原発関連死 さらに121人
計910人、不認定も増
福島、3月以降
東日本大震災から11日で2年半。
東京電力福島第一原発事故に伴う避難で、体調が悪化し、死亡したケースなどを、本紙が独自に『原発関連死』と定義し、
福島県内の市町村に、該当者数を取材したところ、この半年で、少なくとも121人に上ることが分かった。
3月の調査では789人で、震災以降の総計は、910人となる。
事故収拾のめども付かぬ中、『隠れた犠牲者』の数も増え続ける。
(宮畑譲)
市町村は、災害の直接の犠牲者だけでなく、避難中の死亡などについても『震災関連死』と認定した場合、災害弔慰金(最高500万円)の支給対象にしている。
福島県内では、22市町村が支給。
このうち13市町村は、原発事故に伴う避難者がいて、人数を把握しており、本紙で『原発関連死』として集計した。
震災関連死者が431人と、県内で最も多い南相馬市や、いわき市は避難者数を把握していないため、集計には含まれていない。
ただ、南相馬市の担当者は、「大半が原発避難者」と話しており、これを加えれば、原発関連死者は1300人を超える。
福島第一原発に近い、双葉郡8町村や、南相馬市を中心に、今でも避難先で亡くなる人がおり、遺族が断続的に、関連死認定を申請している。
福島県避難者支援課によると、震災後、時間が経ってから、災害弔慰金の制度を知って申請する人や、審査待ちの遺族もいるという。
だが、原発事故から2年半が経ち、事故当時や、避難の状況を証明することが難しくなっており、不認定となる事例も増えている。
22市町村のうち、審査会を設置している16自治体で、震災発生から2012年3月までの、最初の1年間に受けた申請件数は773件で、
そのうち、91%の701件が認められた。
それが、12年4月から今年3月までの1年では、879件のうち226件が認められず、認定率は74%に低下した。
この半年も、75%で推移している。
*震災関連死
災害弔慰金の支給等に関する法律では、「災害により死亡した住民」の遺族に、市町村は、災害弔慰金を支給できる。
阪神大震災(1995年)以降、ストレスなどによる震災関連死も、支給対象となった。
新潟県中越地震(2004年)で、長岡市がつくった基準では、震災から6ヵ月以上で「関連死ではないと推定」としている。
東北の被災3県は、現在も認定を続けているが、申請には、死亡までの経緯を具体的に書くことが必要で、通院記録など、第三者が証明する記録を添付するのが望ましい、とされる。
終らぬ避難 埋もれる犠牲
原発関連死 立証に時間の壁
「自宅の周りは除染するっていうけど、家の中は除染のしようがない。
結局、死ぬまでここにいろってこと。
わたしたちが死ぬのを待ってるんでしょ」
福島県南相馬市役所近くにある仮設住宅で、70代の女性がやるせなさそうに、つぶやいた。
約380戸のプレハブには、主に、福島第一原発20キロ圏にある、同市小高地区の住民が暮らす。
県の委託を受けた巡回員の女性のよると、2012年3月の開設から1年半で、10人が亡くなった。
「救急車が来ることはしょっちゅう。朝方に2台続けてくることもある」という。
狭い仮設暮らしで足腰が弱り、部屋にこもるようになって体が弱るという、悪循環に陥るケースが多い。
同じ仮設に住む男性(80)は、仙台で暮らす孫が小学校で、
「あ、福島だ。放射能」と指されたと聞き、胸を痛めた。
「何もすることがない中で、そんなことを聞かされる気持ちが分かりますか」
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事故収拾遠く、ストレス倍増「新法つくり認定を」
福島で、震災後のストレスや体調悪化で亡くなる震災関連死と、22市町村で認定されたのは1497人。
宮城(872人)や岩手(413人)と比べても突出している。
本紙の集計では、そのうち少なくとも910人は、原発事故の避難に伴う『原発関連死』だった。
避難生活の長期化で、人々の苦境は強まる一方なのに、震災関連死とは認められにくくなっている。
7月には、いわき市の60代女性が、夫の自殺を震災関連死と認めなかった、市の処分を取り消すよう、福島地裁に訴えた。
自宅は、福島第一原発から約50キロ。
いったんは、郡山市に避難したが、夫が「帰りたい」と訴えたため、一週間後に帰宅した。
断水や余震への恐怖もあり、持病のうつ病が悪化。
時には、女性に暴力を振るうこともあった、という。
昨年5月末、自ら命を絶った。
女性は、震災関連死の申請をしたが、市は、
「震災から1年2ヶ月が経過しており、影響していると判断できない」として、認めなかった。
代理人の佐藤剛志弁護人は、
「今後、同様の事例が増える可能性は高い。
新たな法律をつくって、広く認定することが必要だ」と訴える。
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「天災と人災では、影響の尾の引き方、ストレスの解消の仕方が違う」
3月、復興庁が公表した、福島の震災関連死についての調査報告所では、原発事故の特異性を指摘。
災害公営住宅の、早期整備などを対策として掲げた。
しかし、原発の汚染水問題も深刻になる中で、故郷での将来像を描くことは、ますます難しくなっている。
浪江町から福島市内の仮設住宅に避難している、熊田伸一さん(60)の胸には、絶望感が広がる。
「町は、2015年3月までに、町内に公営住宅をつくるといっているが、本当に帰れるのか。
国や県、町は、本音を言ってほしい」
(飯田孝幸・宮畑譲)
*写真への書き添えより
避難生活で認知症を発症したり、症状が急速に進む高齢者もいる。
福島県南相馬市で
きのうは経産省前てんと広場が出来て2周年ということで、行ってきました。
福島からの怒れる女性(男性も)のスピーチは心に迫りました。でも、こういう場所に行かないと被災者の怒りは伝わってこないですね。
記事の中で被災者の方が「何もすることがない中で、そんなことを聞かされる気持ちが分かりますか」と仰っていますが、2年半も経ってほんとに何もすることがないのでしょうか?自分たちが主権者だという意識はあるのでしょうか?憲法を読んでもっと積極的に権利を主張して欲しいです。
経産省の人が門番のように立っていましたが、聞くところによると福島の出身らしいです。あの辺で働いてる人たちも、無視するように歩いて通り過ぎます。国民同士が分断されてる場所ですね。
てんと広場、行ってきはったんですね!
今日、その記事(田中氏)を見つけて、記事にしようと思っていたところです。
被災者の方の環境を、わたしは逐一知る立場ではありませんけれども、
何かをすると補償が切れたり、申請ができなくなるという、微妙な状況に陥らされてる人も少なくないと聞いています。
丁度それは、失業した相方が、失業保険では食べていけないからと、他のアルバイトをしようとしたら、息子たちへの援助(フードスタンプ)が切られるという感じではないかと。
動きが取れなかったあの3年間は、役人が作った制度の冷酷さと安直さを、まざまざと感じて生きた毎日でした。
抗議をする、という行動を、完全に無視して自分の今ある暮らしと環境を固持する。
これは、わたしもそうだったので、その心理が手に取るようにわかります。
だからこそ希望もあります。
わたしがこちら側に来られたのだから、あの人たちももしかしたら、と思えるのです。