放送日は毎週月曜日から木曜日の午後8時~8時29分、再放送は翌週午後1時5分~1時34分
2013年3月5日(火曜)再放送2013年3月12日(火曜)
<アンコール>2013年4月18日(木曜)再放送4月25日(木曜)
捨てられしものを描き続けて ―“清掃員画家”ガタロの30年―
●出演者
ガタロ
●語り
小野塚康之アナウンサー
清掃員そして画家
清掃員を始めて30年。ほとんど休み無く、早朝から働いてきた。ガタロさん、63歳。月給15万、年収は200万に満たない。
ガタロさんにはもう一つの顔がある。それは画家だ。『清掃の具』。2年前、自費出版した人生初の画集だ。
無骨で力強いタッチ。ガタロさんは、誰も注目しない掃除道具を、自分の仲間、分身と感じている。
ガタロ:これは捨ててあった棒ズリですよ。根が弱くなっていたので中に心棒を入れてね。まだ十分使えるんです。きれいにして。
僕がいらだって、がーっと使うても、黙って立っとるんよね。その佇まい。何も文句を言わないで最も汚いところを、きれいにする仕事をやっとって、何も文句を言わない。
我々の仕事はうつむいてやる仕事、下を向いて。頭をそらしてやる仕事じゃないけぇ……。
清掃員そして画家。30年間、清掃道具と共に歩んできたガタロさんの人生を見つめた。
清掃員の仕事から見えたもの
4500世帯が暮らす公営住宅一階のショッピングセンターがガタロさんの職場だ。店舗数は100を超える。
早朝4時。仕事が始まる。
清掃員は、ガタロさん一人だけ。まず、とりかかるのは、全長およそ300メートルある商店街の通路。
どんなに急いでも、3時間近くはかかる。
(通り過ぎる自転車の人に挨拶)
ガタロ:おはようざーす!
ガタロ:これ雪が降ったらへばりつくね。
この日の気温は零度。
――寒いですね。
ガタロ:まあ動いとりゃね、暑いんで。
手間がかかるのは4か所に設置されたトイレの掃除。床や壁を磨き、50個近くある。便器を、一つずつ、きれいにしていく。
ガタロさんが使う掃除道具は15種類。捨てられたモノを拾い集め、修理を繰り返しながら長年使い込んできたモノばかりだ。
(トイレ掃除中)
――手袋しないんですか?
ガタロ:手袋しとったら、仕事にならんのよね。
まだまだこれ以上寒いと、全然手に力が入らんときがありますね。
――冷たくてですか?
ガタロ:はあ、もう慣れたです。
ガタロさんが「大五郎」と名付けた愛車も、廃材を拾い集めて手作りした。その中にも捨てられていたものたち。
ガタロ:これはね、ゴミをみんなが捨てた買い物袋を取っとくんです。箒、ちり取り、棒ズリ、トイレが詰まったときのスッポンね。これはお好み焼き屋のを、取っとって、チューインガムをこう、5本ぐらい持っとる。
働き始めた頃の作品「大五郎1号」。画面の奥に描かれているのは、身を粉にして働く自分自身の姿。誰も省みることのない掃除道具に重ねて表現している。
自分を受け入れてくれた街「広島・基町」
長時間の仕事は年々きつくなっている。椎間板ヘルニア、変形性頸椎症、そして腎臓や肝臓の機能障害などいくつもの病を抱えているためだ。
昭和42年、高校卒業後、ガタロさんは故郷・広島を離れ、大阪の印刷会社に就職した。工場での仕事は、一月の残業時間が130時間を超える厳しいものだった。疲労のため立ったまま眠ることもたびたびだったと言う。心身ともに疲れ果て、2年で退職。
その後、キャバレーのボーイ、日雇いの解体工事など、いくつも仕事を試すが、どれも続きはしなかった。病気も増えていった。
33歳の時、このショッピングセンターの清掃員になった。あまりのきつさに、「ここも3週間もたない」と、初めは感じていた。
ガタロ:どうもお世話になります。
働き始めてすぐ、馴染みになった人がいる。布団屋を営む木本道隆さん。
木本:ま、寒いけ、入ってね。
体がきついと訴えるガタロさんに「十分休憩を取りなさい」と、優しい言葉をかけてくれた。
ガタロ:ここへよう来て、仕事のことやら、いろいろ相談に乗って貰うたりね……。
木本:大工のまねごとしとったから何でもある。
ガタロさんに腰の痛みが出ると、道具を一つ譲ってくれた。
(道具を見せながら)
ガタロ:こりゃあ、便利がいいですよ。ガムを落としたりねー。ひっつくでしょ。これ一つ持っとったら便利がええぞて。最初、この通路にものすごいガムがね。当初ね。これだったら腰に負担がかからんからね。ほいでこの長いのを作ってもろたの。
ガタロさんは、木本さんに似顔絵をプレゼントした。
木本:いやいや、ちょこちょこっとの間に描いてくれて大したもんだと思った。ちゃんと日にちも入ってるしね。ここで描いたんですよね。
この自分を受け入れてくれた、広島・基町。ガタロさんは街への願いを言葉にした。
「わが基町よ!」(二〇一〇秋)
もとまちよ!
おい!もとまち よ!
三篠川の川は流れてくれとるか
きらきらと明滅する光を失ってはいないか。
ああ もとまち・・・
静かな掃除道具たちから教わったこと
ガタロ:ま、汚いですけど・・。
ガタロさんが使う掃除道具の倉庫。
ガタロ:電気つけましょう。この軍手も、ワシが来てから一切買うたことがないんです。全部、拾うたのを集めて、使いついであるんですね。
商店街の人たちは、ここを自由に使うことを許してくれた。
ガタロさんは、少年時代からの夢だったアトリエをつくった。
ガタロ:物心ついた頃からだから、歳だけは描いてきたと思うんです。鉛筆もクレヨンも、ゴミとして捨ててあったんです。それを貯めこんで。こういうクレヨンなんかも。最初はね紙も、コピー用紙に描きよったんだけど。そうじゃけえ、結局僕が描くのはね、ものすごい見知った友人……。
30年前。ガタロさんが描き始めたのは、掃除道具。
一日の仕事を終えて、疲れ果て、ここに座ったとき、目の前にあった一番身近なものだった。
ガタロ:やっぱり、ここで掃除屋になったことによって、まじまじとその道具を見てしまうんよね。 今も、もうこの雑巾絞って、ほどけてきてるわけですよ。呼吸しとるわけです。僕が描かんにゃ、誰も描かんじゃないですか。やっぱりしんどいなーいうたときに、このモノが語りかけてくるいう、あれですね……。
(トイレの清掃)
はじめは、トイレを汚して使う人たちに怒りをぶつけていた。しかし、文句一つ言わず黙々と仕事をこなす掃除道具の姿が、ガタロさんの気持ちを変えた。
ガタロ:怒ったらダメですよ。ある日、明るく「おはようざーす」って言ったんですよ。「元気? しっかり食べてる?」って、屈託無くやってたらね、不思議なんですよ……。極端に汚す人、雪解けのように、じわーとなくなったと思いますよ。そこまで行くのに20年ぐらいかかったかね。だから黙っててもやっぱり、自分が思うことは相手に映るいうことよね。うん(腰が痛くてね……)。
ガタロさんは、掃除道具に生き方さえ教わることができると、考えるようになった。いつしか、清掃員の仕事に誇りを持つようになっていた。
清掃員として生きる
ガタロさんは、清掃員となった7年後、40歳で結婚した。
現在は、一人息子が独立し、共稼ぎをする妻との2人暮らし。看護師として働く妻のため、晩ご飯をつくるのはガタロさんの役割だ。
悦子:ただいま。あ、こんばんは。
妻の悦子さん。
ガタロ:6時5分には帰ってくる……。今日は、ちょっと張り切って。
悦子:後でいいよ、ご飯は。
ガタロ:いつも通りやってるとこ、せにゃいけんけ。僕がいつもやってることやけ。こうやって夜、帰るとこういう時間になるもんですからね。
悦子:そうですね。いつも、作ってくれますね。
知り合った当時、悦子さんは看護士になって13年、働き盛りだった。自分より収入の低いガタロさんと結婚することに、抵抗はなかったと言う。
悦子:誠実なんですよ。そりゃ一人で暮らしてたら、もっともっといい報酬はもらってましたけど、人間てそういうことも大事ですけど、そういうことだけでもないのも、結構多いですよね。
ガタロ:お母さん食べて、リラックスして。いつも通り。
悦子:仕事、私、関西の方で長いこと働いていて、今は精神科ですけど、もともとは総合病院の外科系におったです。毎日毎日仕事がハードで、なかなかうまくいかなくて、半分、燃え尽き症候群みたいになっとったんです。だから結婚を機会にやめてしまおうと思ってたんですよね。
その間、ガタロさんの掃除の仕事を手伝うこともあった。
ガタロ:トイレ掃除が主じゃないですか。そこへ女房が軍手を用意して、トイレの床を雑巾で拭く姿を見たときは、えっちゃんと一緒に、助けあって生きていく。ものすごく嬉しかった。
悦子:時々、子どもができてからも覗きに行ったことがあるんですけど、家でおるときよりも、いきいきとして仕事をしているんです。大五郎を押してですね。
掃除の道具なんか描いているのが良いんですかね。モップとかバケツとか。やっぱ自分の相棒とか分身とか、仲間ゆうのがあるんじゃないですかね。
ガタロ:ありがとうお母さん。
汚いところをきれいにする道具じゃろ。モデルだったら文句を言うわ。掃除道具って何も言わないんだ。汚いところをきれいにして、そこにものすごいシンプルな形の存在してる、それが美しくないはずはない。
野宿する友との出会い
10年ほど前、ガタロさんには忘れられない出会いがあった。商店街の片隅で野宿する40代の男性だった。
寒空の下、佇んでいたSさん。清掃員のガタロさんが絵を描いていることを知ると、自分を描いて欲しいと、話しかけてきた。
「なぜ、描いて欲しいのだろう?」ガタロさんは疑問を感じながら、彼の肖像を描き始めた。
ガタロ:1枚目か2枚目を描いた頃に、これは徹底的に描こうと、彼が生きとることも僕が描きゃあ、残るいうんかね。
Sさんは、ガタロさんのアトリエを繰り返し訪れるようになった。寝たいときには寝て、腹が減ったときには、一緒に飯を食った。
その姿を、ガタロさんは、夢中になって描き続けた。
ガタロ:とにかく声が優しいんです。顔に似合わず、声が優しくて本当、小鳥がさえずるような。ここへ来たら、描きよっても、すぐ寝よった。あの座ったまま。
寡黙だったSさんは、次第に身の上を語るようになった。知的障害があること、どんな仕事も長続きしなかったこと、ホームレス生活を長年続けていること。
ガタロ:彼がよく言いよった。追っかけられたとか、虐待されたとか、外見見て、殺してやろうかとか言われたとか、石を投げられたとか、そういうことをここへ来て言いよったですね。
それでも生存してる。彼の目なんか見ても、やっぱ鋭くなってる。優しいけど、目が鋭いのを感じましたね。描いても描ききれんかったね。その表情。それこそ「生」そのものでしたね。生きていくことそのものの……。
ガタロさんには、どうしても忘れられないことがある。投げかけた問いに、返してきたSさんのある言葉だった。
ガタロ:聞いたことがあるんです。あんたは、ワシのことをどう思うか? そしたらね、「馬鹿じゃ思う」いうたんです。
僕は一瞬自分の背中を見て誰かおるんかな、と思うて。深いね、彼の言う馬鹿は。今から考えたら。
5年前、Sさんはこの基町から突然、姿を消した。今、どうしているのか……。あの言葉は、どういう意味だったのか……。ガタロさんは考え続けている。
30年間、誰からも注目されないものたちを描き続けてきた。
ガタロ:大五郎、出発です。ワシら、ほんとに下働きじゃけ、ひっそりとやってるというね。裏方ですよ。そして、僕はここ全体がとにかくようなるように……、心底思うてます……。
ガタロさん、63歳。
清掃員として、今日もこの町を磨いている。
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