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皇族方に太田米を
有志の会、献上米復活へ
那智勝浦町


 那智勝浦町の太田地区では昭和20年に収穫米を皇室に献上し、献上米を栽培した水田が当時のまま残っていることから、同町在住の3人が「皇族方に、おいしい太田米を食べていただきたい」と献上の再開を目指して、活動を開始した。

 3人は太田の村上和弥さん、築地の鈴木努さん、天満の田中植さん。田んぼは太田地区長井にあり、今も村上さんが耕作する。面積は約1.5e。16日に集合して今後の予定を話し合い、グループ名を「献穀田(献上米)を復活する有志の会」として代表に村上さんを選び、賛同者を募ることや、宮内庁には、企画趣意書と資料を送って献穀米の奉納検討を要望するとし、その内容を検討した。

 活動の目的は太田地区の復活と活性化。話し合いの中では「太田区が台風12号で打ちのめされていることや、力を出そうとしていることも理解してもらいたい」「復興機運を太田米の献上で盛り上げたい」の意見があり、「秋篠宮文仁親王妃紀子様の父上が古座出身(現串本町)と聞く。田植え神事に紀子様にご出席賜れば弾みがつく」の希望もあった。

 村上さんが発見した20年当時の文書によると、6月11日に田植え実習を開始したことや同月17日に県知事の視察を受けて女子生徒32人による田植祭が催されたと記されている。当時は終戦を2カ月後に控えた第二次大戦の末期。文書には空襲警報が出され「戦争ますます苛烈となる」(現代文に表記変更)の記載もあり、「この時期に知事が太田まで来るとは」と3人を驚かせた。

 太田地区の米は、清らかな水と気候からか「おいしい」と高い評判を得ている。しかし高齢化で就農人口の減少が続いているため、会では、毎年太田米を皇室に献上することで、新たな就農人口の増にも期待している。



太田米の献上を話し合う(左から)田中植、鈴木努、村上和弥の皆さん=16日、那智勝浦町の万清楼


那智勝浦町太田地区の長井にある献穀田


昭和20年5月8日に献穀田で執り行われた播種(はしゅ)式=「献穀田(献上米)を復活する有志の会」提供
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