ビルマ:旧陸軍部隊、終戦知らず9月も戦闘 次々に死者

毎日新聞 2013年09月12日 15時00分(最終更新 09月12日 17時03分)

終戦を知らずビルマで戦い続けた小谷啓次郎さん。「終戦が分かっていれば、死なずにすんだ兵士も多かった」と話す=大阪府藤井寺市で、小関勉撮影
終戦を知らずビルマで戦い続けた小谷啓次郎さん。「終戦が分かっていれば、死なずにすんだ兵士も多かった」と話す=大阪府藤井寺市で、小関勉撮影
ビルマとその周辺の地図
ビルマとその周辺の地図

 68年前の1945年、ビルマ(現ミャンマー)では、9月に入っても終戦を知らずに戦っていた旧日本軍の部隊がいた。陸軍ビルマ方面軍第5遊撃隊。ビルマ南部で英軍の施設を爆破する作戦に就いたが、無線機が壊れ、終戦の報は届かなかった。隊員は飢えと敵軍の銃撃にさらされ、密林の中で次々に死んでいった。兵長として従軍した大阪府藤井寺市の小谷(こたに)啓次郎さん(91)は言う。「内地に連れて帰れんかった戦友を思うと、今でも、負い目が消えんのです」

 先月14日、小谷さんは毎日新聞社を訪れ、「読んでほしい」と分厚いファイルを残して帰った。とじられていたのは、生き残った第5遊撃隊員の手記の数々。自宅を訪ねると、「私も91歳。戦争の悲惨さを知ってほしかった」と話し始めた。

 43年8月、召集で兵庫県の陸軍部隊に入った。朝鮮半島での任務を経て44年9月、ビルマ南部へ入った。

 同国での戦況は悪化の一途をたどっていた。北部でのインパール作戦は失敗し、旧日本軍の前線は後退を繰り返した。そんな中、有志を募って編成されたのが、ゲリラ的に橋や飛行場を破壊し、敵の作戦を妨害する第5遊撃隊だった。小谷さんも志願して入った。

 45年6月、司令部のあったモールメンを約130人で出たのが最後の行軍となった。雨期の熱帯雨林では水位が胸まで達し、高地に出ると、敵からの一斉射撃にさらされた。無線機は水没し、軍司令部からの連絡は途絶えた。食糧は村で奪った、もみ殻付きの硬い米だけ。小谷さんは「何も食べられない日が何日も続いた」と話す。戦闘や病などで仲間が次々に死んでいった。

 8月19日未明、終戦を知らずに当時の首都ラングーンの近郊で英軍飛行場を襲撃。大きな戦果は上げられず、武器が尽きた。隊長は司令部への帰還を決めたが、小谷さんの体は限界だった。「下痢が続き、意識がもうろうとして……。数日前に犬の肉を食べたのが原因やった」。襲撃の数日後、山中の小屋に一人残り、隊を見送った。

 半月後の9月中旬、体調の回復を待って小屋を出たが、住民に捕らえられた。連行された英軍施設で通訳から「日本は降伏した」と告げられた。その後、収容所で再会した仲間から、部隊の兵士は約50人に減ったと知らされた。

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