前例のない巨大な「人災」が起きたのは明らかなのに、誰も処罰されないのでは被災者は納得し難い。
東京電力福島第1原発事故をめぐり、東京地検は業務上過失致死傷などの容疑で告訴・告発されていた東電関係者ら全員を不起訴処分にした。
対象者は約40人おり、東電の勝俣恒久前会長や菅直人元首相らが含まれていた。刑事責任を問うためには、何よりもまず予見可能性を認めることがポイントになるが、捜査では否定する結果になった。
原発を襲った10メートルを超えるような津波は全くの「想定外」であり、それを見込んだ対策を取っていなくとも罪には問えないという理屈だ。炉心溶融(メルトダウン)に至った事故対応に関しても、過失はなかったとの見方を示した。
ただ原発事故の被災者の側に立てば、問題はむしろ事故後の避難措置ではないだろうか。避難誘導が適切だったのかどうか、避難先の放射線量が高いと分かっていながら移動や滞在をさせた事実はなかったのかといった点だ。
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の問題も残る。計算結果を公開しなかったのは、被ばく線量を増やす結果になった可能性はないのか。
人命や被ばくに関わったことが明らかなケースでは、特に捜査を尽くさなければならない。告訴の有無にこだわらず、調べを続けていくべきだ。
告訴していたのは「福島原発告訴団」などの組織で、1万人を超える福島県民らが加わっている。
東電は事故前の2008年、「最大で15メートルを超える津波に襲われる可能性がある」と試算していたのに、必要な対策を怠ったために全電源喪失に陥り、メルトダウンをもたらしたなどと追及していた。
東電の試算が事実であれば、取りあえず予見可能性の存在が疑われるが、地検は刑事責任を問えるほどの「具体的な予見可能性」ではなかったとの判断を示したとみられる。
予見可能性を厳密に認定しようとすれば、例えば「10メートルを超える巨大津波の危険性が明白に切迫していた」といった状況を証明しなければならなくなる。
そうなれば刑事責任を問うのはほとんど不可能だ。市民感覚に沿うレベルで予見可能性を検討し、さらに長年の安全管理の手落ちや不作為も考え合わせて事故原因と責任の所在を突き止める姿勢が求められる。
不起訴処分への対抗策として、告訴団などは検察審査会に不服を申し立てるとみられる。市民の視点で見直せば、予見可能性はまた別の判断が生じることもあり得るだろう。
満足な情報も与えられないまま一般市民が突然、避けることが極めて困難な放射性物質にさらされたのは明白な事実だ。刑事責任を考慮する際には、その重大性と特殊性こそが最大の判断材料になるべきだ。