記録できるCDの歴史を紐解いてみると、意外にたくさんの記録方式があったことに改めて驚かされます。
代表的なものには、CDのライセンサであるソニーとフィリップスが相次いで発表したCD-WOとCD-MO、そしてヤマハと富士写真フイルムが共同開発した「ヤマハ プログラマブル ディスク システム」通称「PDS」があります。いずれも1987年から1988年くらいにかけて発表、ないしは実用化されたものです。
当時、Blue Bookという名称が与えられたCD-WOの“WO”とは、Write Onceの意味です。追記型の光ディスクという点では、CD-Rとコンセプトはまったく同じなのですが、反射率がRed Bookの基準を満たすことができず、結果的に互換性が確保されないことになってしまいました。
互換性が確保できなかったという意味ではCD-MOも同様です。この“MO”とは文字どおりMagneto Optical=光磁気ディスクのことです。CD-MOは当初Orange Bookと呼ばれていましたが、それからほどなくCD-Rが登場したこともあって、CD-MOは「Orange Book PartI」、CD-Rは「Orange Book PartII」と呼称されるようになりました。
ただし、CD-WO、CD-MOはともにCDファミリー(Red Book)と非互換であったばかりに現在では消滅してしまい、代わってCD互換のCD-Rだけが存続し、隆盛をきわめていることはご存じのとおりです。Orange Bookというと、PartII以降ばかりが取り上げられるのは、PartIに準拠した商品が製品化されなかったからでもあります。
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CD-WOやCD-MOとヤマハのPDSとは大きな違いがあります。それは、前者が、どちらかと言えば研究・開発の成果のみ、という印象であったのに対し(とはいえ、CD-MOはやがてまったく違った形態で私たちの前に登場します。それがソニーの開発したMDで、MDはCDとMOを統合したようなシステムとなっています)、ヤマハと富士写真フイルムのPDSはCDとの互換性を確保し、しかも実際に製品化され販売された実績のあるシステムだということです。その点では、現行のCD-Rにいちばん近く、CD-Rの範になったと言っていいでしょう。
PDSについて、ここではとくに詳しく触れることはしませんが、仕組みとしては、富士写真フイルムとヤマハが共同開発した“ヤマハ オプティカル ディスク”と呼ばれる光ディスクにレーザを照射しダイレクトにカッティング(いわゆるマスタリング工程のことです)をしてしまう方式となっています。
ダイレクトカッティング――つまり記録膜そのものに穴を穿ってしまうわけですから、当然ながらライトワンスディスクということになりますが、CD互換を何とか確保できたことは、当時としては画期的な技術でした。
PDSが発表されたのは、1988年の4月に開催された「第1回電子出版システム展」でした。このことからもわかるように、PDSの用途として考えらえれていたのは、CD-DAやCD-ROMのデバッグはもちろんのこと、少量多品種の電子出版が重視されていました。そしてそのアプリケーションの一つとして、すでにカーナビゲーション用マップのオンデマンド書き込みサービスまでも検討されていたと言いますから、その点では、現在のCD-Rの用途を先取りしていたどころか、むしろ相当に進んでいた部分さえあったと言っていいのかもしれません。
とはいえ、PDSがそれほど普及しなかったのは、同システムが業務用であったからですが、「電子出版」という概念で言うなら、PDSがターゲットにしたマーケットというのは、書き手やつくり手といったAuthorではなく、出版社=Publisherであったと言えるでしょう。システムの価格は200万円。PCMレコーダやエンコーダなどの周辺機器を含めると1000万円もしました。
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ヤマハのプログラマブルディスクシステム。通称PDS。
歴史というのは実に面白いもので、この「第1回電子出版システム展」に参加していたのが電子デバイスメーカーである太陽誘電でした。
同社は1985年ごろよりCD-Rの開発に着手しており、すでにBlue Book(CD-WO)の開発は終わっていたものの、こだわりはあくまでもCD互換の追記型CD、すなわちその後CD-Rと呼ばれるメディアにありました。
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世界初のCD-Rディスク(1988年)。太陽誘電株式会社提供。
PDSとCD-Rとは直接関係があるわけではありません。しかし、電子出版システム展でPDSが公開された2カ月後の1988年の6月に太陽誘電がCD-Rをつくり上げたことを考えると、PDSの果たした役割は決して小さなものでないことがわかります。事実、「PDSがなければCD-Rは生まれなかった」とさえ明言する技術者もいるくらいなのですから。
ちなみに、このCD-R(CD-Recoradable)の名称とは、もともとは太陽誘電の社内用のコードネームです。それがのちに世界中に広まることになりました。
“開発ストーリー”はこのくらいにして、つぎに、CD-Rはどのような構造になっていて、どのようにして記録できるかのかについて説明していくことにします。
CD-Rの構造は次ページの図に示したとおりになっています。ここではCD-DAやCD-ROMといったプレス型のディスクと比較しました。
ご覧のように、プレス型のディスクとCD-Rとの外見上のもっとも大きな違いは、CD-Rの記録・再生面が暗緑色や緑色、ブルーといった色をしていることでしょう。プレスされたディスクの再生面(信号が記録されている面)は言うまでもなくシルバーです。
CD-Rの記録面の緑色は、シルバー色に輝くプレス型のCDディスクとあまりに異なっているため、初めはとても奇異に感じますが、CD-Rの記録原理と非常に深いかかわりがあってそうなっているのです。
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