北の文化【北の文化】
北海道の方言の源を探訪して 夏井邦男
●夏井邦男 北海道教育大名誉教授
■「浜ことば」地域に根強く
北海道、とりわけ内陸の都市部に住む人は、自分たちの話す言葉が方言だと気づかないという。これは、明治以降の開拓に伴って、新たな共通語が生まれたという北海道の歴史の浅さに起因するようだ。しかし、鎌倉時代の道南地方では、アイヌの人々に混じって東北北部から渡来した和人が社会生活を営み、商品流通の高度に発達した地域であったことは、歴史学者の認めるところである。『諏訪大明神絵詞』(14世紀中頃)によれば、そこで用いられていた方言は粗野だが大半は関東以北の言葉と相通じると記している。これこそ海岸方言、つまり「浜ことば」の祖であり、根強く生き続け地域差も生じている。
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少し具体例をあげてみよう。
道内では地域によって「アゴワカレ」は送別会の意で使われる。飲食を連想して、人の口と顎(あご)と解釈され「顎の別れ」と思っている人が多い。しかし、アゴとは『万葉集』に例があるように漁師のこと。漁期の終わりに催された「網子(あご)別れの酒宴」だった。江戸後期の『松前志』にも「漁夫をアゴと云ふ」とあり、江戸時代の道南では漁師のことを広くアゴと呼んでいたのだ。
「メンコイ」は童謡の「めんこい仔馬」で全国に広まったが、これも『万葉集』のメグシに由来する。「目にみて苦しい」が本義だが、切ないほどかわいい意に転じたものであり、かつては浜ことばの一つだった。「ウダデ(とても)」は他県や道内でも内陸出身の大学生が、函館で生活するようになって覚える語の一つだ。『源氏物語』などのウタテ(いやだ)に相当するが、東北を経由して伝播(でんぱ)する過程で濁音化し、卑俗な語だと思われている。
しかし、これらはかつて文化の中心地で用いられていた語彙(ごい)であり、方言は単なる田舎言葉でも恥ずべきものでもないことを銘記したい。
寒さの厳しい東北地方では寒さを詳細に言い分けるが、北海道では「シバレ」を頻繁に使うのが特徴的だ。この語源については、さまざまに論じられてきたが、江戸後期の『北夷談』には「寒気甚敷(はなはだしき)を松前の方言に縛るといふ」とある。また、ほぼ同じ時代に書かれた『俚俗方言訓解』(文化6年)は氷海山人なる人物による津軽最古の方言書である。ここでもシバレについて、人が寒気に苦しむのは、まるで縄で縛られるようなものだと解説している。松前と津軽、これは偶然の一致ではないだろう。
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北海道語のなかでは、関西系の語が思いのほか勢力を得ていることも指摘されている。たとえば、アカン、コケル、コソバイ、シンドイ、ホカスなどなじみの語であるが、これらに共通するのは、先の「浜ことば」とは異なる「内陸のことば」であり、明治以降の移住者によって持ち込まれたものが大半を占めている点である。クスリユビ(薬指)のことを江差・松前ではベニサシユビ(紅差し指)と称したように、なかには日本海側に沿って古く北前船などで京都から伝えられた語もあり複雑である。
若年層が用いる「ワヤ(めちゃくちゃ)」も、本来は上方語だったが、最近、函館の大学生は「すごく良い」などの意味にも使い始め、全道的に広まっているようだ。「ヤバイ」などと同様、誤解というレベルを超えた新しい用法には、学生同士でも言葉の意味の判別に戸惑うことがあるという。
死語化しかけていて、みごとに復活を遂げた語は「クキ・クキル(群来)」である。小樽沿岸に幻の魚といわれていたニシンの群れが60年ぶりに姿をみせたことによる。これこそ次世代に残したい北海道らしい言葉だと思う。
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1942年、函館市出身。北海道教育大函館校で教鞭をとる。今年、『北海道「古語」探訪』(無明舎)を刊行。他の著書に『北海道方言の歴史的研究』など。
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