研究開発の前に立ちはだかるといわれる次の3種類の壁についての私の理解を以前にご紹介しました。
魔の川:アイデア・基礎研究から実用化を目指した研究までの間の壁
死の谷:実用化研究から製品化までの間の壁
ダーウィンの海:製品が市場による淘汰を受けて生き残る際の壁
すべての研究開発がこの3つの壁を越えていく必要がある、というわけではありません。しかし、研究開発を実用化する上での困難なポイントをうまく説明する考え方として私は気にいっています。この背景には、研究の実用化が「基礎研究」→「応用(開発)研究」→「設計・製造」→「販売」といういわゆるリニアモデルに従って進む、という考え方がありますが、リニアモデルのような単純なモデルに従って研究が進む場合はほとんどないことが現在では広く認識されています(いまだにこういう考え方をする方がいるのは事実ですが)。ただ、実際には、研究開発をはじめとする新しいことへの挑戦が、多くの場合、「アイデア」→「アイデアが機能することの確認」→「機能を商品にするための工夫(製品化)」→「商品を安定的に提供(製造)する」→「販売・安定供給・品質保証・市場競争」といったプロセス、もっと単純には「アイデア」→「検証」→「実用化」→「競争」というプロセスを経て成果に結び付く場合が多いことも事実のように思います。要するにこの過程では、研究の実用化はひとつの工程が完了して次の工程に移る、という動きをするのではなく、いろいろな工程を行ったり来たりしながら製品に使われる技術やノウハウが完成に近づいていく、ということがポイントなのだろうと思います。製品化や製造の段階で、基礎に立ちかえる必要がでてくる場合もあるでしょうし、製造の研究や、供給や販売の段階でもその中でアイデア→確認→実用化というプロセスが要求されるということもあるでしょう。またプロセスの一部が省略されることもあるかもしれません。このように、ミクロなリニアモデルが変形しつつ複雑にからみあったものが研究開発プロセスではないかと思っています。
先に述べた「魔の川」はおよそ基礎研究から機能の確認の段階に、「死の谷」は、製品化、製造研究の段階に、「ダーウィンの海」は市場における競争の段階に相当すると考えられますが、実際には、これを順番にクリアしていくというよりも、こうした障害は研究開発のあらゆる場面で姿を現してくるということになるのではないでしょうか。そこで、以下では、それぞれの障害をのりこえるために何が重要かについて考えてみたいと思います。
「魔の川」を越えるためには、アイデアが思ったとおりに機能することを確認することが必要です。テストの結果によってはアイデアの見直しも求められる場合もあるでしょうから、アイデア自体を発想し、磨き上げることもこの段階に含めてもよいと思われます。すると、この段階で必要なことは、
・アイデアを出すこと
・よりよいアイデアを試験のために選抜すること
・アイデアが機能することをなるべく確実に、簡単に、速やかに確認すること
が重要になるでしょう。この段階を担当する研究者に求められることは、発想力、科学力(選抜の精度を上げる)、実験技術(確認技術)ということになると思われます。
「死の谷」を越えるためには、消費者にとって魅力的で品質の安定した製品が、現実的な価格で製造できることが必要でしょう。魔の川を越えてきたアイデアに対し、他の要素技術や既存の技術、あらたなアイデア(それ自体、別の魔の川を越える必要があるかもしれません)などを組み合わせて「製品」と言えるものに形作る必要があるでしょう。そうするとこの段階で必要なのは、
・組み合わせること
・改良すること
・少なくともプロトタイプの段階まで形にすること
・試作品の問題点を予知すること
・場合によってはあきらめる、やりなおす決断をすること(研究のリスクを低減するため)
ということになると思われます。もちろん科学的知識と能力は重要ですが、深い知識に加えて広い知識、こだわることと妥協することのバランス、製作技術(製品を作る技術)、製品の社会への影響を予測する能力、そして決断する力が求められるように思います。
「ダーウィンの海」では市場による淘汰が重要な因子になります。従って、ここで必要なことは競争に勝つことと言えるでしょう。
・類似製品に比べた優位性、消費者に対する魅力を獲得すること
・既存製品にとってかわること
・競争の少ない世界に進出すること
・競争のない世界、収益性の高いシステムを構築すること
が必要になると考えられます。要するにここでは、技術以外の部門をも結集する能力、ビジネスモデルを構築する能力、社会(消費者)の反応を正しくつかむ能力が重要になると考えられます。もちろんこの段階でも改良、決断の能力は重要ですが、技術以外の面まで判断の領域を広げる必要がある点が重要と思われます。
このように考えると、大雑把には、「魔の川」には科学技術力が、「死の谷」にはものづくり力、組み合わせ力が、「ダーウィンの海」にはビジネスモデルが大きな影響を与えると考えられると思います。もちろん、それぞれの段階でもアイデア→確認→実用化という小さなプロセスがあり、研究のフェーズも行ったり来たりしますので、上記の要因だけ、ということはないはずですが、ごく単純化すれば以上のような考え方になるのではないかと思います。少なくとも、例えば、いくら科学技術力に自信があるからといって、ダーウィンの海を越えるのに科学力だけに頼るわけにはいかないだろうこと、同様にものづくり力だけですべての障害をクリアできると思うことには危険が伴うように思います。さらに、オープンイノベーションによって、社外の能力を有効活用しようと思えば、どの障害を越えるためにどのような能力を持つ社外の資源を活用すればよいかの指針も得ることができるのではないか、とも思います。
今回の考察は私自身の考えの整理が若干不十分なまま書かせていただきました。研究のフェーズによってマネジメントすべき能力がどう変わるかについて考えることがありましたので、それを整理しておきたいという気持ちもあり、あえて書き残させていただいたものです。今後、さらに追加することや、考えが変わってしまうこともあるかもしれませんが、現在進行形の思いつきとして読んでいただければ幸いです。
参考リンク<2012.8.5追加>