CD-ROMの存在がCD-Rの普及を促す――そして迎えたCD-Rのブレーク
とにかく、太陽誘電は、CD-R製造工場の第一号ラインを1990年5月に竣工した。だが、まだ、CD-Rは、それほど普及しているとは言い難い状況であった。ひとつには、CD-Rライターが非常に高価で、しかも、CD-Rディスクの価格も高く、「卵と鶏」の関係にあったからである。そんなCD-Rが花開くひとつのきっかけとなったのが、CD-ROMの存在であった。
「1996年からCD-Rは、急成長するんですが、デスクトップパソコンにCD-ROMドライブが標準搭載されるようになった時期と合致しています。で、CD-Rが急に伸びてきて、これはこれは面白くなってきたなと思っていたら、翌年台湾メーカーがどんとでてきて、ディスクの価格が、どんと下がるという悪夢を体験するわけです。ですが、CD-Rがワールドワイドで年間150億枚の市場に成長したというのは、台湾メーカーの功績もあると思っています。台湾メーカーが、価格破壊をしなければ、ここまでこなかったかもしれません。(新井氏)」
実際に台湾製の安価なディスクが登場しだした1997年に、CD-Rの販売価格は1年で約7割低下した。ディスクを製造販売していたメーカーにとっては、まさに悪夢であったはずだ。しかし、CD-Rは、「ディスクの価格が下がった分、ドライブの販売数量はドンとのび、爆発的な普及に繋がっていった(新井氏)」のである。 だから日本製は揺ぎない信頼性を提供し続けられる
太陽誘電は、CD-R開発メーカーとして、高速記録においても常に時代をリードし続けたことは多くの方が知るところだろう。加えて、現在主流のDVDにおいても、CD-Rのときからのハードメーカーとの連携と、高い開発力を生かし、トップメーカーとして君臨している。そして、これは次世代のDVDとして注目を集めるBlu-ray DiscやHD DVDの開発にも生かされることになる。 「我々が、現在、ディスクのトップメーカーと言われるのは、ハードメーカーと長い期間、一緒に開発を行ってきたという信頼関係が根底にあります。なぜなら、単純に、製造装置を導入して、ディスクを作っても優れたディスクはできないからです。我々は、長い期間、ハードメーカーさんと一緒に開発を行い、情報を共有し、様々な知見をストックしてきました。今後もそれは変わりません。今まで培った知見をしっかり整理、統合してそれをもとに、ハードメーカーさんと二人三脚で更なる、優れたディスクを開発し、ユーザーの皆様に提供していきたいと思います(新井氏)」 次世代のディスク開発の話は、また別の機会のお楽しみということで……。 完 |
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