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ましたから、
他人事とは思えない
気持ちです。
要するに
「シナに呑み込まれた勘違い人間です」
ってことだな。
シナ大陸に行けば
広大さに圧倒されるだろうなぁ。
テレビなどでみる故宮、
天安門前広場の広大さ。
「明成皇后」
のなかで、
朝鮮王、高宗(コジョン)の実父
大院君(フンソン・テウォングン)
=李 是正(イ・ハウン)が
京福宮を作るとき
清国の首都を訪れた外国人の話として
「一つ目の門をくぐり暫くいくと
馬を下馬するように言われた。
徒歩で暫く歩くと門が・・・」
「都合12もの門をくぐり終えたとき、
やっと宮城が見えてきた。」
「この国を攻めるのは容易ならん。」
「小さな国である朝鮮も
そう思わせたい。」
と言うセリフがある。
「要するに規模がでかい。」
シナは訪れるものを
呑み込んでしまうのである
今の外務省にも
と呼ばれるものがあるが
シナ大陸には訪れるものを
シナ人と勘違いさせる
何かがある。
〇〇さんから、
「この国の人権に関するお尋ね」
がありましたが、
これは私も心を痛めている
問題です。
難しい事は良く知りませんが、
じゃ喋るなよw
総てを知らぬのなら、
「何かを知っている。」
ということにはならない。
3年間を住んでいたのは
満州の奉天(今の瀋陽)で、
歩くことの好きな
20歳は近郊の野山や農村
彼らの生活を割合よく見てきた方ですが、
民度が低いというのか、それはそれは
貧しくて、豚や家畜同然の暮らしでした。
戦後も農村部の開発が遅れ、
沿岸都市との格差が酷いと聞きますが、
それでも当時に比べれば別世界の感、
この成功は偏に現体制の功績であり
評価すべきだと思います。
そのお金を出したのは
日本なんだけど?
そして瀋陽といえば旧満州国。
満州国に投資したのは
どこの国でしたか?
開拓したのはどこの国ですか?
だから関東軍が
ソ連侵攻で総崩れに
なったとき、
日本人孤児を
中国人として
育ててくれたんだろ?
「我々には満洲(の工業)がある」
といった。
それほど豊かだった。
いまはそれも食いつぶして
外洋にでるしかなくなった。
それで海軍増強してるのが
実情。
今のシナがあるのは
日本のおかげw。
先ず14億に食わせることが第一で、
あの~
当時、14億人いましたか?
今でもちょうど日本の
の10倍なんですけど
そのためには1党独裁の強い政府が
必要となり、民意、人権は制限されたのが
計画経済の目覚ましい発展の反面、
反政府、国家転覆を怖れるあまりの
人権抑圧であったのだと思います。
あの国はそうでもしないとまとまらない。
元々ばらばらな国を力でねじふせて
きたから。
本来は中華人民連邦共和国
と言うような政体が一番いいのだろうけど。
↓の文についてはまあその通りだろうね。
建国当初は二兎を追えなかった、
その結果の悲劇的な例が
“百花斉放、百家争鳴”
を唱えた胡耀邦総書記の死を巡り、
民主化、人権開放を志向する
革新派の趙紫陽と
それを支持する学生たち、
一方その勢いを阻止したい
保守派の李鵬、鄧小平らの
激しい争いがありました。
中国のその後を決める
大きな岐路であったのです。
“白い猫も黒い猫も鼠を捕る猫は良い猫”
とまっしぐらに
資本主義経済を目指したのが鄧小平で、
人権開放は抑え込まれてしまったのだと
思います。
保守派は人民解放軍を動員して
若い学生たちを蹂躙しました。
裁判にもかけずに
問答無用とばかりに発砲し、戦車や
装甲車で引き殺したのです。
そのとき私は阪大の留学生であった
w君の里親をしていましたが、
この山東省出身の秀才は帰国できず、
亡命致しました。
前途有為の若者たちは
よく拙宅へ集まり、北京の同志と
連絡を取り合っていましたが、
いずれも祖国を見限って
各国へ去って行きました。
多くの人材を失ったのですが、
かっては孫文もそのような人でした。
私が最初に戦後
中国を訪れたのは
1975年6月で、
以後も度々訪れましたが、
私は1989年6月4日の
判官びいきも手伝ってか
貧しいながらも毅然として
大人(たいじん)の矜持を失わなかった
人々を懐かしく思い出します。
残念な事に近頃は、何でもカネ儲けに走る
賢い人が多くなりました。
この国は民主主義国家のように
三権が分立せず、司法、検察、公安、
情報、警察などの権限は
「政法委員会」
が一手に握っているのです。
中国のナンバー2か3の周 永康委員長が
社会安定維持を支配していて、
人民解放軍に次ぐ権力者です。
盲目の人権活動家がいくら叫んだところで、
跡形もなくこのシステムが
消却する仕組です。
“国民はすべての
“思想及び良心の自由は
これを侵してはならない”
など、我々は有難い事に
このように憲法で保証されていますが、
そうでもないと
政府の悪口ばかりを言う私のような
不心得者は
無事ではおられないことでしょう。
中国の人権抑制は
そのうち彼ら自らの手で是正され、
いくら
“百花斉放、百家争鳴”
したところで陳 光誠氏のように
迫害されろことはなくなるでしょう。
それに私は多数派の漢族よりも
少数民族に配慮された
数々の優遇政策を知っています。
抑圧する前に気を配っている事例です。
抑圧しちゃそれは
「配慮」
じゃないしょ。
それにこれらの事はは
彼ら自身が正すことであって、
他からごちゃごちゃ
口を挟まない事が望ましいと思います。
普段、命を守れ
(この前のブログ記事)
と言う御仁がこうだもの。
それまで待ってちゃ
滅亡しますが?
まぁ┐(゜~゜)┌だね。
「漢族が多数派」
(≧∇≦)/ ハハハ
とっくの昔に
滅亡していますが?
今の漢族と呼称されている
民族は殆どが北方騎馬民族
の鮮卑や満洲族の子孫。
元などはモンゴル族だし
王朝が交代するたびに
人口が激減している。
主張が誤りであることは
歴史が証明しています。
なにもしらないねぇ。
総てを知らぬのなら、
「何かを知っている。」
ということにはならない。
これら政府の配慮にも拘わらず、
新疆省ウイグル地区の抑圧です。
この原因の一つは宗教問題とそれに基づく
価値観、人生観の違いであって、
この違和が無用のトラブルを
生んでいるものと思われます。
特に対イスラムはキリスト教、
ヒンズー教、仏教、儒教のいずれの国でも
ぎくしゃくしていて、
人権問題というより宗教による
「民族自決」の問題ではなかろうか?
私は早晩
平和裡に行われる民族独立
に準じた自治区誕生が
望ましいと思います。
それができれば
とうの昔にされてるって。
宗教観の違いねぇ(笑)
もっともらしく聞こえる。
だけど。
言語も文化も全く違うんだぞ。
独立国としてやってきたんだぞ。
シナが手放さないのは
石油とかの資源があるから。
立派な侵略をいいかえるな。
近代への落差が甚だしく、
その後進性を埋めるのは
ウイグルも立派な独立国・・・・
・・・・・でした。
解放軍が侵入するまでは・・・。
侵略されてからおきた虐殺は
公然の秘密。
では・・・(^^;)v
by 河童工房【’◇’】
今回はシバキ隊。写真みてちょ…