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 審査会から一週間ほどたったある日――

 私は審査の結果が知りたくて矢も楯もたまらず、発表当日が待ちきれずに本部へ電話をいれた。

 すると、事務の人がいともあっさり、

「鈴木さんは初段になりました」
 
 と教えてくれた。私は一瞬、わが耳をうたがった。

「そうですか――」

 といったきり次の言葉が出ず、そのまま受話器を置いた。家まで走って帰った。部屋に入るなり嬉しさが込み上げてきて、

「オレはやった、とうとうやったぞ、黒帯になったんだ!」

 と大声で叫びながら、部屋中を跳ねまわった。そして仏壇の父の遺影に向かって、

「とうとうやったぜ、黒帯になったんだよ――」

 と報告した。そのあいだ涙がどうしてもとまらなかった。

「極真会館の黒帯になるのは二百人に一人で、それも最低三年はかかる」

 と、よく館長がおっしゃっていたので、まさかこんなに早く、入門して二年たらずで初段になれるとは思ってもみなかった。強さではなく、まじめに練習したことが認められての黒帯であったろう、と私は思っている。

 この昇段審査で一緒に黒帯になった仲間に、山崎や及川などがいた。山崎はその頃から天才的な強さで群を抜いており、私など到底歯がたたなかった。

 黒帯をしめて初めて道場に立ったときは、とにかく照れくさかった。と同時に、帯の重みがヒシヒシと感じられた。人の上に立つということは、すなわち追われる立場になる事で、下の者の倍の練習をつまなければだめだと思った。勝負の世界は厳しいもので、先輩後輩の区別がはっきりしていても、ひとたび下の者との勝負に負ければ、表面では先輩とたてられても、内心では、あの先輩はたいしたことないな、ということになる。だから、黒帯になった以上は、絶対にみっともない負け方はできない、と思った。

 初段になると黒帯研究会への参加が許され、館長じきじきのご指導をあおぐことができる。この通称〈帯研)の稽古は言語に絶する厳しさだが、私のからだはこの苛酷な荒稽古にもついてゆけるようになっていた。

 さて、昭和四十五年十月、館長の長い間の夢であった第一回オープントーナメント全日本空手道選手権大会が東京都体育館で開催され、仲間の山崎が晴れの栄誉に輝いた。そして翌年の第二回大会は、私の後輩である長谷川が優勝をさらった。

 これに刺激されたわけではないが、私も、一度大会に出場してみたいと思うようになった。たとえ一回戦で負けてもいいから、あの大観衆の前で力の限りたたかってみたい、と思った。

 四十七年の八月になって第三回大会の申込受付が開始されたが、私はすぐに申し込んだわけではなかった。出場したい気持はやまやまだったが、館長が、その からだでは無理だとおっしゃるのではないかと心配で、申込みを躊躇していたのである。なにぶんにもこの大会は、空手他流派は勿論、プロボクサー、キックボクサー、プロレスラーの参加も許される建前であり、寸止めルールではなく、ノックアウトで勝負がつくというあらっぽいものである。出場申込書に添えて、死 んでも異存はないという誓約書を提出する規則になっているほどで、私などはとても出場できないと思っていた。

 ところがある日、帯研の稽古のときに、

「鈴木、おまえは足がよく上がるから、一度大会に出てみなさい。ひょっとすると、いいところまでいくかもしれない」

 と、館長がおっしゃって下さった。私は天にも昇るおもいで出場申込書を書き、そしてさっそくその翌日から、第三回大会めざして自主トレを開始したのである。

 話はそれるが、それからまもなく、この大会の前景気を盛り上げるための大演武会が東京晴海で行なわれることになり、私たちは大山泰彦先輩の指導でそのための練習を始めた。
 演武の一つに、肩車した人間の持つカワラを二段蹴りで割るのがあるが、これをやれる人間がいなかった。二メートル二、三〇の高さになるだろうか、ためしに私が何気なく蹴ってみたところ、わりあい楽に蹴ることができた。まわりの者は驚いていたが、いちばん驚いたのはこの私自身だった。高校時代には走り高跳びで一メートルのバーも跳びこせなかった自分が、こんな高さまで跳べるようになっていたとは信じがたかった。

 それ以来、この二段蹴り演武が私の売りものとなった。一メートル五五の人間が、二メートル三〇の高さのカワラを割ることが驚きなのであろう、この演武はどこでも大変な好評を博したものである。

 さて、大会前夜はさすがに寝つかれぬ夜を過ごし、いよいよ十月二十六日――第三回大会当日を迎えた。父の仏前に線香をあげ、母が用意してくれた道着を持って家を出た。道着には御守が一つ縫いつけてあった。

 この一週間前、私は友達と一緒に江の島海岸へ最後の練習に出かけた。浜辺で練習していると、子供をつれたお婆さんが通りかかり、何をしているのかとたずねられた。空手の大会に備えてのトレーニングだと答えたところ、それではケガをしないように、といって御守をくれた。それを道着に縫いつけて、私は晴れの大会にのぞんだわけである。

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筆者の十八番となった二段蹴りカワラ割り----イラン皇太子歓迎演武会で

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次に自分と対戦する選手の闘いぶりに注目する筆者


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