投稿日 2013年9月14日(土)17時56分 投稿者 松浦晋也
9月14日イプシロン打ち上げ成功記者会見第二部です。。
出席者は、森田泰弘・イプシロンプロジェクトマネージャーと、澤井秀次郎・SPRINT-Aプロジェクト・マネージャー
森田
終わってみれば最高だった。隊員全員よくがんばってくれました。本当にありがとうございます。
今日の打ち上げの状況について。ものすごくお天気も良く好調だったように見えたが、追跡局の小笠原追跡局の風が強かったり、高層風があばれていたりして、ぎりぎりまで我々はどきどきしていた。これほどきれいな打ち上げはいままでなかったかなと思う。
打ち上げはほぼ決められた時刻に決められたイベントが実行された、全く正常な打ち上げだった。PBSの噴射は3段目までに発生した軌道誤差に対応して行うので、時刻が予測値からずれているのはPBSが正常に動作した証拠。投入軌道は非常に高精度で投入できた。
イプシロンは宇宙研と旧NASDAの文化の良いところを集めて作ったロケット。統合10年目の節目の年に、日本のロケット開発集大成としてきれいに飛んでいったのはうれしい。イプシロンは、宇宙ファンの皆さん、内之浦の皆さんと二人三脚で開発してきたが、今回ほどありがたかたことはない。イプシロンの成功は始まりである。自律点検やモバイル管制で宇宙開発の新しい時代をロケットスタートを切ることができた。
澤井
非常にきれいに打ち上げられ、衛星も健全な状態にある。先ほどの上空通過で衛星状態を確認。太陽電池パドルを開き、太陽にきちんと向けている。ロケット側に感謝している。
衛星の名前は「ひさき」(HISAKI)。地元内之浦にとっての新しい夜明けを象徴したいということでこの名前を選んだ。意味は2つ、ひさきは観測対象は惑星。惑星が太陽の影響をどのように受けるかを観測するので、ひ「太陽」の先だからひさき。
メインの理由は、内之浦の地名。津代半島の先端の火崎から。内之浦で一番最初に夜明けの光があたる土地。毎年正月に漁の安全を祈願する場所。イプシロンもまた内之浦を旅立つ船であり、安全を祈願するという意味で火崎とした。
森田
ちょっとおちゃめな話をします。性能計算書の表紙。皆さん宇宙開発で一番大切なのは、なんだと思いますか。柔軟な発想です。性能計算書の表紙は、新燃(しんねん)です。その理由を話しましょう。
M-V廃止の時、自分は大変悔しい思いをした。そのとき恩師で日本の固体ロケット研究を引っ張ってきた秋葉先生が「宇宙開発に“たら”も“れば”もない、いいロケットを作って未来を拓け」といわれた。それ以来、私たちはM-Vより良いロケットを作るという信念でここまで来ました。だから今回の性能計算書の表紙は新燃なんです。
もう一つ話したいことがあるのですが・・・すいません、気持ちが静まったら話します。
読売新聞 打ち上がった瞬間の気持ちを聞きたい。
森田 射場に来てからの数ヶ月は大変鍛えられる日々だった。チーム一丸となって苦しくともがんばって良かった。終わってみたら最高です。日頃私は自信満々で語っているわけですが、内心は、眠れない夜を何日も過ごしたということもあった。チームを奮い立たせるために強気の発言をしてきたわけだが、その自分からしてこれほどの成功になるとは思っていなかった。
澤井
うれしい、と拍子抜けと両方。衛星は必ずしも理想的に運ばれるわけではないので、100以上の異常対応の手順を組んで訓練してきた。それがすべて無駄になったので、あれっと拍子抜けです。
NHK カウントダウンと衛星分離の時の気持ちを。固体ロケットの伝統を引き継ぐことについて感想を。
森田
カウントダウンは何回も練習してきたので、無心で静かな気持ちでした。何回も苦難を乗り越えたというのはたくさん練習できたということで良かったのかなと思う。今回、各段のロケットがきちんと燃えるだけでも、格段の感慨があった。各段がきちんと燃えることがこんなにありがたいとは。だから衛星分離の時は、みんなに拍手を送りました。これが7年間のみんなの努力の成果なんだな、と。
自分の能力を超えるような事態にもぶつかったが、開発チーム、内之浦の皆さん、全国の宇宙ファンに
夢中に走った7年間でした。みんなと一緒に走った7年でした。イプシロンは始まったばかりで、これからおもしろいミッションを実現していきたいと思います。
産経新聞 今までイプシロンの命名の半分がエクセレンスやエデュケーションの頭文字だがそれは半分だとおっしゃっていました。イプシロンの命名の理由の残りの半分は成功会見でということだったので。この場で話してもらえればと思います。
森田
とても良い質問です。まずイプシロンの記号の意味。小さいけれど存在感はある。これが1/4。残りの1/4は今回初めて話します。
3年前に開発承認された時、宇宙研の先輩に相談したところ「Mロケットの精神を忘れるな」と言われた。Mロケットの精神は、「世界の先を行け。自分の力で未来を拓け」ということ。M-VIでもないなと的川先生とM組立室でギリシャ文字を並べて相談していたところ、的川先生が「Mを回して横にすればEだよね」と言ったのです。Mでありながら、全く別次元に変身したロケットということでイプシロンと命名した。これからかわいがってください。
不明 リフトオフの瞬間の感想は。モバイル管制は何人で行ったか。その意義について。
森田 飛んだところで喜んだ。飛んだと心の中で叫んだ。そんなところで喜んではいけないと、姿勢とか軌道のデータを見つめた。
モバイル管制事態はパソコン2台で3人で運用した。パソコンの前に2人、2人の動作を監督する人1人。同じ部屋に自分の他に8人いました。この人数は今後習熟するにつれてもっと減らせると思います。
東京会場
フリーランス秋山 PBSの修正量について。どの程度少なくて済んだのか。
森田 今日の最終飛行経路、ノミナル軌道に対して、一回目PBS燃焼は計画では4分強、実測も4分でした。
読売新聞 打ち上げ時に出た黒い煙はサイドジェットの燃焼か。
森田 その通りだ。サイドジェットあまり高温ガスではバルブが溶けるので、温度を下げて黒い煙がでるように作ってある。
喜多 祝電が届いています。「成功を祝す、私を引き合いに出すのはそろそろやめてくれ、固体ロケットは君らのものだ 糸川英夫」、返答をお願いします。
森田 イプシロンはずいぶん革新的なことをやりましたが、糸川先生からみるとまだまだなのではないかと思っています。これからも糸川先生に気に入られるようなロケットを作っていきます
NVS 視察はどれぐらい来たでしょうか。
森田 自分ではわからないので・・・
広報 後ほど回答します。
南日本新聞 内之浦にひとことお願いします。
森田
皆さんのご支援が我々がここまで来れた最大の要因です。一心同体二人三脚でやってきたので、よかったね、と言ってあげたいです。8/27の延期で町にずいぶん迷惑をかけたのではないかと思います。もともとオペレーションも長く宿のみなさんも疲労困憊だったので、そこにさらに迷惑をかけてしまいました。宿のおばさんに、力いっぱいがんばりましたと報告したいと思います。
8/27の延期は疲労の頂点で起きたので、落ち込みもしました。その中で応援の色紙やお便りは思い切り励みになりました。この二週間、励ましの言葉がなければここまでがんばれなかったと思います。皆さんのたくさんの夢を乗せたイプシロンが、打ち上げ成功をつかむことができました。どうもありがとうございます。
以上です。
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