↑
クリック
以下は、ある会からの
引用(ぎりぎり?)
文中にあるように
「無茶した」
とか
「すぐ抵抗を止めなかった」
からとか
現代の価値観で批判ばかりしていては
前には進まない。
【なぜそうしなければならなかったか?】
を考えることこそ歴史に学ぶということである。
反戦主義者の多くは
己の経験にしか学んでいないのだ。
ひいては戦争を起こさない為に
どうすれば良いかが見えてくるのだ。
それを肝に銘じる必要がある。
沖縄戦を考えると、
全く無茶な戦争をしたと
つくづく思います。
1945年5月上旬に沖縄の
日本軍は最後の大規模
攻撃を行ったが、結局成果はなく
鉄の暴風雨と
言われる米軍には歯が立ちません。
丁度その頃にドイツは連合国に降伏し、最後は
日本だけが戦っていました。
勝ち馬に乗ると言う発想?で
中南米、ヨーロッパ、中近東の国も最終的に宣戦し、
日本は50ケ国と戦争状態になっております。
それはそれでしかたないこと。
闘うことを日本だけができたのだから。
6月8日に鈴木貫太郎首相は
開戦3年6ヶ月開戦記念日に国会で演説、
戦争目的を
「国体護持、本土防衛」
としましたが、
開戦当初は
「自存自衛、東亜新秩序の建設」
だった。
「國體護持 本土防衛」
と
「自存自衛」というのは
「國體護持,本土防衛」
と変わらない。
付け加えられたのは
「東亜(アジア)新秩序」
である。
当時のアジアは植民地、
「凜として愛」というDVDにもあるが
日本がそのリーダー足らんとしただけである。
「アジアの新秩序建設」
このことからも、あの戦争が
決して侵略戦争ではなかったと言えるではないか。
6月10日
沖縄の米軍現地司令官バックナー中将は
牛島司令官に降伏勧告。
「これ以上の戦闘は犠牲ばかりを増やし、
将来ある青年をこれ以上死亡させる、
その責任は重大です。
沖縄戦は結局本土のための捨石作戦だから、
もう無駄な抵抗を止めてはいかがですか。
司令官の賢明な判断を期待します。
日本側はこれを拒否、
そのあくる日にも中将は降伏勧告を発している。
その7日後牛島中将は戦死しました。
現地司令官が戦死するとは珍しい。
この数日後に
日本側の海軍責任者 大田提督が
「沖縄県民かく戦えり。後世格段の御配慮を」
と言う有名な電報を海軍次官あてに打って、
その後に自決しました。
6月22日に牛島司令官、長 参謀長が自決し、
これで沖縄のトップ三人が亡くなりました。
ゲリラ化した日本軍?は
その後単発的戦闘し、
食料がないので、
民家の食料を略奪し、
沖縄県民が米軍に
早く山の中の日本軍掃討作戦を
お願いした
本当か?伝聞、推測じゃん。
沖縄戦を悲劇にした一端は
大部分の沖縄の日本軍も
沖縄住民も玉音放送を
聞けなかったこと。
ゲリラ化した日本軍は抵抗を続け
8月27日に米軍は
最後の投降勧告ビラを撒き、
9月7日に宮古島、西表島など
多くの島嶼の司令官が応じ、
沖縄本島で降伏文書に署名した。
宮古島は米軍の占領を受けておらず、
英国の艦砲射撃だった。
なので、玉音放送を聞けた。
沖縄住民は電源がないので、玉音放送を聞けず
15日の昼になって、米軍兵士がが大喜びをしていたので
戦争終結らしいことを感じた。
戦後初代の知事になった
志喜屋氏は秘書と一緒にこの日に米軍ジープに乗せられ
米軍キャンプに行き玉音放送の英語放送を
聞かされたが、狐につままれたような顔を
していた。
〈引用=ここまで)
何かおかしい。
沖縄対策本部によると
「そういうことは無かった」
というのだが。
by 河童工房【’◇’】
今回はシバキ隊。写真みてちょ…