記者の目:「はだしのゲン」閲覧制限=曽根田和久
毎日新聞 2013年09月13日 00時41分(最終更新 09月13日 00時41分)
私がゲンを最初に読んだのは小学校低学年の頃。姉が学校から借りてきた単行本を手に取った。被爆者の皮膚が熱線で焼けただれ、廃虚となった街をさまよう姿が強烈に印象に残った。今回、約30年ぶりにゲンを読み返してみると、ゲン一家に降りかかるいじめや被爆者への差別、暴力を頼りに戦後を生き抜く原爆孤児たちの姿が心に響いた。いじめる側、差別する側にも戦争が暗い影を落としていた。終わってもなお続く戦争の惨禍。それを知るための貴重な本だと思った。
◇表現は過激でも暴力肯定せず
市教委事務局の幹部が問題視した場面は、確かに激しい表現を含んでいた。だが、暴力を肯定しているわけでもない。適切に読み解けば、そのことは子供にも分かるのではないかと感じた。
問題を巡って、多くの人がツイッターでも発言した。「子どもたちは賢愚とりまぜ無数の選択肢の中から自分のために本を選ぶ。その積み重ねで人間がかたちづくられてゆく。どんな人間になるのかを決定する権利は子どもたち自身にある」と発信したのは、教育論についての著書もある内田樹・神戸女学院大名誉教授。また、教育や震災など多彩なツイートを展開する松江市出身の岩田健太郎・神戸大医学部教授も閲覧制限に反対し、「何に遭遇するのか分からない偶然性が、アレヤコレヤに悶々(もんもん)とする青少年の居場所としての図書館の価値をもたらす」とつぶやいた。
表現や描写について、賛否を含む多様な意見があるのはゲンに限ったことではなく、インターネットで「知りたいこと」を検索するだけではそれは分からない。偶然出合う本が子供の知識と興味の多様性を育む学校の図書室で、本を自由に見られないようにすることがあってはならない。
広島県被団協の坪井直(すなお)理事長は「(ゲンを)読んだ後の子供たちの質問にきちんと答えることが大人の役割」と語る。多様な意見と出合い、教えられ、普遍の価値観を見いだしていく。そんな子供たちの経験を保障するのが大人の責任だと思う。(松江支局)