落選したら責任を取ると
明言した2年前の会見
さて、質疑応答が始まり、いよいよ石原知事に用意していた質問をぶつける時がきた。筆者は記者会見で質問する時にいつも決まってそうするように、今回も一番前の席を陣取っていた。
「2007年3月、知事は並々ならぬ意欲を示して、東京オリンピック招致を公約に掲げながら三選を果たしました。その当選会見で、私は次のような質問をさせていただきました。
『仮に、2年後のIOC総会で落選したら、知事はどのように政治的責任をお取りになるつもりですか』と。その際、知事からは次のようなお答えをいただきました。
『そりゃ、責任は取りますよ』。
そして、今日、残念ながら東京は招致に失敗しました。果たして、具体的な責任とはどのようなものなのか、お聞かせください」
正式な記者会見で政治家が発言したことは「公約」になる。これは日本の記者クラブ主催の記者会見を装う「懇談会見」を除いて、世界で共通のルールだ。
その点からも、2年前の全メディアにオープンにした石原知事の会見、また自らの選挙で掲げたオリンピックの東京招致という発言は、最大の「公約」だったともいえる。
そして結果として、「公約」は達成できなかった。石原知事にはその責任に向き合う責任があるはずだ。
一方で、質問をした記者にも責任が及ぶはずだ。誰かが質問をしてくれればいいのだが、なにしろ2年半以上も前のことだ。誰一人覚えていないかもしれない。よって、自らが行った質問の責任を回収しに行くしかない。ということで筆者はコペンハーゲンまで行ったのだ。
「嫌な質問をしないでくれよ」
いつものように、少し微笑みながらこう口を開くと石原知事は続けた。
「今回のIOC総会では、自分の人生の中で非常にいい経験をさせてもらいましたな。ある意味でそのことを、どういう形かわからないが、都民、国民に伝えることが自分の責任だと思うね。そりゃ、辞めるという責任のことを言っているだろうけど、任期途中で知事を辞めるという責任の取り方は絶対にない。そうした誤解がないように、君からも言っておいてくれよ」