神戸の異人館近くに店を構えられていましたので、坂を上って買いに行っていました(歩いて行くと不便な場所)。

しかし「放浪の旅に出る」と店を閉め、復帰を願っていましたが・・・・・ 東京へ。
そういえば、同じ年に、「ジャンムーラン」の三木 剛シェフも旅に出ましたが、一緒だったのかな?。三木シェフは、奥様の実家が・・・・・ですから、お金はあるでしょうね。
京都に、お弟子さんの店、「グラン・ヴァニーユ」が出来ています。
http://tabelog.com/kyoto/A2602/A260202/26017389/



リストランテ・カラバジオ 寺島 豊
Aa寺島シェフは、イタリアで  グアルティエーロ・マルケージに師事し、帰国後、「リストランテ山崎」の初代シェフとなります。
その後、大阪の「リストランテ・カラパジオ」のシェフを務めます。

経歴を考えますと、「何故、大阪のレストランのシェフに」と思われるでしょうが、実は、このレストランのオーナーは、農業機械で有名な「クボタ」ですから、金に糸目は付けなかったのでしょうね。

しかし、寺島シェフは大阪を捨て、再度、「リストランテ山崎」のシェフとなり、その後、福井県のレストランを経て、今は、片山津温泉のホテルです。
http://www.katayamazu-spa.or.jp/hotels/arrowle/
ステップアップ? 都落ち? 大阪に戻ればいいものを。



リストランテ・パラクッキ 鈴木康司
Photo鈴木シェフは、イタリア料理界の巨匠アンジェロ・パラックッキに師事し、パラクッキ氏の日本支店となる「リストランテ・パラクッキ(大阪)」の料理長となります。
勿論、この店はパラクッキ氏の出資ではなく、大丸百貨店がスポンサーでした。

しかし、2001年、鈴木シェフも東京へ行きます。
東京では、山田宏巳シェフの「リストランテ・ヒロ青山」の料理長に就任。

201その後、落合 務シェフが関わる「リビエラ青山」のグランシェフに就任。
有名シェフの店を渡り歩き(ミーハーなのかな?)、ここまでは順風満帆かと思えたのですが・・・・・・・・・。

2012年1月、「リビエラ青山」のシェフを辞められます(理由は知りません)。
その後、「独立」との話もあったようですが、ツイッターでは「仕事を下さい」と発信もされていました。

そして、行きついたところが、軽井沢のレストラン「ピエトリーノ」。
http://tabelog.com/nagano/A2003/A200301/20015828/

この店は、銀座のフランス料理店「レカイヨ」のオーナー 高橋淳一氏のお店と言われていましたが、高橋淳一氏は、ただの“雇われ店長”でした。そのあたりは、本家のメルマガ(タダ読み部分)にも書かれています。

http://chokumaga.com/magazine/?mid=116&vol=6

しかし、高橋淳一氏とオーナーが揉めたのでしょうか、スタッフも変り、鈴木シェフも職場を去る事になりました。

料理人は、サラリーマンとは違い、職場を渡り歩く事は少なくはありません。勿論、低いレベルではダメですが、高いレベルであれば、新店の“お誘い”も少なくはないでしょう。

ただ、昔であれば、誘われる度に給料は上がっていきましたが、そんな時代ではありません。
バブル期の幻想を捨てられない料理人は、理想と現実の狭間で苦しみ、気付いた時には場末のレストランに・・・・・。


鈴木シェフが「リストランテ・パラクッキ(大阪)」に勤務されていた時代、メートル・ド・テルとして宮永久嗣さんが勤められていました。

クロ・ド・ミャン 宮永久嗣

Zsss宮永久嗣さんは、独立して、大阪の北新地に「クロ・ド・ミャン」を開業します。
門上武司さんが贔屓にしていたせいか、人気店となり、東京(銀座)にも進出。

しかし、門上さんが応援した人の末路は・・・・・。
おだてられて、調子に乗ったのでしょうか?。結果、大阪・東京の店を失う事となりました。
知り合いのライターからの情報によりますと、先月、新店(Amrit)をオープンさせたようです。
http://tabelog.com/tokyo/A1308/A130801/13159872/

そういえば、宮永さんもフランス校出身だったはず。今度は謙虚になって下さいね。

“渡り鳥料理人”のディープな話は、次回書きます。


事実を元に記事にしておりますが、「それは違う」とか、「もっと知っている」などのご意見は、ページの最後にあります日付の横の“コメント”をクリックして、ご意見をお寄せ下さい

初代のtwilogもご覧下さい
http://twilog.org/tomosatoyuyabot

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料理の先生は家庭不和

初代の記事の中で、「辻調理師専門学校」「辻学園 調理・製菓専門学校」については、何度か書かれています。
この2校は、共に、大阪で創立されましたが、同じく、大阪には、日本を代表する“料理学校”もありました。

土井 勝 さんという名前を御存知でしょうか?
Photo家庭料理の専門家として、年配の方には知られた名前であり、若い方々には、土井善晴 さんのお父様と言ったほうがよいでしょうか。
この土井 勝さんが設立されたのが「土井 勝 料理学校」です。


この3校には“関係”があり、また、その家庭環境にも、似たものがあります。
ウィキペディアには掲載されていない事実なども含め、説明したいと思います。


年 表
昭和 9年 辻 徳光 「
堂ビル割烹学院」を創立
昭和20年 終戦
        土井 勝 「堂ビル割烹学院」に入学
昭和28年 土井 勝 「関西割烹学院」を創立
昭和34年 辻 勲 「辻学園日本調理師学校」を
                           創立
昭和35年 辻 静雄「辻調理師学校」を創立


辻徳光さんの弟子が土井勝さんで、辻徳光さんの息子が辻 勲さんです。
辻静雄さんは、辻徳光さんの娘婿であり、元は読売新聞の記者です(名前の“辻”は本名であり、養子ではなかったと記憶しています)。



辻学園日本調理師学校 
Photo_3辻学園は、日本で最初の調理師養成学校として創立されました。
そのピークはバブルの時期と重なります。
しかし、その後、生徒数は右肩下がりとなり、結果、平成23年、民事再生法の適用を申請する事となります。

辻学園には、親しい方が数名おられましたので、少し内輪話を書きましょう。

辻学園が経営破綻に至る理由は、生徒数の減少が大きな理由です。しかし、他にも問題はありました。

2代目(辻 勲さんの息子)の問題
辻 勲さんには息子がいました。
この“2代目”がトップに立つはずだったのでしょうが、危ない筋からの借金も膨らみ、一時、逃亡する始末。
その事が色々な方面にバレ、学園長であり、親でもある辻 勲さんの求心力も弱まりました。

教師から生徒への体罰
辻学園では、ある程度の体罰は容認されていました。しかし、時代は変わって行きます・・・。
授業中、中国料理の教授(助教授だったかな・・・)が、ふまじめな生徒を殴りました。
昔であれば“愛のムチ”と許されたのでしょうが、殴られた生徒は親に言いつけ、親が学校に乗り込んで来ました。
話し合いの結果、その中国料理の教師は
“平”に格下げとなりました。

良く言えば“質実剛健”な校風は、時代に合わなくなったようです。
三国清三シェフが、弟子に暴力をふるったと問題になりましたが、昔であれば当たり前の事だったはず。



辻調理師学校 
Photo_4辻調理師学校は“辻家”の娘婿の辻 静雄さんが興した学校ですから、本来は姉妹校のはずですが、昔から犬猿の仲。
両校共に、教師が、授業中に相手の悪口を言うなど、歩み寄る気はなかったようです。

「料理界の東大」のキャッチフレーズを付け、TBSの「料理天国」に協力する事で、全国的に認知されました。

辻 静雄さんは若くして亡くなりましたが、辻学園と違い、こちらは2代目がしっかりしています。
何がしっかりしているかと言えば、2代目の辻 芳樹さんの奥様は、東宝の会長の娘さんです。
このあたりの話は、初代のtwilogをお読みください。
http://twilog.org/tomosatoyuyabot/date-130326




土井 勝 料理学校
Photo_5土井勝 料理学校は、土井 勝さんというカリスマがいてこその学校です。
30年ほど前、スイス・フランスでのフランス料理修業から戻られた土井善晴さんは、日本料理の「味吉兆」などで修業された後、土井勝 料理学校に勤務されました。
当時、学校の社長は長男が務め、長女もサポートされていました。

しかし、25年ほど前、土井勝さんは講演中に倒れられ(脳梗塞だったかな)、その後、復帰されるものの、手の動きがスムーズではなくなり、その役目を善晴さんに引き継がれました。

しかし、土井勝というカリスマ・広告塔を失った学校は、生徒数が減少し、5校あった学校も、徐々に減らしていきました。

そして、震災の年の1995年に土井勝さんは他界され、翌年、土井勝 料理学校は廃校となります。

その後、経緯は知りませんが、土井勝 料理学校という名前は、土井家から離れ、ある金融機関が管理する事となり、どなたが権利を買われたのか、「土井 勝の味」と謳ったレストランや、コンビニと提携した弁当が売られる事になります(善晴さんが裁判所に訴えたはず)。


辻家と同じく、土井家にも問題はあります。
学校の社長(経営者)であった長男と、次男の善晴さんは対立しており、料理人の道に進んだ長男とは、絶縁状態とも聞きます。
他にも問題はあるのですが・・・・・ それは書けません。

そういえば、土井善晴さんはビールのCMに出演されていましたが、たしか下戸だったはず・・・。飲めるようになったのかな。

最近は“なんちゃって料理研究家”がブームではありますが、土井善晴さんには、お父様の遺志を継いで頂きたいです。




本日のタイトル「料理の先生は家庭不和」と書いていて、一人、有名(?)なシェフを思い出しました。

林 裕人(旧名:林 繁和)
Photo_7林シェフは、辻学園の製菓の教授として活躍されていましたが、現在は独立され、「ミヤネ屋」の料理コーナーなどで活躍されています。
林シェフは、吉本の西川きよしさんの娘さんと再婚されましたが、3年で離婚。正直、学校に勤務されていた頃から、女性には・・・・・・・。

上の写真は、西川きよし さんが経営されているクッキングスタジオで撮られたものです。
林シェフの為に作ったのかな???


料理学校といえば、もう一つ。辻学園系の「辻クッキング」がありました。
しかし、こちらにも問題があり、自己破産。http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/02/24/kiji/K20120224002698330.html

「ABCクッキングスタジオ」の成功を見ますと、決して需要が無かったのではなく、流れを読めなかったのかもしれません。
「ABCクッキングスタジオ」については、初代も書いています。
http://twilog.org/tomosatoyuyabot/date-130722
http://twilog.org/tomosatoyuyabot/date-130724



私のブログに対しては、色々とご意見もあるでしょう。
再度、心がけている事を述べるなら、「事実を書く」「毒を吐いても、根拠の無い悪口は言わない」「初心者にも分かるように書く」「飲食業界への問題提起をする」の4点です。

飲食業界の事情に詳しい方、関西に興味の無い方にとっては“つまらない”ブログかもしれませんが、一部の方にでも「そんな問題があったのか」と知って頂ければ幸いです。

なにぶん、限られた時間で書いております為、ある程度は大目に見て頂ければ助かります。

ただ、初代との“関係”で始めたブログですので、本家から不評であれば、継続する意味は無いのかもしれません。



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こっそり消える客室数

関西は、バブル崩壊以降、景気は右肩下がり。しかし、何故か、外資系ホテルが増えています。

今年オープンした「グランフロント大阪」内にはインターコンチネンタルホテル大阪が開業。

3年前には、本町にセントレジスホテル大阪も開業しています(本家の定宿?)。

加えて、計画中(決定)のホテルも幾つかありますので、客室数は供給過多ではないでしょうか。
一方で、大阪市北区にあるラマダホテル大阪は閉館を決定しています。


本日のタイトル「こっそり消える客室数」は、そんな難しい経済の話ではありません。

皆さんは、こんな都市伝説を聞かれた事はありませんか?
「ホテルの客室で自殺があったり、幽霊が出たりすると、壁に飾った額縁(絵)の裏にお札(おふだ)を貼るそうです」

一度は耳にする話です。
先日のトーク番組でも、あるタレントさんが、「地方のホテルに泊って、壁にある絵の裏を見たら“お札(おふだ)”が貼ってあったので、部屋を変えてもらったら、その部屋にも“(おふだ)”が貼ってあった」と、話されていました。


私は“お札(おふだ)”を見た事はありませんが、面白い経験をした事があります。

大阪のリーガロイヤルホテルでの経験
Photo大阪のリーガロイヤルホテルは、皇室や、政財界のトップが利用される事で有名です。
このホテルが、まだロイヤルホテルという名前だった時代、仕事の関係で、料飲部の方に連れられ、地下の従業員通路を歩いていました。

すると、前方から“お坊さん”が歩いてくるではないですか。しかし、どう見ても仮装パーティーではないようなので、料飲部の方に聞きますと・・・・・「実は、自殺者が出た場合など、事件性がない時は、表ざたにならないようにコッソリと処理(供養)しています」との事。

他のホテル関係者に聞いた話では、ホテル内で事故(自殺等)が起こった場合でも、「息を引き取ったのは館外(ホテル外)だと言いなさい」との指示が出ているそうです。
館内で亡くなったのと、館外で亡くなったのでは、イメージが違うそうです。

私の知り合いの知り合いが、20年ほど前、大阪のマルビル内にある大阪第一ホテルに勤務していたのですが、その彼女、なんと、客室で自殺している人を発見してしまいました。
事件性はなかったようで、その客室、予約で埋まっている週末には利用したそうです(本当の話)。

自殺を考えている人は、「どうせなら高級ホテルで・・・」と、思うそうです。
しかし、“される”ホテルは迷惑です。自殺される度に、いちいち、客室を欠番(使用しない)にしていたら、部屋数が無くなってしまいます。

そのせいか、著名人の自殺であっても、ホテル名・マンション名は報道しなくなりましたね(ネットではバレていますが)。



事件発生時のホテル名の公表
Photo_2今から30年ほど前、自民党の議員であった 中川一郎 氏が、ホテルで自殺しました。
当時は、札幌パークホテルという名前が公表されました。


15年前の、衆議院議員 新井将敬 氏の自殺の際は「品川の某ホテル」としか伝えられていません(一部の雑誌には書かれましたが)。

6年前の 松岡利勝 農林水産大臣の自殺は、「衆議院赤坂議員宿舎1102号室」と発表されていますが、この部屋、現在は使われているのでしょうか?


先日の、この殺人事件
http://news.livedoor.com/article/detail/8049385/
「東横イン金沢兼六園香林坊」と公表されていますので、当該の部屋の今後は・・・・・ 欠番? 倉庫? 改装? それとも「訳あり価格」で売るのかな?


「訳あり」と言えば、このニュースを御存知でしょうか。
http://www.j-cast.com/2013/07/16179506.html?p=all
不動産情報サイト「スーモ(SUUMO)」に載せられた情報として・・・・・
「一人暮らしなのに一人暮らしではないような感覚にさせてくれる寂しがり屋さんにオススメのお部屋です♪」と、なんとも意味深。




事件発生時のマンション名の公表
先日、藤 圭子 さんが自殺されました。
自殺されたマンション名は公表されてはいませんが、もし公表されれば、室内での自殺ではないものの、イメージは悪くなりますよね。

しかし、この時代、詮索する人は・・・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=ifASBSXQW40


死亡事件のマンション名が公表された事もあります。

押尾 学 ホステス見殺し事件
押尾 学 氏の事件はこちら
http://www.zakzak.co.jp/gei
/200908/g2009080404_all.html

この記事では、具体的な部分は伏せられていますが、そんな事を許す時代ではありません。

六本木ヒルズレジデンスB棟2307号室
Photo_4この事件は、この部屋で行われたと言われています。
写真の左は、押尾 学 氏。右は、この部屋の持ち主で、「ピーチ・ジョン」の創業者の野口美佳さん。


事件当時、野口美佳さんは妊娠されていましたので、その影響も考え、名前の公表は控えられたそうです。
しかし、実際は、マスコミ関係にパイプが太く、遊び仲間である業界人が圧力をかけたとか。

野口美佳さんの事を少し書きますと、前夫であり、「ピーチ・ジョン」の会長を務めた野口正二 氏は、893との関係が深く、また、アダルトビデオメーカー「桃太郎映像出版」の影のオーナーと言われています。

前夫の“闇の交友関係”や、AV会社との関係を、野口美佳さんは認めていないそうですが、通販会社設立時の初期の通販雑誌名が「桃太郎通信」だそうですから・・・・・
「桃太郎通信」⇒「ピーチ・ジョン」⇒「桃太郎映像出版」 関係がありそうですね。

この報道に対する、野口美佳さんのブログです
https://www.1oven.com/mika_noguchi/2009/12/post-1.html

何が真実なのか???



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海外研修の現実は??

昨日書きましたように、料理を通じ、日本とフランスを結ぶ協会は色々とあります。

その一つ、「日仏料理協会」では、フランスのレストランへの研修を斡旋しており、研修先には、ミシュランの三つ星レストランも含まれています。


日仏料理協会
「日仏料理協会」のHPです。
http://www.afjg-japon.com/

Photoこの協会は、「フランス料理用語辞典」「仏和・和仏料理フランス語辞典」の著者である 宇田川政喜 氏によって設立されました。



研修内容と料金です
http://www.afjg-japon.com/cgi-bin/afjg-japon/siteup.cgi?category=1&page=0

対象者は、「実務経験5年以上であり(もしくは同等の技術を有する)、仕事遂行可能なフランス語力を有する(要約)」とありますので、辻調グループの研修制度(スタージュ)に比べて、現実的だと言えます。
たしか、フランスの調理師学校も、現場での実務経験がなければ入学出来なかったのでは(うろ覚えですが)。

研修費用も、6ヵ月で80万円ほどですから、辻調グループのスタージュと比較しても、さほど高いとは言えません。


研修先です
http://www.afjg-japon.com/cgi-bin/afjg-japon/siteup.cgi?category=1&page=2

「カウンセリング時に相談の上、研修希望先を決定します」「研修先との交渉は、第一希望から行います」とありますので、希望のレストランに必ず勤められるわけでもないようです。

しかし、過去の実績には、三つ星レストランも含まれていますので、期待は出来ます。
また、常時、複数名の日本人が居るでしょうから、人見知りで、仲間が欲しい人には(多くの日本人はこれ)、有り難いシステムかもしれません。

研修先リストを見ますと、ジョルジュ・ブラン(Georges Blanc) が入っています。
http://www.youtube.com/watch?v=8OEUrQFaZ_w

私の知り合いで、ホテル メルパルク大阪出身の方がいますが、彼も、ジョルジュ・ブランで仕事をしていました。
尋ねた事はありませんが、メルパルク大阪が、フランスに研修に出してくれるとも思えませんので、このシステムを利用したのかな?。

以前から、関西にはジョルジュ・ブラン出身が多いと感じていました。他の皆さんも、このシステムを利用したのでしょうか。


ジョルジュ・ブランで修業したといえば
Imagescap6jtpoミシュランにて、一つ星を2店で獲得しているモナリザのオーナーシェフ 河野 透氏もその一人。
河野 透 氏はギーサボワジャマンジラルデなどでも修業し、帰国後は、レストランひらまつタイユバン・ロブションのシェフを務めたエリート中のエリート。
しかし、河野 氏の場合は、何の準備もなく、行き当たりばったりで始まったフランスの修業生活でした。


話が逸れますが、ブログのコメント欄に「ラ・ベカスはどうしてミシュランから無視されているのでしょうか?」との質問を頂きました。

ラ・ベカス
とは、大阪にあるフレンチです。
Photo_3オーナーシェフは渋谷圭紀氏。
渋谷圭紀氏も、フランスにてポール・ボキューズホテル クリヨンジャマンアラン・シャペルなどで修業された強者。


河野 透 氏と渋谷圭紀 氏は、その経歴では遜色はありませんが、ラ・ベカスが、今ひとつブレイクしないのは・・・・・ 渋谷さんの性格に問題があるのか、新地で飲み過ぎているのか、本家が書いたように「若い女性とポルシェで遊んでいる」せいでしょうか?
https://twitter.com/TomosatoYuya/status/319664871107096576


話を戻します。
辻調グループの研修制度(スタージュ)の場合、「研修手当をもらえる場合もあり・・・」となっていますが、「日仏料理協会」の斡旋の場合はどうなのでしょうか?
昨日書きました「菊乃井」の場合は、法律の問題で給与を支給出来ないようですが、フランスでは可能なはず。

フランス大使館のHPにある「社会人の研修ビザ」についての説明です。
http://www.ambafrance-jp.org/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A0%94%E4%BF%AE%E7%94%9F%E3%83%93%E3%82%B6,4850
説明によれば、「フランス以外の国の企業に勤務する給与所得者が研修を行う際のビザです。有給もしくは手当てまたはそれに相当するものを受ける研修である場合も可能です」との事。
仮に、日本の職場に席があったとしても、給与を受ける事は可能なようです。

ただ、能力にもよるでしょうが、ミシュランの三つ星が、給料を払ってまで、日本人の研修を受け入れるでしょうか。
これに関係した事を、本家が書いています。
http://tomosato.net/weblog/%e5%89%b5%e4%bd%9c%e6%96%99%e7%90%86%e3%81%ae%e6%88%90%e3%82%8c%e3%81%ae%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%8b%e3%80%81%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%83%96%e3%82%b8%e9%96%89%e5%ba%97/
本家のブログには「(エル・ブジには)世界中から「タダ働き」希望の厨房・サービススタッフが押し寄せたはずですから、人件費はほとんどかからなかったことでしょう」と書かれています。

海外の多くの有名店の場合、研修の人間には、無給もしくは寸志程度が一般的なのでしょうか。
海外での研修を考えておられる方は、それなりの貯金をしておかなければならないようです。



余談ですが、「大勝軒」の山岸一雄 氏は
Photo_4研修を希望する方は全て受け入れていて(例外があるかもしれません)、研修終了時には寸志を渡していたそうです。
私が話を聞いた方は、自店のラーメン店を休業して研修に行かれたそうですが、数ヵ月の研修中、ある程度の給与は頂いていたそうです(個人差があるようですが)。
http://www.tai-sho-ken.com/noren/



お詫びです

昨日のブログにて、本日、「日本の調理師協会などについても書く予定です」と予告しましたが、記事が長くなりましたので、日を改めて書かせて頂きます。



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金で買うフランス研修

西洋料理の第一線で活躍するシェフは、ほとんどが海外で研修(修業)をしています。

「本場の料理を学びたい」と、純粋に考えている人が大半でしょうが、単に「箔を付けたい」との思いで、海外に行く人も少なくはないようです。

ただ、海外研修(修業)が当たり前になった今、むしろ、志摩観光ホテルで活躍された 高橋忠之 料理長のように、海外での修業経験がない事を“売り”にしてもいいのではないでしょうか。
高橋忠之 料理長といえば、「形を変えても自然、火を入れても新鮮」という名言がありました。



海外研修の手段
海外研修には、いくつかの手段があります。

① ホテルに就職して研修制度を利用
② 日本の支店に就職して、本店へ研修
 
③ 知人(先輩)の“つて”を頼る
④ 海外の日本大使館に勤務しながら探す
⑤ 駄目元で、海外の店に手紙を送る
⑥ 調理師学校のフランス校に留学
⑦ お金を払って海外研修をする     

この内、⑥と⑦について、書きたいと思います。



調理師学校のフランス校に留学
「辻調理師専門学校(辻調グループ)」にはフランス校があります。
http://www.tsuji.ac.jp/france/index.html

以前は「辻学園 調理・製菓専門学校(旧 TEC日調)」にもフランス校はありましたが、経営破綻し、「三幸学園」に引き継がれて以降は廃止されたようです。
http://www.sanko.ac.jp/osaka-chori/course/

辻学園が、フランス校にて経営していたレストランは、たしかミシュランの星を獲得していたような・・・・・(曖昧な記憶ですが)。


「辻調グループ」には、幾つかのコースがありますが、“フランス校留学コース”を選択した場合、日本で1年間学び、その後、フランスで約半年間の授業があります。
その学費ですが、400万円以上必要との話も聞きます。

話がそれますが、大手の調理師学校ですと、1年間の授業で、諸々合わせて200万円以上かかるようです。
「服部学園」は明示しています
http://www.hattori.ac.jp/tuition/about.html

しかし、調理師学校を卒業したとしても、得られる資格(権利)は、数時間の講習で得られる食品衛生責任者と大差ありません。

また、1年間勉強したとしても、どの程度の仕事が出来るのでしょうか?
正直言えば、高い学費を払って調理師学校に行くより、それなりのレストランで、給料をもらいなが仕事をした方が、よほど勉強になると思います。
調理師学校を出ても、どうせ下働きからスタートなんですから。


話を戻します。
辻調グループのフランス校には、現地のレストランでの研修制度(スタージュ)があります。
http://www.tsuji.ac.jp/france/stage.html

説明を読みますと、研修期間は約5ヶ月間
Img_sutaju14_02「スタージュ先では、お店が住居を無償で貸出しており滞在中の家賃は必要ありません。また、お店によっては研修手当をもらえる場合もあり(お店によって手当の有無や金額は異なります)、ほとんどの学生は日本からの仕送りなしで生活しています」との事。

また、「終了時には、各店から“研修終了証”が授与され、プロの経歴としてみなされます」とあります。

しかし、プロの経歴としてみなすかどうかは、雇う側の判断。
Ll例えば、日本の調理師学校を卒業し、5ヶ月間「菊乃井」で研修したとして、その程度の事を“プロの経歴”として、業界はみなしてくれるでしょうか?


しかし、その経歴(スタージュ)のみで、「フランスで修業しました」と言っているシェフも少なくはありません。
そういえば、シェ・ワダの和田信平さんは、辻調グループのフランス校一期生だったはず。


「菊乃井」では、積極的に外国人を受け入れています。
しかし、外国人が日本料理店で働く事は認められていない為(就労ビザが下りない)、「菊乃井」では、“文化活動ビザ”を取得させ、寮・食事の提供を行い、働かせています(村田さんの事ですから、小遣いくらいはあげているでしょうが・・・)。
http://www.mbs.jp/voice/special/201305/23_post-272.shtml

しかし、外国人が日本料理店で働く事を、京都市のみが認める方向で法務省と協議中であり、年内には許可が下りるようです。

ただ、この種の“曖昧な働かせ方”には色々と問題もあります。
http://kawamura-sr.blogdehp.ne.jp/article/13131704.html
この事件も記憶に新しいです。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130315/crm13031511260001-n1.htm

辻調グループのフランス校での研修制度(スタージュ)では、このような問題は起きていないのでしょうか?。



お金を払って海外研修をする
昔から、短期間、海外での料理研修を斡旋する会社はありました。ただ、かなり“ずさん”な会社もあったようです。

研修先をフランスに絞って話します
料理を通じ、日本とフランスを結ぶ協会は色々とあります。
門上武司さんのブログにも度々登場する「ラ・シェーヌ・デ・ロティスール協会」もその一つ。
http://www.rotisseurs-kanto.jp/about/
しかし、関東支部会長 / 日本本部理事は、この人です。
http://www.rotisseurs-kanto.jp/administration/index.html
業者と結託して、インチキ漬物器を売るような人に任せる協会ですから、味覚音痴が集まっているのでしょうね。

このような協会もあります。
http://www.f-chori.com/
「フランス調理師協会・日本支部」の名誉会員に 川島なお美 さんの名前がありますが、青山学院大学の学生時代、試験でカンニング行為に及び、当該年度の単位を全て取消されたような経歴をお持ちの方が名誉会員ですか・・・・・(ちゃんちゃらおかしい)。


お金を払って海外研修をする”の続きは、明日書きます。
また、川島なお美 さんが関わらない、日本の調理師協会などについても書く予定です。


P.S. 私の周辺(知り合い・通うレストラン)には、ジョルジュ・ブラン(Georges Blanc) で修業された方が4名もいます。皆さんの周りではどうでしょうか?。その謎が解けますよ。



事実を元に記事にしておりますが、「それは違う」とか、「もっと知っている」などのご意見は、ページの最後にあります日付の横の“コメント”をクリックして、ご意見をお寄せ下さい

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上場しても消えぬ過去

皆さんは“HUB(ハブ)”という会社を御存知でしょうか。
会社のHPですhttp://www.pub-hub.com/

HUBは、イングリッシュパブという形態で、関東を中心に82店舗を経営しています(増加中)。
基本的にはキャッシュ・オン・デリバリーであり、低価格でビール・カクテルが飲める事で、学生やサラリーマンに人気です。

現在、JASDAQに上場しており、その株の33%を「ロイヤルホスト」のロイヤルホールディングスが保有し、筆頭株主となっています。

昨日予告しました、893に挨拶に行った会社がHUBです


HUB設立の経緯
HUBは、スーパーのダイエーの子会社として誕生しました。
創立者の 中内 功 氏が、英国を訪れた際、この業種に将来性を感じ、社員に開発を指示し、自ら店名も決めたと聞きます。

その後、ダイエーの衰退の影響もあり、加ト吉グループに譲渡されましたが、現在はロイヤルホールディングスの関係会社となっています。

出店場所は基本的に繁華街であり、若者が集まる街にあっては、その客層には未成年も多いのではないでしょうか(従業員も黙認しているはず)。



HUBと893の関係
今から書く話は全て事実です(裏も取ってあります)。しかし、具体的な地域・時期を書きますと、情報提供者に迷惑をかける可能性もあります為、その点はご理解下さい。

HUBがダイエーグループだった時代、ある繁華街に出店する事になりました。
この場所は観光地でもあり、有名な893の組が治めている地域でもあります。

オープンを数日後に控えたある日、本社から、あるセクションの部長が訪れました。
その部長は、繁華街にある商店街から少し脇に入った所にある“無機質な”事務所へと入って行きました。

その事務所は、その地域を治める893の事務所であり、部長は、開業の挨拶の為に訪れました。
ただ、その場での金品の授受はなかったそうです。

この部長の行動は、独自の判断とは思えません。本社からの指示なのか、親会社のダイエーからの指示なのかは分かりませんが、ただの“挨拶”だけとは考えられません。これは、暴対法施行後の話です。


Photo_2HUBが893に挨拶に行ったのは、今回だけなのか、それとも日常的な事なのか・・・・・。
現在の社長は、当時は部長職。当該店舗のマネージャーは、現在は取締役。現経営陣は、この事を把握しているのでしょうか?。それとも、実行犯なのか?


Photoダイエー自体、駅前に物件を取得する事が多く、その際、893にはお世話になっていないのでしょうか?
あまり知られておりませんが、ダイエーグループにはパチンコ店もありましたので(現在は他社に売却)、893との繋がりが薄いとは思えません(パチンコ業界全てが893と関係があるとは言いませんが、無縁とも思えません)。




初代が、先日のツイートで「楽しんご さんの焼肉店が閉店」と書いていましたが、実際のオーナーは怪しい会社でした。
http://twilog.org/tomosatoyuyabot/date-130603
吉本興業も、怪しげな会社と手を組むほどですから、企業と893の関係が切れる事はないのでしょうね(昔は、興業と893は“持ちつ持たれつ”でしたから)。

ただ、暴対法が施行され、893が街中から消えて以降、荒くれた若者が増えたのも事実。
昔は、沸騰するお湯(若者のエネルギー)を、893という“フタ”が抑えていましたが、フタが無くなってからは、無秩序に吹きこぼれています。

“チーマー”だとか“○○連合”だとか、“半グレ”と呼ばれる集団が増えてきましたが、統制の利かない彼らの方が、一般人からすれば恐怖でもあります。



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飲食店と893の関係

本日のタイトルは「飲食店と893の関係」ですが、この“893”は、薬味(や・く・み)の事ではありません。
勿論、恐い人達の事です。

皆さんは“みかじめ料”という言葉を御存知でしょうか?
ある辞書には「みかじめ料とは、暴力団が縄張り内の風俗店・飲食店から受け取る金品のこと」とあります。

1992年に施行された暴対法により、表立っての金品の授受は減少しましたが(実際は?)、未だに、このシステムは残っています。

このニュースを覚えておられるでしょうかhttp://www.nikkei.com/article/DGXNASJC2203J_S2A121C1ACY000/
今でも“みかじめ料”は、893の資金源であり、払わない人への見せしめの為に襲撃まで行っています。


私の知人の話をします
私の知人が、昨年、大阪市内にフランス料理店を開業しました。
その場所は、JR大阪駅からタクシーで20分ほどの住宅街です。
開業から1週間ほど過ぎた頃、派手な開襟シャツを着た五分刈りの男性(見た目50代)が訪ねてきたそうです。
知人は、893だと理解し、何の目的かも分かった上で話をしました。

その男性と店主(私の知人)のやりとりを書きます。
(男性)「御主人は居ますか
(店主)「私です
(男性)「会費の事ですが・・・・・」
(店主)「会費って、何の会費ですか?」
(男性)「(笑みを浮かべて)分かるやろ
(店主)「バカだから分かりません
(男性)「面白い兄ちゃんやな、分かっとるやろ
(店主)「ハッキリ言って下さい
(男性)「(笑みを浮かべて)色々あるやろ
(店主)「フランス帰りなので分かりません
(男性)「・・・・・・・・・・・・ ええわ
そう言って帰ったそうです(吉本新喜劇ではありません)。

ちなみに、知人は、190センチ近い巨体であり、熊というニックネームです。フランスには行った事はありません。
知人は、胆が据わっているので、このような対応が出来ましたが、私のような気弱な人間であれば“会費(みかじめ料)”を払ったでしょうね。

一昔前は、“みかじめ料”を払わないまでも、893と関係のある業者から、マッチ・おしぼり等を購入していたとも聞きます。現在は、何を買わされているのでしょうか。


893お断りの店とは
“みかじめ料”を請求されるのは、夜の商売の方が多いのではないでしょうか。
クラブ(綺麗な女性が横に座る方の“クラブ”)などでは、「893お断り」の札を店頭に掲げている店も少なくはありませんが、実際はどうでしょうか。

大阪のミナミに、芸能人・スポーツ選手が訪れる高級クラブがあります(仮にC)。
この店の店頭にも、「893お断り」の札があります。しかし、系列のワインバーには893の方が出入りし、競馬のノミ行為が行われています(このクラブの社長も購入しています)。
社長は吉本興業の方とも親しく、色々な打ち上げなどにも利用されている店です。

数年前、この店の従業員が売上金を持ち逃げしました。本来は警察に届けるところですが、社長は、親しい893に連絡を取り、その従業員の彼女を突きとめ、横浜で、従業員を捕まえたそうです(その先は知りません・・・従業員はどうなったのかな)。

つまり、「893お断り」の看板の意味は、「当店は特定の893と関係があります。よって、他の893はお断り」という意味ではないでしょうか(全てではないでしょうが)。


デベロッパーと893の関係
私の知人が、関西に本社を置くデベロッパー(一部上場)に勤めておりました。
この会社、マンション販売・宅地販売などの他に、ゴルフ場などの経営もしています。

知人は設計の仕事をしているのですが、休日出勤をしたさい、同じフロアーにある“ゴルフ事業部”にかかった電話に出たそうです。
本来は、他の事業部の電話には出ないのですが、あまりに鳴り続けるので、出たそうです。
受話器を取ると、いきなり、「○○を出せ、話が違うやろ。○○組の○○や」と、まくしたてたそうです。

不動産を扱う会社にお勤めの方であれば御存じでしょうが、いわゆる“地上げ”を行う場合、難攻不落な相手を説得する為には、893と関係ある会社(企業舎弟)に依頼する事もあります。
ただ、上場企業がそのような会社とは取引は出来ません。
よって、間に数社を挟み、マネー・ロンダリングの要領で土地を取得します。

しかし、条件が折り合わないと、その数社を飛び越えて、893から電話がかかる事もあるようです。

昔は、建築現場にも893が現れ、軍手などを売りつけられたと聞きます。最近では、規模の大きな現場に自動販売機を置いて稼いでいるとの噂も・・・・・。


飲食業界の上場企業と893の関係
暴対法の施行により、企業は893との関係を絶ちました。しかし、これは表向きの話。そう簡単にはいきません。

以前、ある上場企業の子会社(現在は、この会社も上場)が、繁華街に出店するにあたり、893に挨拶に行っています。

その会社とは・・・・・ 次回、実名で書きます。
私が書いた程度では問題にはならないでしょうが、暴対法の施行後にも関係していたとなれば、問題アリ。


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インフラ企業は公平に


昨日のブログで、門上武司さんと和田信平さんの関係を書きました。

門上さんが持つべき“力”をフルに利用しても、シェ・ワダが再生する事はありません(むしろ邪魔をした結果に)。

では、本当に門上さんには“力”があるのでしょうか?
シェ・ワダ出身の、道野 正・山田興助 両名を例に出して説明します。



ミチノ・ル・ツゥールビヨン 道野 正

このシェフの名前は、本家のブログにも登場しました

http://tomosato.net/weblog/%e3%81%aa%e3%81%9c%e8%ae%80%e8%b3%a3%e6%96%b0%e8%81%9e%e3%81%af%e7%99%bd%e5%b7%9d%e6%97%a5%e9%8a%80%e7%b7%8f%e8%a3%81%e3%81%ae%e3%83%91%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%82%92%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84/

道野シェフが ミチノ・ル・ツゥールビヨン を開業して当初は、経営は安定していなかったようで、門上さんに「宣伝して欲しい」と頼み込んだそうです。
しかし、当時(20数年前)、門上さんからの返事は「まだ早い」だったとの事(門上さん、この頃はまともだったようです)。

それから数年、門上さんの尽力もあったのか、道野シェフはメディアにも頻繁に登場するようになり、“フランス料理界の異端児”などとも呼ばれていました。

しかし、何が原因なのか、ミチノ・ル・ツゥールビヨン から客足は遠のき、閉店(移転)間際には弁当の販売までしていました。
道野シェフの当時のブログです

http://michino55.exblog.jp/m2009-04-01/

ブログの中に「僕は“裸の王様”になりました」とあります。これは、和田信平さんも同じ。
もともと実力のある方が、誇張された称賛と、芸能人扱いされる事により“裸の王様”になってしまうのです。

4年前、ミチノ・ル・ツゥールビヨンは移転しました。門上さんとの関係は続いていますので、門上さんが出演される番組で取り上げられたりもしています。
ブログにも定期的に登場(宣伝)
http://180.222.81.174/cmt/mt-search.cgi?IncludeBlogs=2&search=%E3%83%9F%E3%83%81%E3%83%8E




シェ・ヤマダ 山田興助

山田シェフは、私の記憶がたしかであれば、辻調のフランス校で和田信平さんと同期だったはず。

シェ・ヤマダは、兵庫県西宮市の夙川にあり、マダム御用達のレストランでした。
山田シェフは、そのイケメンぶりと、流暢な説明で、TV番組にレギュラー出演もされていました。

しかし、この方も“裸の王様”になりました。
この店の問題点を さとなお氏も書かれています(“
夙川・苦楽園・甲陽園・芦屋・東灘・六甲”の欄に記載)http://www.satonao.com/kansai/kobe.html

さとなお氏の指摘は的確です(同じような意見を知人からも聞いておりました)。
山田シェフは、業界人とのゴルフ・サーフィン等々、仕事の情熱が薄れているように感じた時期です。

その後、夙川からJR住吉駅の近くに移転するのですが、この判断が、彼の人生を狂わせたのかもしれません。
その移転先は関西電力がスポンサーの店でした。

関西電力は、電化厨房の普及の為なのか、JR住吉駅の近くにレストランを作り、その営業を、調理師学校の辻学園(TEC日調
)に任せました。しかし、色々と問題があり・・・・閉店。
その場所へ、シェ・ヤマダが移転してきました(勿論、関西電力がバックアップ)。

賢明な読者ならお分かりかと思いますが、関西電力と組むという事は、すなわち、門上武司さんと縁を切るという事であり、大阪ガスがスポンサーである“あまから手帳”“魔法のレストラン”等々にも出演は出来なくなります。

本日のタイトルを「インフラ企業は公平に」と付けましたが、勿論、大阪ガスの事です。
大阪ガスは民間企業ではありますが、公共性の高い事業を行っています。しかし、その子会社(あまから手帳)や、スポンサーである番組に「電化厨房の店は出さない(例外もありますが)」という方針には問題があるのではないでしょうか(ケツの穴が小さい会社だ)。


話をシェ・ヤマダに戻します。
JR住吉駅近くに移転したシェ・ヤマダですが、結局は閉店。
そして、また移転。移転先は大阪市城東区。
移転先のレストランに関西電力が関わっていたかどうかは知りませんが、山田シェフは、定期的に電磁調理器の出張講習会などをされていました。

しかし、この店も昨年閉店。今は・・・・・
震災の影響もあり、電力会社の広告費は抑えられていますので、関西は、大阪ガス(門上武司)の天下です。
山田シェフも、門上武司さんにスリスリしていれば、道野シェフのように生き残れたかもしれません。


最後に、門上武司さんの“私物化”の例を書きます(以前、初代のツイートにも書かれていた内容を具体的に)。

門上さんは以前、梅田から北に進んだ所にマンションをお持ちでした(本宅か別宅かは知りませんが)。
そのマンションには、大阪市内(オフィス街)で飲食店を営なまれている家族がお住まいでしたが、その長男が、新たに和食店を出されました。
その店(仮にS)は、周辺のサラリーマンに愛されてはいましたが、傑出した料理は無く、店自体も簡素な造りでした。

しかし、“あまから手帳”で大きく取り上げられ(門上さんが書かれる他誌のコラムにも登場)、また、大阪ガスがスポンサーである番組には、2ヵ月に1度は出演されるようになりました。
ただ、門上さんが関わらない他の雑誌では、取り上げられても小さな記事(その程度の店)。

そのSが、新たにフレンチをオープンさせました(何を勘違いしたのか)。
しかし、見事に失敗。1年持たずにリニューアル。それでも不振は続きます。

その状況に門上さんが助け舟を出したのか(確証はありませんが)、門上さんと繋がりの強い毎日放送(TBS系)が番組で取り上げました。ただ、その内容が???

不人気で、特徴の無いフランス料理店が番組に取り上げられた時のタイトルが・・・・「オフィス街で人気のカレーライス」です(唖然)。
「人気の・・・」と言っても、数名にインタビューしただけですし、人気があったとも思えません。

これこそが、飲食店の方々が門上武司さんにスリスリする理由です。

大阪ガス、目を覚ませ!!!



“カレーライス”と書いて思い出しました。
昔、シェ・ヤマダの名前を付けたレトルトカレーが売り出されました(夙川時代)。
しかし、山田シェフは、販売されてからその事実を知らされたそうです。

事の経緯はこうです。
山田シェフが親しくしていた放送作家が(ラーメンチェーンの社長と親しい方)、勝手にプロデュースして、シェ・ヤマダの名前を付けたそうです。
以前、それらしい提案はあったそうですが、本人が知らないのに、名前が付いた商品が売り出されるなんて・・・・・

放送作家もどうかしていますが、黙認した山田シェフも如何なものか。



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門上と不愉快な仲間達

記念すべき最初の記事は・・・ やはり、門上武司さん。
良くも悪くも(良い事はあるのかな?)、関西の食シーンを語る上で、門上武司さんは外せません。

関西以外の読者の中には「門上さんの話は、もう飽きた」と言われる方も多いでしょうが、少し、我慢して下さい。


門上武司さんの悪行については、初代も書いています。代表的な記事は、この日でしょうか
http://twilog.org/tomosatoyuyabot/date-130426
K氏は門上さん。Y氏はマスヒロさんです。
この日の記事についても、後日、詳しく書きたいと思います。


さて、タイトルの“不愉快な仲間達”とは・・・
門上さんからの寵愛を受けた事により埋没したシェ・ワダの和田信平さん & シェ・ワダ出身で、人気店から凋落した2名の有名シェフの事です。


シェ・ワダ 和田信平

Photo  
関西のフランス料理界をリ
ードしてきたのは事実。
しかし、門上さんの“ごり押
し”により勘違いしたのか、
一般からは総スカン。
現在は店を持っていない。




ミチノ・ル・ツゥールビヨン 道野 正
Photo_3シェ・ワダ等で修業の後、
独立。
1990年代には人気店で
あったが・・・。
門上さんを“畏友”と呼び、スリスリ。隣は弟子の「ラ・フィネス」杉本シェフ。


シェ・ヤマダ 山田興助
2シェ・ワダ等で修業の後、
独立。
1990年代には関西で最
も人気のあったシェフ。
天狗になったせいで、スタ
ッフも離れ・・・
関西電力に近づいた事で、露出もめっきり減りました。


この方々と門上さんの関係を説明するには、和田信平さんとの蜜月時代を語る必要があります。

門上さんとシェ・ワダとの“始まり”は、こちらをお読みください
http://www.kadokami.com/profile/
門上さんの“フードコラムニスト(自称)”としての原点はシェ・ワダであると言っても過言ではないでしょう。

門上さんの著書「大阪の仕事人五十人」にも和田信平さんは選ばれています(門上さんに選ぶ権利があるのかな?)
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784938733414

門上さんは、露出が増える過程においてはシェ・ワダの知名度を利用しました(マスヒロさんと次郎みたいなもの)。
そのお礼(?)なのか、和田信平さんと大阪ガスを繋ぎ、大阪の本町(オフィス街の中心)に複合大型店を出店させました(C Chez WADA


“C Chez WADA”のスポンサーは大阪ガスで、建前は「個店でのコージェネの活用」だそうですが、噂では、和田信平さんの後に居る恐い人達を黙らせる為とか・・・・ 噂ですので、事実は?????

しかし、“C Chez WADA”の評判は良くなく(門上一派は絶賛)、同じ時期、関西で創刊された「ザガット・サーベイ(一般人が店を評価)」ではボロクソに叩かれました(これに激怒した和田信平さんは、翌年の掲載を拒否)。

悪い事は重なるもので、“C Chez WADA”は、大阪ガスがスポンサーにも関わらずボヤ騒ぎ(致命的)。また、従業員の売上金持ち逃げ騒動(公にはしていませんが)。
それが原因か、大阪ガスには見限られ、移転を余儀なくされます。

移転先は北浜。こちらでは、不動産会社がバックに付きますが、客からの評価はいま一つ(門上一派は絶賛)。結果、閉店となります。


規模を小さくして店を開きますが、こちらも、客からの評価はいま一つ(門上一派は絶賛)。結果、閉店となります(同じパターン)。
閉店時、「最初から期間限定でした」との負け惜しみを言っていましたね・・・。


それにしても、和田信平さんは、“ひらまつ亭(現、レストランひらまつ)”で修行をされ、平松宏之氏(通称)不在の時は料理長代理をされたほどの腕前。
門上武司さんが、彼を勘違いさせなければ・・・・・ もったいない。

動く和田信平さんです

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=IuEiZF9oZJo


この続きは明日へ

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友里征耶 fanbot 2代目

本日より記事を担当致します「友里征耶 fanbot  2代目」です。

本来であれば自己紹介をさせて頂くところですが、諸般の事情により割愛させて頂きます(正体がバレますと、仕事に影響しますので)。

とは言え、多少のプロフィールを紹介しませんと記事の信憑性にも影響しますので、少しばかり。

私は、関西在住であり、飲食業界・出版業界に“浅く広く”関わって参りました。
その過程で、飲食業界の様々な問題を見聞きし、利用者(客・読者)を無視(騙す)した行為に、憤懣やるかたない思いでもあり、また、問題意識を持たないヨイショライター・癒着評論家の方々に対しても、怒りすら覚えております。

本家(友里征耶 氏)のブログ等に頻繁に登場する Images_2
門上武司氏の存在にも疑問を持っており、知り得る情報を書きながら、皆様にも問いたいと考えます


関西在住でありますので、記事の内容は関西中心にはなりますが、他府県の方にも楽しんで頂けるような内容を書きたいと考えております。
ただ、“お店紹介”のブログではなく、“飲食業界への問題提起”のブログですので、興味の無い方には、5秒で読めるかもしれません。

「友里征耶 fanbot  初代」のように、日々の話題を取り上げる事はありませんが、渡邊美樹・来栖けい氏などの“常連”の方の動向は注視しております。
初代も、ツイッターでは“つぶやく”と思いますので、そちらも宜しくお願い致します。


今までも、初代に情報提供をしてきましたので、既報の話題もあるかとは思いますが、より詳しく書きたいと思います。
基本的には実名(社名・個人名)で書きますが、弱い者いじめはしたくはありませんので、個人店につきましては匿名とする場合もあります(御理解下さい)。

尚、現在進行形の話題などは色々と問題が生じますので、過去の“出来事”が多くなるとは思いますが、問題自体は今も変わっておりません(改善されていません)。

言葉にすると難しくは
なりますが、私の書く記事を読んで頂ければ、その“スタンス”は御理解頂けると思います。
どこぞの料理評論家(関西の重鎮)のように、難しい言葉を使うだけで“毒にも薬にもならない”内容にはしたくはありません(頭にメガネも載せません)。


本家ほど度胸はありませんが(金も時間もありません)、ギリギリの線で書きたいと思います。

本家・初代に負けないように頑張ります!!

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