たくさんの
「推薦文書きます」のご協力ありがとうございます。
ぼくが何をやろうとしているのかを
伝えますね。ほんとうは言いたくはないのです。
無言実行の男でもあるので。
それは誰の為でもなく自分の為。
過去の経験上、
誰にでも「思い」ってありますよね。
「理解してもらいたい」「わかってもらいたい」など。
ぼくもある。
ただぼくは他の人との違いはその心に「フタ」を閉じる。
あえて、ストレスをためる。
そして、そのストレスをエネルギー(行動力)に変える。
(行動力に変えるから、エネルギー使えば、ストレスはたまらない。運動ってストレス解消だからね。)
「わかってもらいたい」などを、
人に求めたら、病気になったりするけど、
自分、苦しむだけだけど、
人に意識を向けるとね、そうなる。
人に意識を向けるところを、
自分に意識を向ける。
ほとんどの人はそれができないけど、
感情コントロールがはじめからできるぼくは、
昔からかんたんにやってのけます。
感情コントロールとは、
エネルギーのコントロールなのです。
エネルギーをコントロールすることができる、
それが僕が魔法使いと言われているゆえんです。
言われてないか。
ぼくはこれからいろいろやっていこうと思っているのですが、
いろいろは言わないです。
3つ伝えます。そのいろいろは3つをやってからの話で、
これは言わないです。
これを言うと、3つをやることのエネルギーが分散されるので、
ご理解ください。
その3つとはまず1つめが、
ここの考え方やコンセプトがとても好きです。
なにか特定の商品やものをすすめることをせず、
ただいい環境で治すということ。
自然の力はこんなにも偉大なんだということを知ってもらいたい。
「いい環境を味わっていただきたい」
ワタミは、環境問題にも本気で取り組んでいる会社です。
空論ではなく、実践で歩んでいる会社です。
ぼく自身も「環境問題」に手をつけたい。
アトピーの人が1番、環境問題に敏感なのは
カウンセリングでの経験上、よく知っている。
ぼくは環境問題については思い入れが深い。
それは小学校1年生の時に、
漫画「美味しんぼ」をみてからはじまった。
その漫画は漢字が読めないと話にならないんだけど、
まるで英語の漫画みているような感じなんだけど、
「そこには大切なメッセージが隠されている」
と、
必死で読んでいた。
僕はほんと小さいころは、アトピーだった。
だけど、苦しんだことはない。
なぜならはじめからいろんなことをわかっていたから。
「玄米採食出せ」
「レンシレンジは使うな」と
祖母や母に訴えていたのだ、小学生の時から。
コンビニ弁当なんて、
「家畜のエサ」だと本気で思っていた。
小学生の時が1番、神経質だった。
でも1個人、小学生ごときが「思いを強く」もったとしても、
世間は何も変わらない。
(そんなことはないけどそう思っていた。ただの言い訳。逃げ。心が弱かった)
思いをいつか具現化できると信じ、
意識して、25年ぐらい力をつけてきた。
アトピーでいろいろ悩んでいるお母さんとか
ご自身でっているよね。
なんで悩んでいるのかすら理解できない。
「そんな生活していたら、
病気になるのに」って
ぼくは昔から思っていたし、
じつは人に伝えていた。小学生の時から。
「人の話を聞かないだけ」
「そんな生活していると、
病気になりますよ」
「この商品あまり使わないほうがいいですよ」
とかいっていた。
言って何があったかって、
バカにされた。
「なにいっているの」
「大手だから安心なの」
わけのわからない言葉が返ってきた。
ぼくはそんなに性格よくないから、
「頭が悪いなあ。
じゃあ体で学んでください。
病気や症状が出てから、
学んでください」
そう思っていた。
ぼくは苦しいのは嫌だから、
相手もそうなのかなと思って、
「このままいけば苦しい思いしますよ」
といっているのに、
聞かないんだ。
聞かないんじゃなく、
ぼく自身に説得力がないんだけどね。
小学生といえど、
それは言い訳にすぎない。
話をもとに戻します。
ここの考え方やコンセプトがとても好きです。
なにか特定の商品やものをすすめることをせず、
ただいい環境で治すということ。
「山辺の家族」さんは、次に沖縄。
できれば、全国に療養宿をつくりたいと言っていた。
しかも「山辺の家族」さんは、
10年前、渡邊美樹社長にこの話をもっていったんだ。
そうしたら、
「まずはワタミで下積みつんで・・・」という話で
話は流れたんだけど、
ちょうどかわりに下積み積んだ人がいる。
ここに。僕がそうだ。
みたいな宿を全国展開。
これをぼくワタミでやります。
昔のワタミと違って、ワタミファームからワタミ宅食、ワタミ介護とある。
ワタミの力を借りて、
みたいな宿を日本にいくつもつくっていきます。
基本ぼくは他力本願ではなく、
自力本願だ。
ワタミの力を借りるのは、
たんたんスピードアップにすぎない。
短期的に具現化したいから、
力を借りるだけだ。
誰の為って悩んでいる人の為だ。
病気や症状は1日、1日が重い。
1日でもはやくなんとかしてあげたいと思うのが、
やさしさではないだろうか。
個人的な思いだけでいうなら、
誰の力も借りたくない。
自分でやりたい。
だけど、そんな自我。
誰の役にもたたない自我なんて、とっくの昔に捨てている。
人の為になるなら、
誰の下にでもつくし、
奴隷でもなんでもいい。
人の為になるなら、
手柄なんていらない。
でも手柄を与えると、
手柄がかえってくるから、
いまこうしているだけで、
ぼくは一生、1番ペーペーでいいんだ。
役職でいえば、平社員が性に合っているんだ。
1番したが、居心地いいんだ。
「でもそんな人こそトップにたたないといけない」
と
客観的に思うから、
じゃあその倫理でいうとって、
しかたがなくリーダーシップ発揮しているだけだ。
これからやる3つのことの1つが、
みたいな宿を日本にいくつもつくるだ。
コンセプトも「山辺の家族」さんのやり方でいく。
ただ宿の問題点で、
そこにいけば治るけど、
帰ったらもとに戻ってしまうということがあるから、
そこの問題に手をつけていく。
つまりカウンセラーさんをおくということだ。
宿にいって、
もとに戻らないということであれば、
それには必ず需要がある。
療養宿に賛否両論があるのが、
1番は、「そこにいっても、また帰ったらもとに戻るからだ」
いっても一緒じゃん
みたいな話になるわけで、
結局、お金と時間ドブに捨ててしまうわけで、
そういうわけでもないのだけど、
そのお金を出すたとえば両親とか旦那さんの立場なら、
そう思ってもしかたがない。
お金を出すのが嫌なんじゃないと思うんだ。
治らないのが嫌だと思うから、
そこの問題に手をうてば、
必ずそこには需要がある。
広まるということだ。
「日本にいくつも療養宿をつくりたい」という
と
思いは同じだ。
だから協力しあってつくっていく。
お金とかはワタミだ。
ノウハウは山辺の家族さん。
つまりぼくは、
「山辺の家族さん」と「ワタミ」をつなげる。
これが僕の3つのうちの1つだ。