「皇国の守護者」小説版。1~9巻感想。
皇国の守護者 Wikipedia
読んだので感想。漫画版の感想はこちら。
9巻で作者が飽きて終わったという噂を聞いてどんなもんかなと思っていたが、これはこれで一つの作品が完成しているといっても良いと思う。
それだけの満足度があった。
まず軍事的リアリティの話。
やはり架空戦記作家だけあって?戦略から戦術まで、素人には粗がまったく見えず、「プロの軍隊」、「本当の軍事」という印象を受けさせられる。
まあ実際問題どうなのかはよくわからないが、経済を発端として政治が動き戦争が起こり、兵站を重視した戦略があり、地形を多用したり陣地戦やらなんやらの戦術。中々並みの小説家には書けない。戦争を書く小説家は多いが本当にそれが書ける人間は何人いるのか。
多少ファンタジー風味が混ざった世界観ながら技術水準を近代初期とし、その中での技術的発展や新兵器(現代のわれわれからすると馴染み深いものも)について書かれるのも面白いところがある。
現実とリアリティは違う。リアリティのある作品とは読者に本当の事らしく思わせる作品という事だ。リアリズムはつまり説得力である。こういうような実力が支配するものを描写するのにリアリズムはほとんど必須である。
ファンタジーであろうともリアリズムは欲しいものなのだ。
そう、この作品はファンタジー要素とリアリズムを両立させているのだ。
ファンタジーと軍事戦略の融合。
基本的に近代初期の技術水準である訳で、フリントロック銃抱えた歩兵や騎兵が中心で、あと大砲とか扱う砲兵とかがいるわけだが、ここでサーベルタイガーを扱う剣虎兵などが混じっていたりする。
テレパシーのような能力の導術兵やドラゴンのような翼龍を使った監視、伝令、爆撃など様々なファンタジー要素が近代軍隊に取り込まれている。
ファンタジーといえば中世以前というのが相場で、最近は現代ファンタジーも多いが近代ファンタジーをというのは結構少ないかもしれない。
ファンタジーの要素があれば近代の、その近代的な雰囲気など台無しにしてしまいそうなものだが、ファンタジーのその比重がまた絶妙で、上手い具合に融合している。
思うに、軍隊に組み込まれたファンタジー要素が、物語世界の技術の時代の一歩先を行く、近代後半以降の技術と相似した物である(剣虎兵は別だが、まあサーベルタイガーはファンタジーかと言うと違う気もする)というのが世界観を構築する上での技なのだろう。
導術兵は無線やレーダー、翼龍は飛行機や飛行船との類似である。であればこそその運用にまで確りとしたリアリティを持たせることが出来たのだ。
ある意味で違う時代の技術の邂逅モノとも言えるかもしれない。新兵器の出現は戦略に影響を及ぼすか否か。
飛行船の発達はヒンデンブルグ号の事故により喪われた。歴史のifを描写する架空戦記として非常に相応しい技術である。
ともかく、ファンタジーの軍隊を書くのは非常に難しいところがある。
例えば指輪物語には幾らか戦争のシーンがあるが、あまり戦略という視点が無い。オークを兵隊とするのは別に人間と同じような機能を持つ生物だし何の新鮮味も無いし、象を使うのは昔あったし(もっとでかいけど)、幽霊の兵士だって援軍でしかない。古典ファンタジーの例の如く魔法の効果が、なんというか、たいした事ないというか、印象的でないのが理由か?魔法のアイテムは印象的なのだけれども、戦争でみんな魔法のアイテム見につけられるような軟派な世界観じゃないし。
ハリーポッターにも戦争らしきシーンも無くは無い。まあ戦争と言うよりも暴動とかそういうレベルだけれども、あんなバンバン色々魔法使えるのに工夫もなく決闘の巨大化版をしただけであった。まあいうなれば、ガンアクションものの戦いに相似していたか?もっと罠仕掛けたりとか囮作ったりとか無かったのであろうか。色々魔法あるだろうに、なんか一定時間滅茶苦茶幸運になる薬とかあっただろ?貴重品とはいえどうにかして用意して戦えば楽に勝てたじゃね?とはいえ、ドラえもんで何かしたけりゃもしもボックスかウソ800使えばいいじゃんというようないちゃもんである。私が言いたいのはそういう事ではなく、ハリーポッターのような作品はそういう方面を重視しているのではない、魔法世界のリアリズムを重視せずに伸び伸びと魔法のダイナミズムを描いているという事だ。
皇国の守護者は違う。徹底したリアリズムによる、ファンタジー世界における生きた政治と軍隊を描く。
言うまでもなくどちらが優れているという話では無い。リアリズムを描くためにはその世界観構築におけるファンタジー要素を厳しく制限せねばならない。事実、皇国の守護者におけるファンタジー要素は、主人公と言うよりも名脇役と言うべきだ。
架空戦記という枠内でのファンタジーの使用に関しては非常に賢明で、正解であると思う。運命を左右し天地を逆転させる魔術が及ぼす影響などを軍事的リアリティを持って動かせというのは、まあ不可能といってよい。やはり現実を模倣する事が現実らしさを表現するのに最適な方法と言う訳だ。
キャラクターの話。
中々キャラクターの魅力もある。
主人公の新城直衛の複雑な人間性はやはり小説が書ける類のもので、臆病小心で大胆残酷。
その他の人物も両性具有だったりと楽しいが、やはりキャラクターの心情描写が論理となって行動と結びつき、ストーリーを構築するのが面白い。
キャラクターの性格は、そのキャラを構築するだけでなくもちろんストーリーに関与しても良い。当たり前といえばそうだが、キャラクターとストーリーが分離したような作品も往々にして見かけるので。もっともそういう作品が常に駄作というわけではないが…
新城直衛の出世物語。
新城直衛は「五将家」と呼ばれる有力な貴族の家で育っているものの、相続権の無い養子のような育預と言う身分である。それが軍隊の中で成功や政治要因によって出世していき、伝記物の英雄のような存在になっていく。
英雄色を好むというが、美しい両性具有者や敵将の美貌の姫を愛人にし、30近く離れた幼女と(政治的な理由により)未来の婚約を予定される。
最終的に大軍を率いる身分になり兵隊達から崇め奉られる。
新城直衛としてはあまりいい気分ではないようだが、このサクセスストーリーは男のロマンのようなものを感じる。
やはり上に立つということは負担であるが、それでもやはりビッグになりたい。皇国のような固着した政権でというのも面白い。
実力により身分の差を乗り越える。まあ実際には駒城家の支援も多分にあるが、それがリアリズムと言うものなのだろう。
それでもカタルシスは感じる。
巻を経るごとの変化。
巻を経るごとにより、まあ戦況の変化も多分にあるだろうが、色々と描写も変わっていく。
特に私が面白いと思ったのは、主人公と対立するキャラクターであろうと、愚人であろうと欠点だけでなく長所も描くようになってきている点である。
そりゃあ中々全部駄目な人間もいない。全てが素晴らしい人間がいないのと同様に。
とはいえ、戦いで劇的な勝利を書くためにはどうしても相手方を愚か者にしないと上手くいかない。
そういうのが続くと、単純に相手馬鹿だな~で終わって、キャラクターの魅力が友軍敵軍どちらとも減少していくという事態に陥る。
その点を綺麗に処理したのが印象深い。政治や性格を理由に、愚かとも言い切れない行動をとり、中々上手く攻め込み戦果を出してくるが、主人公がそれを上回る。
最終的に、単なる愚物でも良いようなキャラさえ何らかの優れた才が透かし見えるような状況になった。
こういうのがキャラの魅力につながるのかとも思う。
「悪役」、「敵役」の尊重。
勧善懲悪のお話ではないという強烈な主張。
本当に強い敵に戦い勝つのは面白いが、強さの表現として知恵を使う戦いでは中々難しいはずである。どちら側も考えるのは作者であるからだ。頭がいい作家でないと書けない。
これを実現した作品は評価される。とはいえ、近代という技術時代設定は未来人的視点、発想、知識をもって描けるため非常に有利。こういう世界観設定にしたのはむしろ賢いというべきだろう。
その人が生きている時代の軍隊の行動を描けるならばむしろ軍隊に入るべきだという話。
中々要素の多い、賑やかな作品ではある。
ファンタジー的異世界観の創造は難しいものだが、作者が書きたいものを書ける様に良く工夫がなされ、上手くできている。
世界観の構築は重要である。一日の時間を26時間にしたり月を消したり桜の花弁を6方にするのは異世界観の創出のためである。
こと訂正が難しいのでこれは重要。
良く調べ、良く考え、良く組み合わせ、良く書く。
それら全てをこなした作品には何か小説として上級と言う感じもする。クオリティが高いとはそういうこと。
まあそんな事をしなくても、欠点だらけでも面白いものは面白いが、やはり出来ているものは素晴らしい。
この小説が面白いのは軍事的リアリティであると思う。
やはり軍事は争いの頂点。争いは生物の本能。それを描くは特別な意味を持つ。
なんとはいっても戦争は人間の文化の上で重大な位置を占めているというわけだ。
…新城の顔は漫画のほうがいいよね。誰得だよ小説版のあの顔。Wikipediaには描写にあってないとか言われるし。
読んだので感想。漫画版の感想はこちら。
9巻で作者が飽きて終わったという噂を聞いてどんなもんかなと思っていたが、これはこれで一つの作品が完成しているといっても良いと思う。
それだけの満足度があった。
まず軍事的リアリティの話。
やはり架空戦記作家だけあって?戦略から戦術まで、素人には粗がまったく見えず、「プロの軍隊」、「本当の軍事」という印象を受けさせられる。
まあ実際問題どうなのかはよくわからないが、経済を発端として政治が動き戦争が起こり、兵站を重視した戦略があり、地形を多用したり陣地戦やらなんやらの戦術。中々並みの小説家には書けない。戦争を書く小説家は多いが本当にそれが書ける人間は何人いるのか。
多少ファンタジー風味が混ざった世界観ながら技術水準を近代初期とし、その中での技術的発展や新兵器(現代のわれわれからすると馴染み深いものも)について書かれるのも面白いところがある。
現実とリアリティは違う。リアリティのある作品とは読者に本当の事らしく思わせる作品という事だ。リアリズムはつまり説得力である。こういうような実力が支配するものを描写するのにリアリズムはほとんど必須である。
ファンタジーであろうともリアリズムは欲しいものなのだ。
そう、この作品はファンタジー要素とリアリズムを両立させているのだ。
ファンタジーと軍事戦略の融合。
基本的に近代初期の技術水準である訳で、フリントロック銃抱えた歩兵や騎兵が中心で、あと大砲とか扱う砲兵とかがいるわけだが、ここでサーベルタイガーを扱う剣虎兵などが混じっていたりする。
テレパシーのような能力の導術兵やドラゴンのような翼龍を使った監視、伝令、爆撃など様々なファンタジー要素が近代軍隊に取り込まれている。
ファンタジーといえば中世以前というのが相場で、最近は現代ファンタジーも多いが近代ファンタジーをというのは結構少ないかもしれない。
ファンタジーの要素があれば近代の、その近代的な雰囲気など台無しにしてしまいそうなものだが、ファンタジーのその比重がまた絶妙で、上手い具合に融合している。
思うに、軍隊に組み込まれたファンタジー要素が、物語世界の技術の時代の一歩先を行く、近代後半以降の技術と相似した物である(剣虎兵は別だが、まあサーベルタイガーはファンタジーかと言うと違う気もする)というのが世界観を構築する上での技なのだろう。
導術兵は無線やレーダー、翼龍は飛行機や飛行船との類似である。であればこそその運用にまで確りとしたリアリティを持たせることが出来たのだ。
ある意味で違う時代の技術の邂逅モノとも言えるかもしれない。新兵器の出現は戦略に影響を及ぼすか否か。
飛行船の発達はヒンデンブルグ号の事故により喪われた。歴史のifを描写する架空戦記として非常に相応しい技術である。
ともかく、ファンタジーの軍隊を書くのは非常に難しいところがある。
例えば指輪物語には幾らか戦争のシーンがあるが、あまり戦略という視点が無い。オークを兵隊とするのは別に人間と同じような機能を持つ生物だし何の新鮮味も無いし、象を使うのは昔あったし(もっとでかいけど)、幽霊の兵士だって援軍でしかない。古典ファンタジーの例の如く魔法の効果が、なんというか、たいした事ないというか、印象的でないのが理由か?魔法のアイテムは印象的なのだけれども、戦争でみんな魔法のアイテム見につけられるような軟派な世界観じゃないし。
ハリーポッターにも戦争らしきシーンも無くは無い。まあ戦争と言うよりも暴動とかそういうレベルだけれども、あんなバンバン色々魔法使えるのに工夫もなく決闘の巨大化版をしただけであった。まあいうなれば、ガンアクションものの戦いに相似していたか?もっと罠仕掛けたりとか囮作ったりとか無かったのであろうか。色々魔法あるだろうに、なんか一定時間滅茶苦茶幸運になる薬とかあっただろ?貴重品とはいえどうにかして用意して戦えば楽に勝てたじゃね?とはいえ、ドラえもんで何かしたけりゃもしもボックスかウソ800使えばいいじゃんというようないちゃもんである。私が言いたいのはそういう事ではなく、ハリーポッターのような作品はそういう方面を重視しているのではない、魔法世界のリアリズムを重視せずに伸び伸びと魔法のダイナミズムを描いているという事だ。
皇国の守護者は違う。徹底したリアリズムによる、ファンタジー世界における生きた政治と軍隊を描く。
言うまでもなくどちらが優れているという話では無い。リアリズムを描くためにはその世界観構築におけるファンタジー要素を厳しく制限せねばならない。事実、皇国の守護者におけるファンタジー要素は、主人公と言うよりも名脇役と言うべきだ。
架空戦記という枠内でのファンタジーの使用に関しては非常に賢明で、正解であると思う。運命を左右し天地を逆転させる魔術が及ぼす影響などを軍事的リアリティを持って動かせというのは、まあ不可能といってよい。やはり現実を模倣する事が現実らしさを表現するのに最適な方法と言う訳だ。
キャラクターの話。
中々キャラクターの魅力もある。
主人公の新城直衛の複雑な人間性はやはり小説が書ける類のもので、臆病小心で大胆残酷。
その他の人物も両性具有だったりと楽しいが、やはりキャラクターの心情描写が論理となって行動と結びつき、ストーリーを構築するのが面白い。
キャラクターの性格は、そのキャラを構築するだけでなくもちろんストーリーに関与しても良い。当たり前といえばそうだが、キャラクターとストーリーが分離したような作品も往々にして見かけるので。もっともそういう作品が常に駄作というわけではないが…
新城直衛の出世物語。
新城直衛は「五将家」と呼ばれる有力な貴族の家で育っているものの、相続権の無い養子のような育預と言う身分である。それが軍隊の中で成功や政治要因によって出世していき、伝記物の英雄のような存在になっていく。
英雄色を好むというが、美しい両性具有者や敵将の美貌の姫を愛人にし、30近く離れた幼女と(政治的な理由により)未来の婚約を予定される。
最終的に大軍を率いる身分になり兵隊達から崇め奉られる。
新城直衛としてはあまりいい気分ではないようだが、このサクセスストーリーは男のロマンのようなものを感じる。
やはり上に立つということは負担であるが、それでもやはりビッグになりたい。皇国のような固着した政権でというのも面白い。
実力により身分の差を乗り越える。まあ実際には駒城家の支援も多分にあるが、それがリアリズムと言うものなのだろう。
それでもカタルシスは感じる。
巻を経るごとの変化。
巻を経るごとにより、まあ戦況の変化も多分にあるだろうが、色々と描写も変わっていく。
特に私が面白いと思ったのは、主人公と対立するキャラクターであろうと、愚人であろうと欠点だけでなく長所も描くようになってきている点である。
そりゃあ中々全部駄目な人間もいない。全てが素晴らしい人間がいないのと同様に。
とはいえ、戦いで劇的な勝利を書くためにはどうしても相手方を愚か者にしないと上手くいかない。
そういうのが続くと、単純に相手馬鹿だな~で終わって、キャラクターの魅力が友軍敵軍どちらとも減少していくという事態に陥る。
その点を綺麗に処理したのが印象深い。政治や性格を理由に、愚かとも言い切れない行動をとり、中々上手く攻め込み戦果を出してくるが、主人公がそれを上回る。
最終的に、単なる愚物でも良いようなキャラさえ何らかの優れた才が透かし見えるような状況になった。
こういうのがキャラの魅力につながるのかとも思う。
「悪役」、「敵役」の尊重。
勧善懲悪のお話ではないという強烈な主張。
本当に強い敵に戦い勝つのは面白いが、強さの表現として知恵を使う戦いでは中々難しいはずである。どちら側も考えるのは作者であるからだ。頭がいい作家でないと書けない。
これを実現した作品は評価される。とはいえ、近代という技術時代設定は未来人的視点、発想、知識をもって描けるため非常に有利。こういう世界観設定にしたのはむしろ賢いというべきだろう。
その人が生きている時代の軍隊の行動を描けるならばむしろ軍隊に入るべきだという話。
中々要素の多い、賑やかな作品ではある。
ファンタジー的異世界観の創造は難しいものだが、作者が書きたいものを書ける様に良く工夫がなされ、上手くできている。
世界観の構築は重要である。一日の時間を26時間にしたり月を消したり桜の花弁を6方にするのは異世界観の創出のためである。
こと訂正が難しいのでこれは重要。
良く調べ、良く考え、良く組み合わせ、良く書く。
それら全てをこなした作品には何か小説として上級と言う感じもする。クオリティが高いとはそういうこと。
まあそんな事をしなくても、欠点だらけでも面白いものは面白いが、やはり出来ているものは素晴らしい。
この小説が面白いのは軍事的リアリティであると思う。
やはり軍事は争いの頂点。争いは生物の本能。それを描くは特別な意味を持つ。
なんとはいっても戦争は人間の文化の上で重大な位置を占めているというわけだ。
…新城の顔は漫画のほうがいいよね。誰得だよ小説版のあの顔。Wikipediaには描写にあってないとか言われるし。