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【モータースポーツ】

<遠藤智の飛び魚日記>ミサノではこうしてはいられない…の巻 第798回

2013年9月13日 15時31分

ミサノ・サーキットの正面ゲートに通じる道は、250ccクラスでシーズン11勝という最多優勝記録で世界チャンピオンになった栄誉を称え“大ちゃん通り”となっています

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 インディアナポリスGPからスタートした後半戦は、チェコGP、イギリスGPと3週連続開催という苛酷なスケジュールで幕を開けました。その苛酷なスケジュールを青息吐息でこなし、イギリスからイタリアまで長期リースのクルマを回送して帰国。その後は、“慢性寝不足”と“慢性時差ボケ”というふたつの症状は深刻な状態で、いつでもどこでも、目をつぶったらすぐに寝られる身体になっていました。その状態はサンマリノGPに出発するまで、ずっと続き、もう眠くなったら寝るという生活でした。

 日本滞在は帰国日と出発日を入れてちょうど1週間。慢性寝不足&慢性時差ボケのほげーとした状態でしたが、7月ごろからちびりちびり読んでいた『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)を一気に読み進めました。これは明治時代の日本を描いたもので、日清、日露戦争を背景にした当時の日本と日本人の話には、ぐいぐい引き込まれ、クライマックスともいえる終盤のバルチック艦隊と日本海軍の戦いは、へぇー、ほぉー、そうだったんだあ、と初めて知ることばかりの連続技に「完全に参りました」という感じでありました。

 バルチック艦隊は、そのほとんどがバルト海から大西洋を経て、喜望峰回りでインド洋、太平洋に入って日本を目指すのですが、一部はスエズ運河を通過していたということも知り、スエズ運河っていつ開通したんだっけ?と調べてみると1869年(明治2年)。さらに、明治時代の日本の軍艦は、ほとんどがイギリスに注文して作ったものばかり。イギリスの良質の石炭でなければパフォーマンスを発揮出来なかったそうで、現代でいえば、「ハイオクいれてくださーい」ってなもんだろうなあと思ったりしました。

 司馬さんの本はどれを読んでも面白いけれど、『坂の上の雲』は資料集めに4年、そして産経新聞に5年間に渡り連載されたという長編で、「40代のすべてを掛けた本だった」とあとがきで語っていますが、ただただ、凄いなあ、素晴らしい仕事をしてきた人だなあと感動しました。

 こういう本を読むと、飛び魚も、こうしてはいられないと思ってしまうのですね。思ったところで、いつでもどこでも寝られることを自慢しているばかりで、重い腰はいつも重いまま。いますぐに、あらたに何かを書くというのは大変だけど、すでに書いたものをまとめるのなら大丈夫だろうということになり、トーチュウに連載した『タビビトノキ』(F1Expressで【復刻】タビビトノキとして再録中)を本にしようと決めました。

 すでに、『【復刻】タビビトノキ』は週2回のペースで進行しています(ご存知の通り、現在、F1Expressはメンテナンスのために休止中)が、どういう本にすればいいのか、などなど、思い立ったら何とかであり、早速、製作の準備に入りました。10年続いたコラムなので、うまくいけば、何冊かのシリーズ本にできるかな?なんて思っていますが、まずは年内には、『タビビトノキ』第一弾を出版しますので、ぜひ、購入してください。

 ・・・なんてことを書きながら、昨日、日本を出発して、サンマリノGPの行われるミサノに到着しました。フランクフルトを経由してミラノへ。ミラノから約350km、クルマで走って、サーキットに近いカトリカの“マルコ&ジョルジョの常宿”に到着しました。なんでそんなヘンテコな移動なのか?と思う方は前回の飛び魚日記を読んでもらいたい。11日の朝4時半に横浜の自宅を出発、ミサノに近いカトリカの常宿に到着したのが11日の午後10時半。実に25時間の旅でありました。

 それにしても眠い・・・ということで、この飛び魚日記も、ちびりちびりと書き続けてきましたが、ついにサンマリノGP直前となりました。

 このサーキットは、チーム・グレッシーニの本拠地であり、チームに所属していた世界チャンピオンの栄誉を称え“大ちゃん通り”があり、大ちゃんの家族が植樹した桜の木があります。そして、サーキットのゲートをくぐれば、あのでかかったシモンチェリが、さらにでっかくなって我々を出迎えてくれます。

 そして、ショーヤが亡くなった11コーナーに行って、手を合わせることになります。今年はショーヤのステッカーを持ってきて、ガードレールに新しいステッカーを貼りました。ここに来ると、ショーヤはまだ走っているんだろうなあと思ったりします。

 ・・・というわけで、サンマリノGPの開催されるミサノに来ると、いろんなことが思い出されます。大ちゃんが亡くなって10年、ショーヤが亡くなって3年。ミサノに来ると、こうしてはいられない、と思ってしまうのであります。(飛び魚=遠藤智)

大ちゃん通りに入ると、2004年に大ちゃんの家族が植樹した桜の木があります。10年。すくすくと育っていますよ

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ゲートをくぐると、マルコ・シモンチェリ選手が出迎えてくれます。ミサノ・サーキットの正式名称は、「ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ」。彼の名前がつけられたサーキットです

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サーキット入りしたら、まず、ショーヤが亡くなった11コーナーに行って手を合わせます。ガードレールには、事故があったときに貼られたステッカーが残っています(上段)。今年は、新しいステッカーを日本から持ってきて、こんな感じになりました(下段)。ショーヤがいっぱい走ってますよ

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世界新記録で250ccチャンピオンになった大ちゃん

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モト2クラス初レースのカタールGPで初代ウイナーになったショーヤ(写真はスペインGP)。ふたりともに大好きなライダーでした

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