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今回振り返るのは『マイアニメ』1983年2月号。
マイアニメは秋田書店から1981年3月に月刊誌として創刊された雑誌である。今から30年前のこの雑誌が古本屋さんに並んでいたので今回はこれでいこう。30年前の1983年は私が生まれた年なので『振り返り』というよりはもはや『掘り返し』である。
1983年。東京ディズニーランドの開園、TSUTAYAの創業、そしてファミコンの発売。
米ソ冷戦の真っ只中、オイルショックも抜けてハイテク産業を中心に安定成長期に入っていた日本。NHKドラマ『おしん』が62.9%という最高視聴率を叩き出し、『CD』という新たなメディアも登場、そんな時代だ。
表紙と巻頭特集を飾るのは劇場公開を直前に控えた『クラッシャージョウ』。
2160年の宇宙、クラッシャーと呼ばれるなんでも屋が活躍するスペースオペラ。『ビューティーペア』を生み出したSF作家・高千穂遙氏の小説が原作で、2013年現在もシリーズは継続中だ。メカニカルデザインに『超時空要塞マクロス』の河森正治氏、監督には『機動戦士ガンダム』のキャラデザなどでお馴染みの安彦良和氏。劇中に登場するメカやキャラのゲストデザインには吾妻ひでお氏、いがらしゆみこ氏、高橋留美子氏、鳥山明氏など日本を代表する大物たちが名を連ねている。しかも安彦良和氏は132分の本作品の原画の90%にあたる2万枚をたった一人で描いたというのだから驚きだ。
『クラッシャージョウ』はアニメージュ主催のアニメグランプリで大賞を獲得、サウンドトラックはオリコン最高9位を記録するなど、作品の出来も上々だったようだ。
記事にはこう書いてある。
「今まで、アニメというと、仰々しいイベントや、あるいはアニメ本来の筋とは関係ない部分で宣伝をやってきた。たとえば、大物俳優を声優に起用したりとかである。「クラッシャージョウ」はアニメの本質、そのものズバリで売っていこうとしている。」
この辺りの事情は30年前からあまり変化していないようだ。
次に控える記事は『宇宙戦艦ヤマト完結編』『幻魔大戦』『うる星やつら オンリー・ユー』。
『クラッシャージョウ』も含めたこの劇場アニメ4作品は公開時期も重なり「1983年 春のアニメ映画興行戦争」とも呼ばれ話題となっていた。
ヤマトのプロデューサー西崎義展氏のメッセージも掲載されており「1月15日までにはキャスティングを決定しなければならない(映画は3月公開)」「島大介が死ぬ」など、思わず「公開前にそれ書いていいのか?」笑ってしまうような衝撃的な情報も書いてある。
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『幻魔大戦』は角川映画がアニメに進出した初めての映画であり、すでに『AKIRA』の連載を開始していた大友克洋氏がキャラデザを勤め、『劇場版・銀河鉄道999』を手がけたりんたろう氏が監督を勤めた作品である。世界的キーボーディストであるキース・エマーソン氏の音楽や、写実的に描かれた新宿副都心を始めとする劇中の街並みなどは、それまでのアニメとは違う新たな時代の到来をアニメファンに感じさせたのではないだろうか。
ちなみに美輪明宏氏が声優として初参加した作品はこの『幻魔大戦』である。
アニメ雑誌には新番組情報も欠かせない。だがこれもなかなか曲者で、原点回帰をうたったタイムボカンシリーズの『イタダキマン』が『チン遊記 オシャカマン』と仮題で掲載され、『光速電神アルベガス』が『電神アルベガス』として掲載されている。仮タイトルや企画段階での情報がこういう形で残っているのはアニメファンとしては嬉しい資料といえよう。
中でも貴重なのは、製作がたち消えた幻のアニメ『マッドマシーン』の告知記事だ。
「レーサーである主人公・神風U作が一攫千金を夢見て、非合法の機動探偵チーム「マッドV」を結成!武器はドライビングテクニックと若さ、それと度胸だけ」というこの作品。登場するバイクや車もカッコイイのだがなぜ幻と化してしまったのか。理由は定かではない。噂では未放映ではあるものの2話までは制作されていたというが、果たして。
この『マッドマシーン』の代わりに用意された企画が『特装機兵ドルバック』である。
余談ではあるが、1983年は他に『装甲騎兵ボトムズ』『サイコアーマーゴーバリアン』『機甲創世記モスピーダ』『超時空世紀オーガス』などが放送開始となり、ガンプラブームの名残を受けたリアルロボットブームのピークでもあった。
愛読者イラストギャラリーは劇場公開を記念した「ゴッドマーズ特集」。
見事に主人公・明神タケルよりもマーグのイラストの方が多い。映画化希望の署名を10万人分集め、マーグ死亡の際には日本テレビのホールで葬儀が行われたという伝説を考えるに、送られたイラストの量は私達の想像をはるかに超える枚数であっただろう。
ちなみに『マイアニメ』はフィギュア、コスプレなどの同人系ジャンルを早いうちから積極的にとりあげていた雑誌のひとつでもある。「コスプレ」という言葉がこの世界に誕生する直前であはるが、フィギュア改造の方はすでに歴史が始まっていたようで『うる星やつら』のラムちゃんをクラマ姫とバラ星のエルに改造している。
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「まだ劇場作品も見ておらず、設定資料さえもほとんどない状態だがフルスクラッチものは早さが勝負。思い切って製作にとりかかった」という一文に、私は恐ろしいまでの情熱を見た。
『戦闘メカ ザブングル』終了を迎え『聖戦士ダンバイン』が放送直前のこの時、この両作品それぞれに富野由悠季氏がインタビューに答えている。このインタビュー記事については個人的にものすごく書きたい事がいっぱいあるのだが、もうそれは横道にそれる上に別コラムになってしまうのでそれはまたの機会にしたい。
巻末の方に掲載されているのは高千穂遙氏と藤子不二雄氏の対談。
5ページにわたるこの対談も実に読み応えがあるもので、できるものならば全文掲載したいくらいなのだがそうもいかないので興味のある方は是非入手して一読して欲しい。
対談の最後に両氏は語る。
高千穂氏:アニメをファンが深刻に観すぎているという気がしますね。だから、作ってるほうも重いテーマになってしまって、漫画映画をつくっている感じじゃなくなってしまう。
藤子氏:アニメっていうのは、もともと明るくて楽しいっつかね、そういうものが主流だったはずなんですよ。今は雑誌漫画も多様化して、どんなアニメがあってもいいんですが、やっぱり深刻なものばかりになってしまうというのは、ちょっとさびしいですね。
富野氏も先述のザブングルに関して
「人生なんて、大テーマも何もなくたって生きているじゃないの。そんな寂しいことをというファンのみなさんには辛いのですが。それも一つの事実です。」と語る。
ヤマトから続くアニメブームの最中、こぞって玩具メーカーが新規参入してきて始まったリアルロボットブーム。だがこの頃をピークに、テレビゲームの登場もあいまってかアニメブームは80年代後半ににむけてゆるやかにその熱を冷ましていく。製作者サイドの「アニメとはこれでいいのだろうか?」という疑問がハイティーン層、コア層向けのアニメにストップをかけ、メインターゲットを子どもたちに戻そうとアニメそのものに原点回帰をかけていったのかもしれない。
この雑誌『マイアニメ』も86年には休刊となり、その翌年87年には『ジ・アニメ』と『アニメック』もアニメ雑誌界から姿を消してしまう。そしてコア層は拠り所を探し求めてOVAという新天地に流れつくのだが…
その辺はまた別のお話である。
著者名:二宮係長
プロフィール:ニコニコ生放送では司会などで活動中。現在JFN系列にてFMラジオ番組『wktkの枠』にてパーソナリティを担当。
コミュニティ:co354159
twitter:https://twitter.com/ninomiya_v3
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