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娘よ最期の場所は あの日から2年半、不明長女捜し続ける

北上川河口部の堤防に立ち、美里さんを捜す千葉さん=8日、石巻市北上町十三浜

 あの日から2年半がたった沿岸各地で、行方不明の家族を捜し続ける人たちがいる。捜索の環境が厳しくなる中で、警察官らは手掛かりを求め、海へ向かう。東日本大震災の月命日の11日。遺体の一日も早い発見と、犠牲者の冥福と、助かったことへの感謝と−。被災地はさまざまな祈りに包まれた。

 「美里、見つけてやれなくてごめんね」
 仙台市青葉区の会社員千葉守さん(47)が長女の名前を呼んだ。
 8日、北上川の河口に近い石巻市北上総合支所の跡地。周辺の消波ブロックの隙間や草むらの水たまりに目を凝らす。
 東日本大震災から2年半となった今も、毎週のように自宅のあった石巻市北上町に通い、同市吉浜小6年だった美里さん=当時(12)=を捜す。
 美里さんと母ゆり子さん=当時(62)=は津波にのまれ、ゆり子さんは3カ月後に遺体で見つかった。美里さんは行方不明のままだ。巨大地震の直後、北上総合支所に2人がいたのを住民が目撃している。
 河口から約1.5キロ上流にあった自宅は、北上川をさかのぼった津波で流失した。1カ月後、単身赴任先の仙台に家族を呼び寄せた。
 残された2人の娘のため、仕事に没頭した。時が過ぎれば悲しみは癒える。そう思ったが、薄らぐことはなかった。
 生活は落ち着きを取り戻した。一緒に買い物したショッピングセンター、好物のそば−。ふとした拍子に思い出す長女のイメージはより鮮明になった。屈託のない笑顔が目に浮かぶ。見つけてやれない悔しさが募る。
 2011年7月に死亡届を提出し、葬儀も済ませた。死を認めることに戸惑いはあったが、割り切った。
 「どこかで寂しい思いをしているなら、お盆に家族で迎えよう。遺体が見つかったら立派な葬儀をやり直せばいい」
 墓に遺骨はない。支所で犠牲になったとの話も推測でしかない。美里さんのランドセルだけが支所から約2キロ上流で発見された。どこで手を合わせても釈然としない。
 「最期にいた場所はどこなのか。早く見つけて供養をしてやりたい」
 津波の直撃を受け、壊滅した支所は市の指定避難所だった。当時、住民や職員ら57人がいたとみられ、助かったのは3人だけだ。
 なぜ海のそばに建てたのか。どうして高台へ逃げなかったのか。市から説明はなく、疑問は消えない。「先生も役所の人も一生懸命やってくれたよ」。美里さんがそう言いそうな気がして、責任追及できずにいる。
 「美里」の名前は自分が付けた。将来、北上町を離れても自然豊かで美しい古里を忘れないでほしい、と願いを込めた。
 震災後1年は海を見るのが嫌だった。今は河口に来ると美里さんに会えるような気がする。
 「大好きだった海のかなたに行ってしまったのかな。それなら会いに来た父の姿を見てくれている」
 そう信じている。


2013年09月12日木曜日


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