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みっちりニッポン製 CD-R開発物語 太陽誘電株式会社 第4回 CD-Rがブレークする瞬間
みっちりニッポン製 Jブレークスルー その壁を突き破ったのは誰だ!?
CD-ROMの存在がCD-Rの普及を促す――そして迎えたCD-Rのブレーク
 
 とにかく、太陽誘電は、CD-R製造工場の第一号ラインを1990年5月に竣工した。だが、まだ、CD-Rは、それほど普及しているとは言い難い状況であった。ひとつには、CD-Rライターが非常に高価で、しかも、CD-Rディスクの価格も高く、「卵と鶏」の関係にあったからである。そんなCD-Rが花開くひとつのきっかけとなったのが、CD-ROMの存在であった。
 
 CD-Rは、当初、オーディオ専用とも言える存在だったが、CD-ROMの制作過程で使用されるディスクとして注目され活用されるようになる。つまり、コンピュータ用CD-ROMやゲーム用CDの原盤作成や動作確認用などで活用されだしたのだ。
 また、CD-Rはデータの書き換えができないことに着目し、データ改竄が防止できることをメリットとして、データ保存用の媒体としても徐々に使用されだした。そして、Windows95のリリースとともに一気にブレークすることになる。
 Windows95や、オフィスなど、容量の大きいアプリケーションは、フロッピーディスクでも提供されたが、フロッピーディスクでのインストール作業は、ディスクの入れ替えが煩雑あり、入れ替えが大幅に少ないCD-ROMでのインストールが一般的になった。そして、PCには、CD-ROMドライブが標準搭載され、各種ソフトウェアがCD-ROMで提供されはじめたのもこの頃からである。
開発に成功したCD-R
開発に成功し、最初に販売されたCD-R

 「1996年からCD-Rは、急成長するんですが、デスクトップパソコンにCD-ROMドライブが標準搭載されるようになった時期と合致しています。で、CD-Rが急に伸びてきて、これはこれは面白くなってきたなと思っていたら、翌年台湾メーカーがどんとでてきて、ディスクの価格が、どんと下がるという悪夢を体験するわけです。ですが、CD-Rがワールドワイドで年間150億枚の市場に成長したというのは、台湾メーカーの功績もあると思っています。台湾メーカーが、価格破壊をしなければ、ここまでこなかったかもしれません。(新井氏)」
 
実際に台湾製の安価なディスクが登場しだした1997年に、CD-Rの販売価格は1年で約7割低下した。ディスクを製造販売していたメーカーにとっては、まさに悪夢であったはずだ。しかし、CD-Rは、「ディスクの価格が下がった分、ドライブの販売数量はドンとのび、爆発的な普及に繋がっていった(新井氏)」のである。

だから日本製は揺ぎない信頼性を提供し続けられる
 
 こうして爆発的にCD-Rは普及していく。CD-Rは、普及するにつれ、ユーザーの要望を取り込みつつ記録速度を高速化していくことになる。CD-Rの記録速度は、当初の1倍速(等速)から、最終的に48倍速まで高速化することとなる。メーカーによっては、56倍速記録に対応した製品を出荷したところまであった。いうまでもなく、これらの速度を実現するためには、「ハードとの連携が、非常に大切(藤井氏)」である。というのも、「規格を決めてもそのままではちゃんと動作しない(藤井氏)」からだ。
 
藤井氏
 
 
太陽誘電は、CD-R開発メーカーとして、高速記録においても常に時代をリードし続けたことは多くの方が知るところだろう。加えて、現在主流のDVDにおいても、CD-Rのときからのハードメーカーとの連携と、高い開発力を生かし、トップメーカーとして君臨している。そして、これは次世代のDVDとして注目を集めるBlu-ray DiscやHD DVDの開発にも生かされることになる。
 
「我々が、現在、ディスクのトップメーカーと言われるのは、ハードメーカーと長い期間、一緒に開発を行ってきたという信頼関係が根底にあります。なぜなら、単純に、製造装置を導入して、ディスクを作っても優れたディスクはできないからです。我々は、長い期間、ハードメーカーさんと一緒に開発を行い、情報を共有し、様々な知見をストックしてきました。今後もそれは変わりません。今まで培った知見をしっかり整理、統合してそれをもとに、ハードメーカーさんと二人三脚で更なる、優れたディスクを開発し、ユーザーの皆様に提供していきたいと思います(新井氏)」
 
 次世代のディスク開発の話は、また別の機会のお楽しみということで……。


太陽誘電株式会社
本社
台東区上野6丁目16番20号
代表者
代表取締役社長 神埼芳郎
設立
1950年(昭和25年)3月23日
主な
生産品目
セラミックコンデンサ、インダクタ、回路モジュール、光記憶メディア、セラミックチップアンテナ・フィルタ・バラン、バリスタ、NTCサーミスタ、バルクフィーダ
URL

●光記憶メディアの主なトピック
1988年9月
世界初のレコーダブル・コンパクトディスク「That's CD-R」の商品化を発表
1998年10月
4.7ギガバイトのDVD-Rの商品化技術確立を発表
2004年10月
光ディスク基板材料であるポリカーボネイトのリサイクル事業を本格開始

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