金属活字の起源?

西暦1000年代の前半、北宋の神宗皇帝に仕えた(つまり王安石と同時代の)沈括(しんかつ)という官僚が書いた『夢渓筆談(むけいひつだん)』という随筆があります。当時の自然科学に関する記述が多いのですが、この中に、畢昇(ひっしょう)という学者が、粘土(膠泥 こうでい)を使って活字を作った、という記事があります。

 

木の一枚板に文章を裏表逆に彫りこんで紙に刷る木版印刷というのは唐代からあります。しかし文字を一つ一つバラして活字として掘り込み、文章を組むという活版印刷の記録としては、これが世界最古のものです。ただし、畢昇が発明したという活字の現物も、印刷物も残っていません。その後、銅活字、木活字が作られ、14世紀の元朝末には王禎(おうてい)という人が木の活字3万個(!)を作りましたが、これも普及していません。

 

漢字は数が多すぎて、数千、数万の活字の中から必要な文字を拾い出すだけでもたいへんな作業です(漢和辞典を引く時のめんどくささ!)。だったら、一枚の板に彫りこんでしまう木版のほうが早いのです。

 

私はいま、漢字カナ交じり文をパソコンのキーボードで打ち込んでいます。キーボードに並んでいるのは漢字ではなく、アルファベットです。「k a n j i」と打ち込んで変換キーを押すと、パソコンの人工知能が「漢字」と表示するのです。中国人がワープロを打つ時も、ピンインという中国語のローマ字で「h a n z i」と打ち込み、「漢字」と変換しているのです。

 

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   現代の活字(Wikipedia

 

アルファベットは26文字なので、キーボードの位置を簡単に覚えることができるのです。活版を組むのも同じ原理ですから、グーテンベルクの活版印刷(1440年代に発明)が大ヒットして、のちの宗教改革に影響を与えたのは、西洋の文字が活版印刷に向いていたからです。

 

ワープロが普及する前、和文タイプライターという機械がありましたが、膨大な漢字の表の中から必要な文字を拾わなければならないという、職人技を要求する機械でした。

 

このように、漢字というのは、活版印刷に向かないのです。ですから、東アジア文化圏では、長く木版が主流だったのです。ところが、なぜか朝鮮半島では活版印刷が盛んだったというのです。

 

1230年代、モンゴルの侵攻を避けて江華島に遷都した高麗王朝が、『詳定礼文(しょうていれいぶん)』という書物を金属活字で28部印刷したという記録があります。これが、金属活字の最古の記録です。しかし活字の現物も、印刷されたものも残っていません。おそらく、モンゴル軍に焼かれたのでしょう。

 

1377年、高麗末期の『直指身体要節(ちょくししんたいようせつ)』という坐禅の解説書が、現存する活字本としては世界最古のものです。ご覧のとおり、すべて漢文ですね。

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   高麗末期の『直指身体要節(ちょくししんたいようせつ)』(Wikipedia

 

1403年、朝鮮(李朝)の初代・李成桂が、国家事業として銅活字を鋳造。これを癸未(きみ)活字といいます。おそらく、高麗の宮廷で受け継がれていた技術を、継承したのでしょう。

 

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   李朝初期、癸未(きみ)活字の『周礼(しゅらい)』(国立国会図書館)

 

1420年代、3代太宗のときが活版印刷のピークで、庚子(こうし)活字、甲寅(こういん)活字が鋳造されます。科挙のテキストや仏教書が出版され、いずれもオール漢文です。この甲寅活字が朝鮮活字の最高峰といわれます。次の4代世宗が訓民正音(ハングル)を制定しますが、漢字を「正しい字」とするヤンバン(官僚)層がハングルを排斥したため、ハングル活字は作られませんでした(注)。このあたりのことが、今年(2010)の東大第2問で出題されました。

 

「15世紀前半の朝鮮で行われた文化事業について60字で説明せよ」

 

()最初のハングル活字を鋳造したのは日本人。金玉均ら開化派官僚を支援した福沢諭吉の弟子で、実業家の井上角五郎(かくごろう)。井上はこれを使い、ソウルで『漢城周報』という新聞を発行した(1886)。最初の漢字・ハングル交じり文の新聞だった。

 

1500年代末、豊臣秀吉軍の朝鮮出兵のとき、秀吉軍が戦利品として甲寅活字を日本へ持ち帰り、日本初の活版印刷が行われます。徳川家康は、甲寅活字を参考に日本独自の銅活字を鋳造し、出版を行っています。これを駿河版と言います。

 

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   駿河版の銅活字(IPA 教育用画像素材集サイト

 

しかし、漢字カナ交じり文を使う日本では、木版のほうが便利なので、活字は廃れていきました。中国明朝でも活字は完全に廃れ、木版が主流になります。なぜ、朝鮮でだけ活版印刷が続いたのか、私には合理的な説明ができません。朝鮮の民衆はそもそも漢文を読めないので、活版印刷の恩恵を受けるのは両班だけです。しかし両班は漢文しか読まないので、木版のほうが便利なはず。青本の解説を書いていて、この部分がどうしても説明がつかなかったので、うまくごまかしました(笑)。

 

どなたか詳しい方、ご教示ください。

 

 

さて、韓国の新聞に、面白い記事がのっていました。

 

金属活字で印刷された文献で現存するものとしては世界最古の「直指心体要節」(1377年)より少なくとも138年古いとの説がある金属活字の実物2日午前、ソウル市鍾路区の多宝星古美術展示館で公開された。しかし、展示の主催者側は12点の金属活字に対して指摘された疑問点を明確には説明できず、「今後積極的に学界による検証過程を踏みたい」との発言を繰り返すにとどまった。

 

おっ、ついに活字本体が見つかったか!

 

この日、公開された金属活字が13世紀に作られたものと主張する南権煕(ナム・グォンヒ)慶北大教授(書誌学)は、高麗高宗26年(1239年)に刊行された木版本「南明泉和尚頌証道歌」(宝物第758号)の活字(字体 の間違い)と比較して、書体や文字の大きさが同じ点を主な根拠として挙げた。特に「明」という漢字は、現在は使われない古い字体で、書体と筆画のはねの部分などが木版本と一致していると説明した。

 

何だって? 13世紀の木版本と「字体が似てるから」、その活字も13世紀だって? 後世の活字製作者が13世紀の字体を真似した可能性は無視するのか?

 

しかし、韓国文化遺産研究院のパク・サングク院長は、「金属活字を手本に版木を彫ったとしても、木版本は刻工の手で歪曲(わいきょく)されやすく、木版本を比較対象にしたのは問題だ。活字を紙に印刷せずに比較するのは無理がある」と反論した。

 

金属活字の大きさは縦11.3センチ、横1.21.5センチ、厚さ0.10.7センチで、重さは4.34.9グラム。非破壊検査の結果、成分は銅4080%、すず2538%、鉛2232%と判明した。南教授は「銅の含有量は大体が4050%だったが、これは国立中央博物館が所蔵する高麗時代の「福」という活字とほぼ同じ数値だ」と主張した。

 

厚さ0.1-0.7って薄すぎ。わざわざ木製の柄を付けたってことか?

 

金属活字の製作時期を科学的に証明する方法はほとんどない。同展示会に出席した韓国伝統文化学校のイ・オヒ碩座教授は、「金属は炭素年代の測定が不可能だが、活字に残された墨から炭素年代を測定できる可能性はある」と述べた。しかし、墨の量は少量で、金属活字の表面を傷つける恐れもあるため、こうした調査は困難な見通しだ。

 

一方、金属活字の入手経緯も依然として不透明だ。南教授は、「日帝による植民地統治期に(現在北朝鮮領の)開城で出土したもの」と説明したが、その証拠については言及しなかった。

 

入手経路不明…ですか、ナム教授!

 

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ソウル市の多宝星古美術展示館で2日、南権煕教授が「13世紀に作られたもの」と主張する金属活字について説明している。/写真=蔡承雨(チェ・スンウ)記者許允僖(ホ・ユンヒ)記者

2010/09/03 11:46:14朝鮮日報日本語版)

 

で、これがその12点の「金属活字」だそうですが…

 

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  明         

  善         

  我   福   不   予

 

念のため言っておきますが、活字というのはハンコと同じで左右を逆に掘るのです。12個のうち、明・善・我・福・不・予の6字は左右逆になっています(これが正しい)が、所・平・於・方・菩・法の6字は、左右逆になっていません。

 

ナム教授! これはどういうことですか?

 

韓国は1970年代に漢字教育をやめてしまったため、現代韓国人はハングルしか読めません。しかし書誌学の教授であるあなたが、漢字読めないってことは、まさかないですよね。あったりして…

 

で、今度は中国のメディアがこのニュースに噛みついています。

 

韓国・慶北大学の南権熙教授が1日、ソウル・仁寺洞の多宝星美術館が所蔵する金属活字を分析した結果、12点が世界最古の金属活字であると確認したと発表した。

 

活版印刷は中国四大発明の一つとされ、中国もその起源を自負しているが、韓国で「世界最古」の金属活字が発見され、韓国メディアも「世界の印刷術の歴史が書き換えられるだろう」と報じたことで、中国国内では有識者をはじめとする人びとが反論している。

 

中国新聞社によれば、北京大学の王岳川教授は、「韓国で発見された金属活字は、鉄を版に用いた活版印刷で、わが国から伝わったものだ」とし、韓国側の主張に真っ向から反論した。

 

韓国の聯合通信によれば、慶北大学の南権熙教授は13世紀初頭に作られたと見られる金属活字を発見、これまでに世界最古とされていた「直指心体要節」よりも138年以上も古いと主張。さらに、同教授は、「発見が認められれば、世界の印刷術の歴史は書き換えられるだろう」と述べた。

 

一方、中国メディアは「韓国側が主張するように、今回の発見は印刷術の歴史を変えるものだろうか?」とし、北京大学の王岳川教授の話として、「活版印刷は中国が起源であり、中国人が11世紀に発明したものだ。はじめは泥活版、次に木活版、銅活版が順に発明され、その後に発明されたのが、韓国で今回発見された鉄の活版だ」と主張した。

 

続けて、王岳川教授は、「一歩譲って、金属活字が韓国で発明されたものだとしても、印刷術の歴史は変わらない」と主張、印刷術の起源は中国にあり、金属を用いた方法は印刷術の発展の一段階に過ぎないとの見解を示した。(2010/09/03() 11:46  サーチナ)

 

あの〜鉄の活版って、何ですか? ナム教授が「見つけた」のは銅活字でしょ。もう、わけがわかりません。

 

実は、中韓「歴史の起源論争」は今回の活字だけにとどまらず、

 

「端午(たんご)の節句=こどもの日の起源は韓国にある」

綱引きの起源は韓国にある

漢字の起源は韓国にある

孫悟空は韓国のサルだった

「儒学の起源は韓国にある」

「孔子は韓国人だった」

明の朱元璋は韓国人だった

清朝の皇室は韓国人だった

 

…と留まるところを知らない韓国の「我が国(ウリナラ)起源」ばなしに、中国人はうんざりしているのが実態。なぜ、韓国人は世界のあらゆる文化が韓国起源だと言いたがるのか。それは朝鮮史の授業でお話しした通り、明朝の滅亡後、朝鮮(韓国)だけが唯一の文明国(中華)であるという「小中華思想」が脈々と生きているからです。これを「本家中華」からみると、「生意気だ!」となる。

 

ちなみに、

「武士道の起源は韓国にある」

「茶道の起源は韓国にある」

「ひらがなの起源は韓国にある」

「桜の起源は韓国にある」

「マンガの起源は韓国にある」

 

…と日本文化の神髄もすべて韓国起源だそうですが、日本人は苦笑するだけであまり怒りません。

 

ま、こういうところが我々は、中華思想からは程遠い「夷狄(いてき)」なのでしょう。

 

 100904更新)