●日朝関係年表(02/9/17訪朝〜04/5/22再訪朝まで)
02年中は政府レベルで進んだものが、03年以降はそれがほとんどなくなり、03年後半になってブローカーまがいの「密使」が暗躍。やがて平沢勝栄を担ぐ「二元外交」グループが動きを見せるものの、結局は官邸(飯島秘書官)〜朝鮮総連ルートで(?)再訪朝が決定。
【参考資料:「正論」04年10月号掲載・ジャーナリスト野村旗守氏の論文「ついに首相官邸に触手を伸ばした『大物』」】
02年9月17日 | 日朝首脳会談 |
02年9月27日 | 小泉首相、家族会と面会。「拉致問題の解決なしに国交正常化はない」と発言 |
02年9月28日 | 日本側拉致調査団平壌入り |
02年10月8日 | 警察庁が曽我ひとみさんら4人を新たに拉致被害者と認定。計10件15人に |
02年10月15日 | 拉致被害者5人が24年ぶりに帰国。17日に故郷へ |
02年10月16日 | 北朝鮮が核兵器開発の継続を認めたと米国務省が発表 |
02年10月24日 | キム・ヘギョンさんは横田めぐみさんの娘との鑑定結果が明らかに |
02年10月25日 | 政府が拉致被害者5人を北朝鮮に戻さない方針を決定 |
02年10月29日 | クアラルンプールで日朝国交正常化交渉 |
02年11月5日 | 政府の「拉致被害者・家族支援室」が発足 |
02年12月4日 | 拉致被害者支援法が成立。03年1月から施行 |
02年12月12日 | 北朝鮮が核施設再稼働を表明 |
02年12月19日 | 新潟市で2カ月ぶりに再会した拉致被害者5人が金日成バッジを外す |
03年1月10日 | ・北朝鮮が核不拡散条約(NPT)からの脱退を表明 ・拉致された疑いを捨てきれない失踪者の行方などを調べる「特定失踪者問題調査会」が発足 |
03年3月3日 | 家族会が訪米し、アーミテージ国務副長官らに拉致問題解決の協力を訴える |
03年4月16日 | 国連人権委員会が拉致問題解決などで北朝鮮非難決議を採択 |
03年4月22日 | 家族会がスイスで開かれた国連人権委員会のヒアリングに出席 |
03年5月7日 | 家族会や救う会による東京での集会に拉致被害者5人が参加 |
03年5月8日 | 拉致被害者5人が小泉首相と会う |
03年5月23日 | 日米首脳会談で小泉首相が北朝鮮政策について「対話と圧力が必要」と発言 |
03年6月3日 | エビアン・サミットの議長総括で「北朝鮮拉致問題の解決」を明記 |
03年6月5日 | 小泉首相、衆院本会議で「拉致はテロ」と発言 |
03年6月8日 | 北朝鮮の貨客船・万景峰号が9日の新潟入港を中止すると朝鮮総連が発表 |
03年6月23日 | 家族会が訪韓し、韓国の拉致被害者家族会と交流 |
03年7月31日 | ・北朝鮮が被害者5人の家族の帰国を非公式に打診していることが判明 ・訪朝したNGO「レインボーブリッヂ」の小坂浩彰代表が拉致被害者5人の家族と会い、手紙を預かったと明かす。明らかに北朝鮮の意向を受けて家族会分断を狙った行為で、フジテレビを使って「おじいさん、おばあさん、早く会いに来て」とキム・ヘギョンさんに言わせたり、「週刊金曜日」のインタビューで「お母さん、早く帰ってきて」と曽我ひとみさんの娘たちに答えさせたりといった行動と全く同じパターンだった |
03年8月上旬 | ・若宮清が北朝鮮外務省にFAX。「なぜ外務省ルートで動かないのか?」「日本の外務省は信用できない」 ・同時期、若宮と吉田猛が会食 (若宮清・著「真相」より) |
03年8月25日 | 万景峰号が7カ月ぶりに新潟入港 |
03年8月27日 | 北朝鮮の核問題などで6者協議。日本政府は拉致問題を提起 |
03年9月9日 | 北朝鮮で建国55周年記念式典 |
03年11月 | 平沢勝栄、吉田猛と初対面(若宮清・著「真相」より) |
03年11月3日 | 救う会などが実施した衆院選の全候補者へのアンケート結果公表。9割以上が「拉致はテロ」と回答 |
03年11月8日 | 朝鮮総連の最高実力者・徐萬述議長が北京で宋日昊・北朝鮮外務省副局長と会い、健康上の理由から辞意と後継に南昇祐副議長を推す意志を表明(〜12日) |
03年11月20日 | 南昇祐が平壌入りして金正日と接見し、後任のお墨付きを得たらしい(〜27日) |
03年12月15日 | 「レインボーブリッヂ」関係者が北朝鮮から持ち帰った子供たちを撮影したビデオなどが拉致被害者5人に届く |
03年12月20日 | 21日まで、平沢らが北京で北朝鮮当局者と会談 (この時期までに失脚寸前だった許宗萬責任副議長が奇跡の復活劇を果たしていたことから、日朝間の水面下交渉で朝鮮総連が深く介在していたとの推測が成り立つ) |
03年12月25日 | 平沢が民主党の松原仁と官邸に結果報告 |
04年1月9日 | 家族会、北朝鮮側「出迎え案」(帰国した5人の被害者がそれぞれの家族を平壌に出迎える)について「論評に値せず」との公式見解を発表 |
04年1月10日 | 平壌より宋日昊から若宮に電話。「二元外交ではない」(若宮清・著「真相」より) |
04年1月13日 | ・日本外務省北東アジア課の4人が平壌を訪問(〜17日) ・「よど号」メンバーの子供6人帰国。北京経由で成田に |
04年1月17日 | 平沢、家族会総会で北京会談の内容を報告。平沢糾弾集会と化す |
04年1月29日 | 改正外為法案、衆院通過 |
04年1月30日 | 朝鮮総連が第19期4回大会を開き、前日に改正外為法案が衆院通過しているにもかかわらず、徐萬述議長が「日本はこれまで総連を敵対国団体、在日同胞を敵対国民としてきたが、このような状況は今年においては違い、朝日平壌宣言に従い、次第に打ち解け、まもなく前途が開けようとしている」と発言 |
04年2月4日 | 赤坂「津やま」で山崎拓が小泉首相とサシの会談 |
04年2月9日 | 改正外為法成立 |
04年2月11日 | 外務省田中均、藪中三十二、平壌に出発 |
04年4月1日 | 大連会談。山崎、平沢が北朝鮮要人と会談(〜2日) |
04年4月4日 | 救う会幹事会で平沢、山崎への非難轟々 |
04年4月9日 | 許宗萬一行5人、北京経由で平壌入りして金正日と謁見(〜27日) |
04年4月15日 | 太陽節 |
04年4月30日 | 第6回国民大集会・大行進(日比谷野外音楽堂) |
04年5月7日 | 福田官房長官が辞任 |
04年5月14日 | 早朝、平壌から外務省に電話。「訪朝は22日でOK」 |
04年5月15日 | 小泉が、青木、森とともに紀尾井町の料亭「福田屋」で酒を酌み交わす |
04年5月22日 | 小泉首相再訪朝。蓮池さん、地村さんの家族帰国 |