メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

トピックス
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック
シリア問題―全面停戦への道を探れ

化学兵器疑惑の渦中にある中東のシリアをめぐり、国際的な取り組みが加速している。アサド政権が保有している化学兵器を、国際管理のもとに置く。こうした新構想をロシアが示し、シ[記事全文]

震災2年半―終わりのない悲しみに

「仕方なかった」を繰り返して欲しくない――。悲しみを長引かせ、時に増幅させるのを知りつつ、それでも検証を求め、裁判を続ける遺族たちは訴える。助けられたはずの命があったの[記事全文]

シリア問題―全面停戦への道を探れ

 化学兵器疑惑の渦中にある中東のシリアをめぐり、国際的な取り組みが加速している。

 アサド政権が保有している化学兵器を、国際管理のもとに置く。こうした新構想をロシアが示し、シリアは受け入れた。

 これで米国による空爆は、当面先送りされる。大国の性急な軍事行動の余波を心配していた国際社会にとっては、かすかな希望の光が差したといえる。

 だが、アサド政権の出方と、米ロなどの動き次第で、シリア情勢の火だねはいつでも再燃しかねない。

 そもそもシリアの化学兵器を本当に管理下に置けるのか。これまで保有を公式に認めてもいないアサド政権が正直に申告するのか。疑念は尽きない。

 国連安全保障理事会では新たな駆け引きが始まった。シリアが従わない場合の制裁を明示した決議を米国やフランスはめざし、ロシアが抵抗している。

 この2年半、シリア問題に行動を起こせずにきた安保理が初めて機能不全から脱することができるのか。外交的解決を図る最初の関門はそこにある。

 米欧は、人道介入の必要性を訴えて安保理の結束を求めてきた。一方のロシアと中国は、国家主権の尊重を唱え、内政干渉を嫌う主張を続けてきた。

 21世紀の世界の危機管理をめぐる根源的な確執であり、シリア問題の行く末は国連外交の重要な先例となろう。

 いま再び集中論議の舞台となる安保理は今度こそ、足並みをそろえて危機に立ち向かう有効策を編み出さねばならない。

 米国務長官とロシア外相がきょう、ジュネーブで会うほか、米英仏も協議を急ぐ。

 オバマ米大統領はこうした外交調整のかたわら、空爆に踏み切る態勢はゆるめず、圧力をかけ続ける構えを示している。緊迫の度合いは変わっていない。

 当事者のアサド政権は、有言実行するほかない。化学兵器の保管場所を完全公開し、国際監視のもとで放棄すべきだ。時間稼ぎや妨害は許されない。

 忘れてはならないのは、化学兵器がどう使われたかという問題以前に、果てしない内戦で、すでに10万人が殺され、200万人が家を追われ、今も戦火が続いていることである。

 「今世紀の最大の惨劇」(国連難民高等弁務官)といわれながら、シリアの難民たちは「世界は私たちを見捨てた」と訴え続けてきたのだ。

 いまやっと盛り上がった機運を逃すことなく、国際社会は全面的な停戦実現への道こそを模索すべきだろう。

検索フォーム

震災2年半―終わりのない悲しみに

 「仕方なかった」を繰り返して欲しくない――。

 悲しみを長引かせ、時に増幅させるのを知りつつ、それでも検証を求め、裁判を続ける遺族たちは訴える。助けられたはずの命があったのだと。

 東日本大震災から2年半。犠牲者が1万人を超す宮城県で、遺族たちを訪ねて歩いた。

 がれきはほとんど目につかなくなった。ダンプが行き交い、重機が音をたてる。しかし、「復興」の垂れ幕の裏には、終わらない悲しみがある。

 送迎バスが津波に巻き込まれて園児5人が亡くなった石巻市の日和幼稚園。うち4人の遺族が園側を提訴し、近く一審の判決が出る見通しだ。

 女川町では、七十七銀行の支店屋上に避難した行員やスタッフ12人が死亡・行方不明となった。3人の遺族が銀行を提訴して、ちょうど1年がたつ。

 児童と教職員84人が死亡・行方不明となった石巻市の大川小学校では、文部科学省の主導で市が設置した委員会で、検証作業が続いている。

 遺族たちに話を聞くと、共通点が浮かび上がる。

 当日の行動を知るほどに、「こうすれば死なずにすんだ」という選択肢が、はっきりしてくることだ。

 地震発生後に幼稚園の送迎バスが海に向かわず、子どもたちが園にとどまっていれば……。

 銀行員たちの避難先が、2階建ての支店屋上ではなく、歩いて数分の高台であれば……。

 津波が来るまで50分も校庭に居続けず、子どもでも登れる裏山に逃げていれば……。

 どうして、そうならなかったのか。

 相手方の答えは、煎じ詰めれば「津波がここまで来るとは想定外だった」に行き着く。

 説明会は開かれるが、「なかなか情報が出てこない」と遺族は言う。「仕方なかった、では同じ過ちが繰り返される」

 裁判に訴えれば、損害賠償責任の有無が争われる。真相の解明、真摯(しんし)な謝罪、二度と繰り返さないための反省という、遺族が本当に求めているものが得られる保証はない。

 避難行動を率いた人たちが津波の犠牲になった事例もある。

 裁判の勝ち負けがどうあれ、それだけで「安全」につながるとは限らない。

 それを承知でなお、訴え、争うしかなかったことに、遺族の一人は「私たちは、おかしいですかね」と問いかける。

 遺族の悲しみを社会で受け止め、悲劇を防ぐ教訓を学ぶ。その努力を続けるしかない。

検索フォーム

注目コンテンツ

  • ショッピング撮影は適切な使い方で!

    スマホで操るカメラ付き戦車

  • ブック・アサヒ・コム超私小説芥川賞作家の作風

    自分を主人公と見せて書くうそ

  • 【&M】猫に優しい病院

    人とペットの幸せな暮らし

  • 【&w】「ボロ儲け」の仕事とであう

    「〈ハタラク〉をデザインする」

  • Astand毒と笑いと傷が「かわいい」

    きゃりぱみゅはアイドル?

  • 朝日転職情報

  • 就活朝日2014